42.『皇帝のプロポーズ』
玉座の間の扉の前。
まだ時間は大丈夫だよな。大丈夫だ。入った途端殺されるなんてことはないはずだからな。勇気を出すんだ、リリアス・ブラックデッド。
深呼吸を一回して、大きな扉を引く──いや、全然動かないぞ、これ!?
顔を真っ赤にして、うぬぬぬぬっと頑張っていると。
「押し扉じゃないかな」
「そんなまさか」
ココロが控えめに囁いてくれた。半信半疑で押してみる。まるで羊羹のようにするりと滑って開く。扉に体重をかけていたわたしはズベッ、と転んでしまった。
ざわざわ。
玉座の間に転がり込んできた新たな人物にみんなの視線が集まる。
「……」
やべ、めちゃくちゃ恥ずかしい。
こちらを見るのは、世界一傲慢でちっちゃい皇帝と幸薄イケメンお兄さんのソフィーヤさん。
そして見慣れない黒ずくめのフード姿の人。なんかやばそう。完全に格好が誘拐犯のそれだよ。
まずは挨拶だ。社会人の基本。マナー。
わたしはいそいそと立ち上がり、にっこりと笑顔を見せながらカワイイポーズをキメる。
「みんなおはようっ! 今日はいい天気だな!」
「リアちゃん……! スカートがはさまって、パンツ見えてるよ……!」
「…………」
耳元で余計なことを言わないでくれ。もっと恥ずかしくなってきたじゃん。
「──なるほど。『反転』させたか。確かにそれならば制御はしやすいだろう」
フードの下から刃のように冷たい男の声がした。
瞳の奥に夜が見えた。深く、底知れない闇がそこにはある。
皇帝の黄金色の瞳とはまるで真逆。
皇帝が太陽のように惹きつけて焼き尽くす黄金ならば、その人は闇のように重たい──夜の色だった。
「……忌々しいな」
その人はゆっくりとフードを取る。
長く伸びた黒髪がバサリとコウモリの羽のように広がった。
痩身の男だった。
ソフィーヤさんに次ぐイケメンお兄さんである。
「リリアス・ブラックデッド。……貴様は何も覚えてはいないだろうな。ならば我も無理に問うことはするまい。竜の娘よ。今はその身に宿る血を貴ぶといい」
「……え、わたしに言ってる?」
良く分からないけど、意味深なことを言わないでほしい。自分が特別な存在だって思ってしまうじゃないか。えへへ。
「烈日帝よ。此度の訪問の目的は我々とルナニア帝国の一時の不可侵条約だ。忘れたとはいわせんぞ」
「ええ、分かっているわ。貴方との約束はどれもとても興味深いもの。……今度は『どれ』かしら?」
皇帝は小さな指を頬に添えながら妖艶に目線を男に向ける。
「極北の邪神だ。再封印を施さねば、世界は再びかつての混乱を思い出すだろう」
「ふふっ、貴方と余で封印したあいつね。かつての大戦が懐かしいわ」
「……どの口が」
皇帝と男は完全に二人の世界に入ってしまったようだった。知らない言葉だらけの会話の応酬にわたしはココロと一緒に食べるスイーツのことを考え始める。
フルーツパフェはもう食べたから、今度はケーキがいいな。チョコケーキとかどうだろう。
「トラーズ、来なさい」
「はっ」
男の影が蠢いて出てきたのは、ココロより少しだけ低い身長の少年だった。きれいな瑠璃色の髪。瞳はなんと白目がなく、白目のところは黒く染まって瞳孔は青白く光っている。
そして頭の上には小さな二本の捻れた角が──って、魔族!?
「余からも一人。ソフィ、頼まれてくれるかしら」
「お任せを」
ソフィーヤさんが少年魔族と並ぶ。
そして、少年魔族は皇帝の元へ向かい、ソフィーヤは男の側へついた。
「各陣営を一人交換し、報告と監視の義務を負わせる。それでいいかしら?」
「問題ない」
皇帝と男が話している隙をうかがってちらりと少年魔族を見てみる。すっごい無表情。まるで石みたい。……もしかしてだけど、めちゃくちゃ緊張しているのか?
うーん、なんか見覚えがあるようなないような……あ、見ているのに気づかれてしまった。魔族だけど皇帝によると害はなさそうだし、とりあえず笑顔を向けてみる。
「──ッ、!?」
少年魔族の顔色が一瞬で変わり、すごい速さで後ろに飛び退いた。腰に佩いた刀を鞘から抜きかけている。
なんて反応速度だろう。もぐらたたきでこいつに勝てる気がしないぞ。
「そっか、あのときの生首」
「!?」
思い出した。神殿事件のその日、アリスがるんるんとハミングしながら抱えてきた生首だ。胴体についているのは初めて見たけど、そっかそっか。初めましてじゃなかったんだな。
わたしと少年魔族が微笑ましいじゃれ合いをしている最中も皇帝と男は睨み合って──いや、男が一方的に睨んで、それを皇帝は涼しい顔で受け流している。
「キルケゴール」
「……その名は捨てたと言ったはずだ。今の我は──」
「そんなことはどうでもいいのよ。余の中では貴方は変わらずキルケゴールのままだし、一番の盟友のまま。そして余は変わらず貴方が欲しいわ。愛していると言い換えてもいい」
皇帝が立ち上がって、かつかつと音を立てながら男の元へ向かう。頭一つ高い位置にある男に手を伸ばして、そっと頬に触れた。
「キルケゴール、余のものになりなさい」
──。
……え? これ、プロポーズ?
だいぶ歪んでるけど、そうだよな? え、皇帝が?
マジで?
おい、フォックスグレーターの新聞社。変態記事を量産している暇があればこういうのを撮るんだよ。
男はしばらく黙った後、頬に当てられた皇帝の手を振り払った。
「ふざけるな……先に裏切ったのは貴様だろうがッ!!」
強烈な怒気が放たれた。
闇色の波動が男から放射線状に撒き散らされ、天井のシャンデリアが一斉に破裂する。
わたしはびっくりし過ぎて尻もちをついてしまった。
皇帝が男の逆鱗に触れたらしい。わたしからしてみればいつものことだが、男は慣れていないのだろうか。
「そう。余が先に裏切った。だから貴方は帝国側に付くことはないし、余のものになるはずがない」
皇帝は鮮烈な笑みを浮かべた。ぞくぞくしてくるような素敵な笑顔だった。つまり、殺意マックス。
あ、やばい。
皇帝、言葉の割にめっちゃキレてる。
これ……この部屋にいたら死ぬんじゃないか?
「アリス」
どこからか黒い風が吹き抜けた。よく見ると風を纏って男に向かっているのはアリスだった。見たこともないような表情で刀を男に滑らせている。
首狩り姫のアリス・ブラックデッド、その名を示すように。
火花が散る。
「……え」
鈍い音が鳴ったと思ったら小さい影が鋭角にわたしの背後の壁に叩きつけられる。
中程から真っ二つに折られた刀がカランカランと音を立てる。アリスが瓦礫の中に転がっていた。ぴくりとも動かない。
「……アリス?」
もしかして死んでしまったのか? 三大将軍なのに、あんな簡単に……?
「アリスッ!!」
起きろよ、起きてくれよ……冷蔵庫のプリンを勝手に食べて悪かったよ、いつも寝る前にアリスの部屋に忍び込んで寝顔を見てにやにやして、たまに写真撮って悪かったよ……!
ガバリと起き上がると、いきなりわたしの胸に飛び込んできた。
「っ、痛いよぉ、リアお姉ちゃ〜んっ!」
「うわっ、急に抱きついてくるなよっ! ってか血! 血がめっちゃ出てる!?」
「頭を撫でてくれたら止まるかもしれないから、いっぱい頭を撫で撫でしてよ、お姉ちゃんっ!」
よしよし痛いの痛いの飛んでいけ〜、とアリスの頭を撫でまくってやる。本当にびっくりしたよ!
殺し合うなら周りに迷惑かけない範囲で殺し合えよ、社会人のマナーだろ!?
皇帝の唇が小さな音を紡ぐ。
「ドーラ」
「っ、リアちゃんっ、伏せてッ!」
ココロがわたしを押し倒して、庇う。
「ココロ、何を──」
瞬間。
空を灼く極光が天から降り注ぎ、王城を穿った。
光、光──光の奔流が天から叩きつけられて、圧倒的な熱と力が荒れ狂う。
──その日、ドーラ姉さんの魔法が帝都全土を揺るがせた。
壁が崩れて床と天井には焼け焦げた大穴がぶち空けられていた。
男は姉さんの魔法の直撃を受けても傷一つ負わず、何食わぬ顔をして立っている。
「これで終いか?」
「ええ」
「では、貴様の臣下を借りていく。さらばだ」
男は虚空から真っ黒な扉を召喚し、ソフィーヤと一緒にくぐった。
「あはっ。……あははっ、あっはははははははっ!!」
扉が閉まった瞬間、皇帝は扉に向かって最高等魔法を連射して、消し飛ばしてしまう。
「──次は、確実に殺す」
皇帝の表情を見てしまったわたしは、再び新品のパンツを濡らす羽目になった。
ちなみにお風呂に閉じ籠もっていたアズサは、下の階から女湯の床をくり抜いて突撃してきたシロに追いかけ回されて、全裸のまま王城を駆け回ったという。
現在は無事に魔王討伐に連れて行かれたらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます