32.『勇者の拳』

「──リアっ! こっちを向きなさい、リアっ!」


 いつの間にか限界まで俯いていたわたしの耳をアズサの声が叩く。

 目を上げると、迫る拳が見えた。アズサが鬼気迫る顔で拳を振り上げている。


「え」


 思わず拳を受け止める。反射的に返す拳をお腹に埋め込み、側頭部に回し蹴りをぶち込ん──


「そんなものなの?」


 ひらりと体を引き付けるように躱されて、続くアズサの拳がわたしの頬にめり込んだ。


 鈍痛と衝撃。

 わたしはあっけなく吹き飛ばされてそばにおいてあった木箱に頭から突っ込んだ。

 天幕が激しく揺れて、見ていた軍人たちも急なアズサの行動に動揺が走る。


「──っ、」


「立ちなさいよ。このまま負けっぱなしでもいいの? 立ってわたしに殴り返し──」


「いきなりなにすんだよ!!」


 反射的に突き出した拳は衝撃波を伴って打ち出されてアズサのお腹にぶち当たり、完全に天幕をばらばらに吹き飛ばした。

 軍人たちも巻き添えを食らって吹き飛んでいく。絶叫と悲鳴。ソフィーヤさんが頭を抱える。


「グホォアッ!」


 くるくると冗談のように錐揉み回転をして、反対側のテーブルに頭から突っ込むアズサ。なんか大切そうな資料やらなんやらがばらばらに吹き散らされる。

 なんなんだ、いったい。人がちょっと本気で落ち込んでいるところにいきなり殴りかかってきやがって。これが異世界人のやり方か。


 がばりと起き上がった。この勇者、頑丈極まりない。


「いきなり何すんのよっ! 最後まで私のセリフを言わせなさいよ!!」


「おまえこそいきなり何するんだよ! 突然殴りかかってきやがって……おまえに構ってる暇はないんだ!」


「立ち直らせるために殴りかかったのよ! これで大体ネガティブ思考にストップがかかって、私のかっこいいセリフが入るところだったのに!」


「意味わかんねぇよ、もういっぺん死ね!」


 わたしはアズサに飛び掛かる。


「リアこそ一度くらい死んでみたらどう!? 殺される気持ちが分かるわよ!!」


 同じくアズサもマウントポジションを狙ってわたしの顔面に拳をつき込んできた。

 なんだこいつ、わたしの顔ばっかり狙ってきやがる!

 繰り広げられる殴り殴られの阿鼻叫喚。


「そもそもリアは何なのよ! 少し前までニートだった癖に! それも前にヒキがつくニートのどうしようもないダメ人間の癖に!!」


「なんだとお前! たとえ事実でも、人に言っちゃいけない言葉ってあるんだぞ! 名誉棄損で訴えてやる!」


「勇者の私より強いんだから魔王軍くらいちゃちゃっとひねってきてよ!」


「……っ」


 痛む頬に手を当てる。


「あんたは強いんでしょ! ならその強さに対する責任を取りなさい! 私を殺した責任を取りなさい!」


「……違う。……わたしは、弱いんだよ……」


「なにを──」


 顔を上げて思いっきり叫んでやる。


「血なんて見たくない! 痛いのは嫌だ! 戦いなんて大っ嫌いだ!」


「……!」


「それなのに、周りのみんなはやれブラックデッド家だからとか、ルナニア帝国の三大将軍だからとか……もういっぱいいっぱいなんだよ!! わたしは、ただ平和に暮らしていけたら……それで良かったのに……!」


 黙って聞いていたアズサは、ぽつりと漏らす。


「ココロは? ココロちゃんはどうすんの?」


「え……?」


「ココロちゃんはあんたを待ってるわ」


「そんなこと──」


 だってココロとは数日前に出会ったばかりだぞ。いくらなんでも、そんなことありえな──


「あの目を見なかったの? あの子、リアのためなら地獄の釜の中にでも飛び込むような頭のイカれた子よ!」


「確かにココロはちょっと不思議な子だけど! そんなわけないだろ! 人の悪口とか言うなよ、悲しくなるだろ!!」


「……あんた、本当にココロちゃんを助けに行かないの?」


「だって、しょうがないだろ……相手は、帝国軍でも敵わなかった魔族なんだぞ……そんなのにわたしが立ち向かったって……」


 パンッ、と響く音が鳴った。

 アズサが、わたしの頬を思いっきり平手打ちしてきたのだ。


「友だちなんでしょ!? いい加減にしてよ!!」


「……っ」


「私は向こうの世界で友だちがいなかった……ボッチだった! だからココロちゃんとつるんでいるあんたを見てるとウザいわ! リア充爆発しろって思う!」


「私怨だろ! そんなのこっちに押し付けんな!」


「いいから黙って私の話を聞けよ、バカっ!」


「ば、ばか……っ!?」


 アズサは肩を怒らせて、


「もういい! あんたに期待した私がバカだった! ココロ・ローゼマリーは私が連れて行くわ。元々ココロちゃんが良かったし、しょうがないわよね?」


「……でも、ココロは魔王軍に……」


「取り返せばいいでしょうが」


「……!」


「血が出る? 痛い? 死ぬ? それが何よ。この世界では死んでも生き返れるんでしょ? だったら百回でも千回でも死にまくってゾンビ戦法で食らいついてやるわ。そうして魔族なんかボコボコにした後に堂々とココロちゃんを取り戻すのよ!」


「……そんなの、おまえはわたしより弱いのに」


 アズサは堂々とわたしに見せつけるように胸を張る。


「だから何? たかが死ぬのが数回増えるだけよ。まあ、臆病者のあんたにはできないでしょうけれど! 勇者様がココロちゃんを取り戻すまでの間、あんたはここで指でもくわえて待ってると良いわ!」


「……」


 この言葉が本気だったら……きっとアズサはわたしよりよっぽど強い。腕っぷしとかじゃない。心が強い。


 ……だったら、そんな相手に助け出されたほうがココロも幸せなのかもしれない。


 わたしは黙って俯いてしまう。そんなわたしを見て、アズサは陰気な笑い声を漏らした。


「ふふふ……私に助け出されたりしたら、きっとココロちゃんは私に惚れるわ。そしたらもう後は楽勝よ。サクッと股を合わせて既成事実を作って、全身を揉みまくるわよ……うへへ……」


 ん?


「今……なんて言った」


「もちろんキスもするわ。舌をべろべろさせる大人の深い方をね! 蕩けた顔が今から楽しみだわ! 好きって何回言ってもらおうかしら!! 毎晩寝室で好き好き連呼リアルASMR九時間コースねっ!!」


 ナニかが切れた。

 飛びかかるわたしは、きっと海面を飛び回るトビウオよりも速かっただろう。


「てめぇええええ!!!!」


「あらあら、自称弱々のリリアスさんじゃないの。ごきげんよう! 私とココロちゃんの結婚式には招待してあげるわよ。友人代表(笑)としてスピーチも用意してあげる! NTRの定番よねぇ!!」


「ブッ殺す、てめぇだけは、てめぇだけはあああああ!!」


「あっはははははは!!」


 そんな不毛な争いはソフィーヤさんの拳骨がわたしとアズサの脳天に落とされるまで続いた。


 ……ちょー痛い。


 それからしばらくして、天幕を張り直して巻き添えになった軍人たちの手当て(二人死んでいた)が済んだ後。


「で? 結局リアが行くのね」


「当たり前だ!!」


「あっそ。残念だわ」


 アズサはそっぽを向いている。今後ココロの半径二メートル以内にこいつが侵入したときは爆殺してやろう。今決めた。


「ソフィーヤさん。大聖女のイザベラさんは大聖女しか神殿に続く転移門を作れないとか言ってたけど、わたしをどうやって転移させるんだ?」


 わたしが訊ねると、ソフィーヤは難しい顔をして顎に手を当てる。


「僕も最初は信じられなかった。けれど──」


 ソフィーヤが手に魔力を込めて、引き裂くように振り下ろす。空間が甲高い音を立てて引き裂かれ、亀裂の向こうには揺らめく神殿の建物が見えた。


「──こうして、できてしまった」


「わっ」


 ソフィーヤさん転移魔法まで使えるのか。万能なんじゃないか、殺すしか能のないブラックデッドのあの二人に比べて。


「転移門を通すためには、地点と地点を繋げる目印のようなものが必要となるんだ。大聖女は、その目印を持っているから神殿までの転移門をつなげるんだけど」


「……?」


 ここでソフィーヤは一瞬だけ顔を歪めて。


「一度開けた転移門は、閉じても残滓が残るんだ。それを辿れば簡単に向こうに行くことができる。つまり、誰かがこの地点で神殿行きの転移門を開けたことになる」


 わたしでも分かった。つまり──


「イザベラさんが、神殿までの転移門をここに開けたってこと? だから……魔王軍とイザベラさんは繋がっている……?」


「可能性は高いだろうね。これを皇帝陛下は予想していた──いや、知っていたというべきだろう。陛下は、僕に転移門を繋げと命じた。神殿まで繋げられることを知ってなければ出てこない言葉だ」


 イザベラさんと魔王軍が繋がっている。そして、それを知りながらもココロが攫われるまで放置していた皇帝。


 もう、頭の中がごちゃごちゃだ。


「アンネリース皇帝陛下は老獪だ。僕たちがいくら先を読んで行動したとしても、その数手先を見据えている。だからこそ、安心できるとも言える。……リリアスさん、転移門を一人で潜ることにも陛下は何かしらの策を張り巡らせているだろう。もちろん、その先も」


「ソフィーヤさん……」


 入れ替わりでアズサはわたしの前に立って胸を張る。少し大きい胸を強調してくる。なんだこいつ、わたしにないものを自慢してきやがって。


「リア、あんたは自分がクソ雑魚だと思っているみたいだけど、いや周りの人間に比べたらクソ雑魚なのは事実だけど」


 おい。


「だけど、あんたは私に勝ったのよ! 勇者の私に勝ったの。准三大将軍とかなんとかは知らないけど、モブ兵士なんかに無双されてるザコ魔族に負けたら許さないから! あんたは私の力の象徴なのよ、分かった? 分かったら首を縦に振ってワンと言いなさい!!」


 とりあえず脛を蹴っておいた。小さな悲鳴を上げてアズサはうずくまる。


「ありがとう。ソフィーヤさん、軍人さん。後、そこでうずくまってる勇者。邪魔だからどけ」


「そんなことを言ってるといつか眼球潰してやるんだから、だから無事に帰ってきなさいよ!!」


 なんだか爽やかな笑顔でこっちに向かってピースサインを突き出している。

 何だコイツ。


「行ってくるよ」


 そのまま空間の亀裂に進み、ちょっと手前で深呼吸。そのまま奥へ分け入っていく。

 ソフィーヤさんやアズサの心配そうな顔が揺らめいて、やがて亀裂とともに消えた。


 冷たい風が吹いた。

 神殿の威容が、目の前にそびえ立っている。

 ぱちんっ、と頬をひっぱたく。


 トイレはすんだ。少しお腹が空いた。実は今でもちょー怖くてぶるぶると膝が笑っている。


 でも。


「ココロ、待っていろよ」


 あの空色の少女のためなら、なんだって出来てしまう。そんな気がするのが不思議だった。


 友情パワーは最高だな。

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