27.5.『虐殺者』
「【代行者たる我が名はローゼマリー 治癒の権能よ 彼の者に祝福を】」
ココロの手から淡い光が兵士の傷口に染み渡っていく。見る見るうちに傷口が塞がり、青白かった顔色も血色が良くなってきた。中等魔法【持続回復】だ。痛みを和らげる効果があるため、戦場では必須の魔法。
感謝の言葉を繰り返す兵士ににっこり笑顔を返すと、ココロは叫んだ。
「見習い聖女のココロ・ローゼマリー、二十八から三十五まで終わりました!」
「素晴らしいわ、ココロちゃん!」
テントの奥から叫び返すのは、妙齢の女性だ。青みがかった髪の毛を一つにまとめて、いつも真面目な顔をしている。仕事一筋のストイックな雰囲気がバリバリと感じ取れた。
ココロの先輩聖女にして、前線補給所の管理所長でもある彼女は現在、野戦病院の維持に必死になっていた。
「まだまだ行けそうなので四十まで行ってもいいですか?」
そう問うと先輩は首を振る。
「休みなさい。あなたはまだ正式な聖女ではないんだから。見習い聖女の身でありながらここまで貢献してくれるなんて、本当に助かるわ」
「でも……」
「んもう、真面目なんだから! どうせ外では帝国軍がめちゃくちゃにやってるんだから、怪我人は増え続けるわよ。今はできる限り体力を温存して。聖女であるあなたが倒れてしまっては本末転倒、休むのも仕事のうち。おっけ?」
「おっけー、です」
ココロはテントの奥──休憩スペースに入って一息ついた。
前線の補給所に志願したまでは良かった。そこから先はてんやわんやで、あまり記憶がない。
リリアスは聖女の仕事につけば、ぐうたらできると思っているようだが──
「残念だけど違うみたいだよ……」
前提として、帝国軍はいつも戦争をしている。それは相手が魔王軍であったり、他国からお金を巻き上げるための戦争だったりする。
戦場では、人がいっぱい死んで、怪我人もいっぱい出る。死んだ人は神殿復活を待てばいいが、怪我人は回復魔法が使える聖女がいなければ苦しみ続けるのだ。
後に響くような怪我を負ったならば味方に殺してもらうのが通例だという。どうせ怪我で苦しまなければならないのなら、神殿復活で健康な肉体を手に入れたほうがマシだという考え方に基づいた風習だ。全く、狂気の沙汰である。何を食って、何を考えればその結論に至るのか。
そういうのを防ぐために、聖女はいるのだ。戦場では聖女の引く手あまたであり、リリアスの言ったようなぐうたらは到底できない。
「大変だよぉ……リアちゃん……」
お茶を飲み、だらけていると。
「……? あれ……」
休憩スペースの外がやけに騒がしい。陽気な怪我人でも来たのかな、と外に出て覗いてみると。
テントが真っ赤に染まっていた。
「え」
怪我人も他の聖女も、死体になってベッドの上に無造作に積まれている。おかしな方向に首が曲がっているのもあれば、肩から先が取れてしまった人もいた。
鮮烈な血の臭いと内臓の中身が飛び出したことによる吐瀉物の臭いが充満している。ココロは思わずうずくまった。
それを成したのは、一人の男だと確信する。
見た目は好青年であり、顔に空虚な微笑みを浮かべている。
その男が先輩の首を掴んで持ち上げていた。
「おはよう、こんにちは。そして、こんばんは」
「ぐっ……」
「ビルギッタライはうまく囮として機能してくれたか。愚鈍な帝国の者どもは、目先のことばかりに囚われる。こうして、前線後方部の補給所に我が潜り込んでいることになど気がついていないだろう」
「離して……ッ!」
「おっと」
鋭い風の刃が男を切り刻もうと四方八方から襲いかかった。それを避けようと身を屈めた男から弾かれるように距離を取った先輩は、血の滴る唇を噛み締めて高速詠唱を開始する。
「【代行者たる我が名はマルガレーテ 圧殺せよ 心の震えるままに!】」
男を囲うように、紫色に光る正方形が結界のごとく現れる。次の瞬間、正方形は圧搾されて拳大になった。
高等魔法【重力結界】。先輩の胸に誇らしげにつけられた『青』のハンカチは魔法特化を表している。
普通の人間ならば、骨すら圧潰して生きて出ることは不可能なはず。
「はぁ……はぁ……!」
それを成した先輩は、脅威は去ったと一息つく。
次の瞬間、先輩の全身に黒い影絵のような触手がいくつも突き刺さった。
「かはっ……!」
先輩の瞳孔が見開かれ、苦悶に歪む。
【重力結界】を粉々に突き破って現れたのは、影絵の奔流。そのままテントの壁を這い回って全てを取り込もうとする。
影絵に裂け目ができ、醜悪な口やおぞましい眼球がいくつも現れた。
「気に入っていたんだ」「あの人間の顔と目」「それをお前が壊してしまうから」「形をとらない我の身体に攻撃は無意味」「我はアルファ」「魔王軍に連なる者」「形あるものを飲み込み消化する」「シャドウスライム」
ココロはそんな光景をただ、見ていることしかできない。
「まずは、お前を消化してやろう」
先輩に向かって一斉に影絵が群がっていく。バキグシュ──! と聞いたことのないような音がして、先輩がいたところには何もなくなっていた。
おぞましい光景に、一歩下がる。
「白」「白だ」「白だな」「白の気配だ」
ココロが走って逃げ出そうとした瞬間、影絵のヒトガタが目の前に立っていた。のっぺりとした黒一色の顔に例えようもない嫌悪感を抱く。
「……私に、何の用……ですか……!」
「お前の魔力が必要だ。ついて来てもらおうか」
「っ、!」
ココロは近くのテーブルにあったナイフを影絵に向かって構える。
「抵抗するつもりか……だが、お前に勝ち目などない」
「知っています。だから──っ!!」
ココロはナイフを逆手に持ち替えて、素早く自分の心臓に突き立てようとした。
だが。
影絵が素早くナイフと胸の間に割って入り、刃を受け止める。最後の抵抗が、それで終わった。
「────っ、」
「なるほど。確かに神殿復活は人の在り方を歪めてしまう。このような娘が躊躇なく自分に刃を突き立てるとは」
「…………」
「来てもらうぞ。お前たちを歪ませている元凶、神殿を破壊してやる。自由に死ぬことができる世界を作ってやろう」
影絵の黒が近づいていく。飲み込まれていく。
視界が黒一色に染まる瞬間、ココロは思う。
勝手な願いだと分かってる。
でも、信じている。
あなたは必ず助けに来てくれる。
リリアス・ブラックデッド。
私の大好きな人。
──私に人生をくれた人。
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