10.『適性試験』
謁見を終わらせたわたしは、灰色の髪に目の死んでいるメイド、エルタニアに連れられて椅子と机が置いてある部屋へ通された。
一目見たときから、わたしには気になっていることがあったのだ。
「ソフィーヤさんとエルタニアさんって、ご兄妹ですか?」
「腹違いの兄です。アークラス家は、ブラックデッド家に対抗するために優秀な血を欲していますから。ソフィーヤ様を兄と思ったことは一度もありません。三大将軍として尊敬しています」
「……そう、ですか」
無表情のまま言い連ねられると、胸がなんだかもやもやしてくる。
「それよりも、私に対して敬語は止めてください。あれほどの啖呵を皇帝陛下の前で切ったのです。陛下はそれを咎めませんでしたが、本来であれば不敬罪として処断されてますよ」
「あ……うん」
あの時のわたしはどうにかしていたと思う。
一度の不注意に任せて皇帝に敬語を用いなかった。その結果があれだ。間違えればブラックデッド家が潰されていてもおかしくなかった。あの皇帝はそういう女だ。三大将軍を輩出する一族だからといって躊躇することはなく潰すだろうと確信できた。
いつからこの国はこんな魔境になってしまったのだろうか。歴史書を捲っても元からこんな感じだった気がする。辛い。
「しかし、陛下はあなたを認めました。それすなわち、部下に対して敬語を使うということは、皇帝陛下よりも部下のほうが上と判断したということ。陛下の名を失墜させることを意味します」
「へっ、そんなムチャクチャな……!?」
「ムチャクチャなのが皇帝陛下なのです。ご理解を求めます」
この国に、皇帝よりも立場が上の存在などいない。つまりこの国にいる限り、わたしは敬語を使ってはならない。……いや、あの皇帝のことだ。他国の王さえも下に見ているに違いない。
……もしかして一生、敬語とか使えない……?
「どこが不都合のない楽園なんだよっ! 都合が悪すぎて息苦しいよ!」
「その調子です」
死んだ表情筋を見せられて反射的に固くなってしまう。
「……あ……その、す、すいませ──」
「敬語」
「くそぉおおおおおおっ!」
閑話休題。
「説明を始めてもよろしいでしょうか」
「……はぁ、はぁ。お願いしま──よろしく頼むぞ」
一息ついたわたしに、エルタニアは涼しい顔で頷く。
「では、聖女適性試験を開始します。まずは、こちらの書面にあなたの血を」
差し出されたのは羊皮紙だ。物々しい字体で書かれた読めない文面がずらりと並んでいる。
「えっと」
「魔導文字です。あなたの血液より、魔力量と魔法適性を判断します」
「分かった。……なあ、ナイフとかはないのか?」
エルタニアは首を傾げて、空間魔法の穴から禍々しいオーラを放つ巨大な剣を取り出そうとしたところで、慌ててわたしがそれを止める。
おい、何を取り出そうとしたんだ、今。
もしやこのメイドもどき、ポンコツなのでは?
「……分かった、分かったよ……!」
自分の人差し指の皮を軽く歯で裂いて血を一滴垂らす。羊皮紙に光の文様が浮かび上がり、黒々とした魔導刻印がバラバラ分解され、別の文字として浮かび上がる。
「──これはこれは」
エルタニアが息を呑み、わたしも覗くと──
「……読めないんだけど」
「魔導文字の解読は見習い聖女の座学で必修なので、今はまだ読めなくても大丈夫です。私が代わりに読みましょう」
「なんか、恥ずかしいな……」
なんというかすーすーする。
「自分の能力値を自慢気にさらけ出すのは、公道で恥部を露出するような愚かしい行為です。正しい感覚ですよ」
例え方っ!
「おまえ、もしかして変態か!?」
「失礼ですね。ほら、帝国語に書き直しました。自分の目で確かめるといいでしょう」
なんとも言えない気分のまま、貰った別の紙を覗き込む。
「やっぱり、回復魔法しか使えないな。それに、魔力量もこれだけか……」
「回復魔法は聖女になるためには必須条件です。良かったではないですか。魔力量も年にしては規格外……流石ブラックデッドの血ですね。回復魔法が発現せずに涙する人も多い中、あなたは叶ったのです。何が不満なのですか?」
目を伏せる。
姉であるドーラが一度だけ見せてくれたあの魔法がわたしは忘れられない。光の剣というより、光の柱の束を振り下ろして山脈の一部を消し飛ばしたあの魔法が。
ブラックデッドがブラックデッドであるが所以。その膨大な魔力量と極限まで尖らせた攻撃魔法。アリスも受け継いだそれを、わたしは欠片も受け継げなかった。
それを寂しく思ったり、嘆いたこともあったけれど引きこもっているうちに考えが変わったのだ。
別によくない?
てか、そんなのいらなくない? と。
戦ったら相手を殴ることになるのだ。相手を殴れば自分も殴られるのは当然の摂理。つまり──
殴られたら痛いじゃん! 痛いのは嫌だ!
こうしてわたしは引きこもって平和主義をやっていましたというわけ。偉いでしょ? えっへん。
わたしは目を上げて、笑う。
「ううん、何でもないよ」
そんなわたしを相変わらずの無表情で眺めながら、エルタニアは帝国語でわたしの能力が書かれた紙に息を吹きかけて灰にする。その魔法、かっこいいな。
「では、次は筆記試験です」
羊皮紙のインクが動き出す。今度はしっかりと読める文字に変わって、動きが止まる。
最初に書かれているのは。
『位相が等差数列ならば、複素指数関数と等比数列の和を用いて三角関数の和を計算できる。その根拠を示せ。※公式を用いる場合は、その証明も共に記せ』
……? …………? ………………?
そんな訳のわからぬ文言が、一問からずっと続き、十問まで。
やべぇ、全く分からない。
「では、一時間の総合筆記試験を開始します」
「え、なにこれ……こんなの分からな──」
「帝国における初等レベルの数学から皇帝直々の殺戮論まで。皇帝陛下に大口を叩いたあなたならば、これくらい余裕でしょう。応援していますよ」
あっ、今、にまあってしたな!
しかしまずい。かなりまずい。こんなことならばもっとしっかり学校の勉強をしておくべきだった……。
それから一時間、わたしは必死にペンを奔らせ続けた。難しかったのは最初のほうだけで、後は時間がかかったもののなんとか答えらしきものを導き出せた。
基本的な外国語を教えてくれた父、殺戮論にめっぽう詳しいうちの家に、今だけは感謝したい。
「お疲れ様でした。やればできるじゃないですか」
「……こんな数学、なんの、役に立つんだよ……!」
「特に役には立ちませんが」
世界の真理を覗いた。
「世の中そんなもんです。改めて、お疲れ様でした」
がっくしと肩を落とすわたしに、出会った時より柔らかい印象でぽんぽんと背中を叩き、薄く微笑むエルタニア。
ちくしょう。ちょっと可愛いと思ってしまった。
──ここからは自由時間です。明日の勇者召喚まで王城に宿泊する部屋は用意してあります。双方希望すれば相部屋にすることも可能です、そして夕食のメニューは──
そんな雑事をエルタニアから言われたが、疲れたわたしはほとんど聞いていなかった。
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