9.5.『血染め』

 リリアスが出て行った玉座の間は、それはそれは和やかな笑みで溢れかえっていた。地面に伏して床を叩いて笑っている人もいる。


 そんな光景を、ソフィーヤはただ黙って見ていた。


「まさかブラックデッド卿が来たときは驚きましたな! 『自慢の娘がこれから来るんだ、喝采の準備を忘れるな』……でしたっけ?」

 と、針金のような貴族が。


「ブラックデッドといえば殺す以外何もできない野蛮人どもの一族ですもの。そんな一族が聖女の地位に娘を座らせたいなど、お笑いですわね」

 と、太めかしい貴族が。


「馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。見ましたか──あの悍ましい白髪と青い目。まるで自らをブラックデッドとは違うと示しているみたいじゃないですか。一番恐ろしいのは自らを偽り、心に入り込もうとするような連中ですよ!」

 と眼鏡をかけた貴族が。


 ルナニア帝国に、貴族の序列はない。


 隣国には公爵から男爵まで様々あるというが、帝国では十二の大臣を伴う『内閣』、『大聖女』を頂点とする『聖堂委員会』、三つの『学術棟』、そして『三大将軍』と三十二師団を擁する『帝国軍』が皇帝を中心としてまとまっている。


 貴族というのは皇帝が戯れに認めた、少し高い地位に過ぎない。実際は皇帝にとって、民草と貴族は何も変わらないのだ。


 それなのに、増長して皇帝に意見できる立場だと思いこむ彼ら彼女ら……全く嘆かわしい。祖先の勲功を自らのものだと考え、礼儀も弁えることのできぬ愚か者どもめ。


 ──少し、増え過ぎたな。


 そんな『貴族』のリーダー格らしき痩身の男が皇帝の玉座まで擦り寄ってきた。その瞳の奥に渦巻くどこまでも肥大化した欲望には、流石のソフィーヤも顔をぴくりと揺らした。


「あのブラックデッドのことなのですが、もしも聖女として役に立たぬと判断した場合は、わたくしのデミトフ家まで下さいませんか? 必ずや教育して使い物にしてさしあげましょう」


「……」


 皇帝は貴族を一瞥もせずに爪を弄っている。

 そんな皇帝の様子など目に入らないように喜色を顔に散りばめて、両手を大きく広げた。


「あの小娘の礼儀と礼節を一から鍛え直し、魔力量を上げるために薬剤を投与して──ああ、地獄のような苦しみを味わうやもしれませんが別段と気にする人もいないでしょう……なにせ、あの娘はブラックデッド家の失敗作なのですから」


 取り巻きの貴族たちが失笑する。

 彼らは究明棟の一派であり、表面上は帝国の未来を切り開いているが、その奥底には権力と金の醜い欲望が膿んでいる。


 ソフィーヤは彼らが他国に帝国の内部機密を金で取引していることを知っていた。


「恐らく、ブラックデッド卿は厄介払いをするためにあの娘を聖女にしたがっているのでしょう。失敗作を都合のいいように使う口実です。そんなものに、皇帝陛下が付き合う必要はないでしょう? ならば、ブラックデッド卿の意向にもそうように、こちらで利用して差し上げねば」


「おお、そうです! 前々からブラックデッドの血に興味があったのですよ! 伝承によれば竜の血を取り込んだ一族だと……少々過激な実験をしても問題ないでしょうね。私、異種交配に興味がありまして……」


「ふふふ……ブラックデッドの魔力はもはや彼らだけの専売特許ではありませぬぞ。血を抜き取って、筋繊維を一本一本調べて、内臓も……その先には帝国の兵士全員がブラックデッドの魔力を持ち得る未来があるのです!! その時にはどうか我らカルトラス家の功績を忘れずに──」


「もう結構。その不快な口を閉じなさい」


 貴族たちの表情が固まる。


「は……? 今、なんと」


「──聞こえなかったのか? 黙れと言った。臣下を嘲る口を、傍に置いた覚えはない」


 皇帝が手をゆっくりと上げる。まるで自然に。朝露の中を踊る曙光のごとく、魔力が静かに胎動する。

 誰も、貴族たちはそれに気づかない。


 ──ソフィーヤを除いて。


 だから、そっと、目をつむった。


「その身に流れる賢明な血はとっくに薄まって潰えたみたい。──この様子じゃ、リアのいう平和は万年の先にも実現しないでしょうね」


「それは、どういう──」


「貴方たちには関係のない話よ」



 パチンっ。



 瞬間、貴族たちの頭が破裂した。


 スイカ割りのスイカのごとく赤を噴き上げ、彼らは一斉に倒れ伏す。


 目を開けて数を数える。……今回は随分と多い。二十一人死んだ。皇帝が指を鳴らした、ただそれだけで。


 ソフィーヤは驚かない。なぜなら、皇帝の意図が分かったからだ。

 皇帝は、物凄く機嫌が悪かった。だから自身の機嫌を損なうものを排除した。それだけに過ぎない。

 今回の対象は、リリアス・ブラックデッドを嘲笑った者、全て。


「ねぇ、ソフィ」


「何でしょうか、陛下」


 優雅に足を組み直して、皇帝は欠伸を一つ。


「このゴミを片付けて」


「承知いたしました」


 皇帝に『ゴミ』と断じられた貴族たち──つまるところ、神殿で復活しても彼ら彼女らに、元の仕事はないということだ。


 それに……。


「彼らが帝国の内部情報を他国に売っていたという証拠が見つかりましたが、どうしますか──」


「どうするって? 当然のこと。殺すわ。一族郎党、赤子も皆殺しよ。それを言われなきゃ分からなくなってしまったほど、貴方は甘くなってしまったの?」


「いえ……」


「ならば殺しなさい」


 皇帝の金色の瞳は冷たく輝いて渦巻いている。


「今日限りでデミトフ、サフス、ロリタース、マブフー、カルトラスの五家は『この世から消える』。三十番台の師団なら好きに動かしても構わないわ。死霊の術を掛けて王城の壁に一月吊るすか、記憶と人格を処理した後に国外追放か……好きな方を選ばせてあげて。余は優しいから」


「御意に」


 これがルナニア帝国の『皇帝』。


 貴族といえども、言動の一つを間違えてしまえば徹底的に潰される。未明、帝国軍の大軍がこれら五家を取り囲み、全てを終わらせるだろう。

 彼らは、皇帝に対して選択を間違えたのだから。


「今晩の夜伽はあなただったわよね?」


「……はい」


「楽しみにしているわ」


 玉座から立ち上がり、伸びを一つ。悠々と自室に戻る皇帝に、ソフィーヤは心からの忠義の礼を行った。

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