第四話
「このチップを破壊した瞬間から、ゲームスタートだ」
気を取り直したユーレッドが、短冊をひらひらさせながら言った。
「一気にわさっとくるぜ。
「は、はい!」
ドレイクは静かに佇んだまま。しかし、いつもより剣呑な気配が強い。
何も言わないが、彼とて戦闘モードに入ったのだろう。
「いくぞ!」
ユーレッドが、ふわっと短冊を投げたと同時に剣を抜く。
ビシッと短冊が斬られると、裏側のチップが真っ二つに飛んだ。
その途端、ざわっとタイロにもわかるレベルで空気が変わる。
冷たい不気味な空気が流れ込んできて、寒気がした。
反射的に雑木林の方に目を向けると、木々の間から黒く凝ったものがぞわぞわと這い出して来る。見間違いではない。
「ユユ、ユーレッドさんっ!」
「ふふん、原初の囚人、泥の獣ってやつな。アイツら、ちょっとタチが悪いんだ。貪欲っていうかなぁ。また群れてるなあ」
ユーレッドはニヤリとするばかりだが、タイロはちょっと焦る。
「えええ、め、めっちゃ、多くないですか?」
木々の枝にべったりとまとわりつく黒いもの。タールのようなそれは、不定型でアメーバじみている。囚人に決まった形はなく、スライム状のものが多いが、取り込んだものの影響を受けながら、動植物、虫や獣、時にはヒトの姿も取る。今いるのは、形を持たない不定形型のようだが、柔軟に形を変えて木々にまとわりつくそれは、何の形にでもすぐに慣れそうな不穏な柔らかさがあった。不定形型はあまり強くない印象だが、何にでも慣れる素養のあるものは別だ。
そして、その黒さ。闇よりもどす黒い底知れない黒さ。それは、汚泥の濃度の濃さを示している。
タイロにだってそろそろわかるのだ。そういう囚人は強い。
「しかも、見た目からしてヤバそう」
「だから厄介だっていったじゃねえか」
ユーレッドは苦笑しつつ、
「早めに
「は、はい! もう今すぐ!」
とタイロが慌てて宣言する。
「コール!」
タイロにはちょっとした特別な力がある。それもあって、タイロはユーレッドたちの手助けをすることができた。どうやら獄卒としても、かなり訳があって古株の彼らに、かつてのような全力を出してもらうためには、タイロからの指示が必要なのだった。
タイロにそれを教えてくれた男は、それを召喚呪文と呼んでいた。一方で、ユーレッド達はそれを
その後、いろいろ教えてもらってはいるものの、いまだにタイロにはその本質的なところはよくわかっていなかったりするのだが、タイロが、決まった言葉で特定の指示を与えると、封じられている彼等の能力を引き上げることができるという。
従って、強敵と戦う時にはユーレッド達もタイロがそばにいた方が都合が良い。
タイロが、彼等のお目付け役として、彼等を担当しているのは、そうした事情もあるのだが。
しかし。
(今日はうまく『呪文』唱えられるかなあー)
プレッシャーがある。
呪文は、A共通語なのだ。
彼らへの指示は、基本的にA共通語が使われる。この世界では、A共通語はそれほど話者がいないし、日常会話を学ぼうという若者も少ない。
タイロも、外来語として取り入れられている言葉や簡単な単語はわかるけれど、とても苦手だった。
まず、コールと宣言をして、彼らに準備をしてもらう合図をする。それから、命令文みたいなものを告げるわけだが。基本、お決まりの言葉と適当な言葉で済むので、落ち着いて言えばよい。
とはいえ、やっぱり苦手。よく使う部分以外は、発音も全然うまくなっていないタイロである。
「Mr.U-Red.I'm calling you!」
と、そこまでは慣れているので良かったのだが、そこからは自信がない。だが、どうとでもなれとばかりに口に出してみた。
最悪、気持ちが伝わればどうにかなる……気がする。
「ターゲッテイッングエネミー! パワーリリース!」
案の定、べたべたの発音になったところで、ユーレッドがふきだした。
「ははっ、まったく、お前の"
ユーレッドはそんなことをぼやきつつも、きらりと瞳を光らせてタイロの“呪文”呼応した。
呪文を感知して、指示を受け入れると、彼等は目が青や赤にきらりと輝くのだ。
解放された力が全身を包むのか、ユーレッドが満足げに笑う。
しかし、その光る左目をタイロにむけつつ、
「マジで今度講習すんぞ! 集中講義してやる!」
「えっ?」
ユーレッドの言葉に思わずぎくりとするタイロ。
語学に堪能なユーレッドは、なんのかんのとガッツリ教えてくれるタイプなのだ。が、個人講習されてしまうタイロは、実はあんまり勉強したくない。
あと、ユーレッドの言う集中講義は間違いなくブートキャンプみたいなものだ。教え方は意外とうまいのだが、ユーレッドは何せ若干ドS。
いくら仲が良いタイロとは言え、今更そんなにガッツリ勉強するのも嫌である。
「ユーレッドさん、いや、こんな時にそんな……」
「予定入れとけよ! じゃいくぞ!」
ユーレッドはその反応を楽しみつつも、ざっと足を踏み出す。
解放された力にせかされるように、ユーレッドは前のめりに駆け出した。
彼に反応するようにぶわっと囚人たちが湧き立った。が、ユーレッドは、余裕でそれを予測して既に動いていた。
すでに抜き放っていた刀をざっと振るうと、まとわりつくように近寄ってきていた黒い影が飛び散った。
しかし、飛び散ったはずの黒いものは、ぬるりと集まって、またユーレッドに襲いかかる。
やはりただの囚人ではない。回復が早すぎる。
が、その攻撃を振り払い、避けていく。
余裕を崩さないまま、ユーレッドはくっくと楽しそうに笑ったものだ。
「ふははっ、なんか懐かしいな、この感じ。なるほど、古いだけあって汚泥濃度も相当なもんだ。こんな人のいるところで、こういう奴らが残ってるとはな」
ユーレッドは、高ぶる気持ちを笑みで抑えつつにやりとした。
「あけちゃいけねえタイムカプセル開けちまった気分だぜ!」
ぶわりと黒い塊が、人の腕に似た巨大な触腕を作り出し、ユーレッドを握り潰そうとするのを、彼は正面から切り崩した。
「わあー、なんかすごい」
順調に戦うユーレッドを見守りつつ、一回指示を出した後は、タイロはとりあえずやることがないので、まったり観戦状態だった。
「ユーレッドさん、のりのりだなあ」
きゅきゅ、と頭の上にいるスワロが鳴く。
戦闘時はスワロはユーレッドの補助につくが、今日はタイロの頭の上にまだ鎮座していた。
それは、ユーレッドが余裕があると判断したことと、タイロの護衛に置いていったということだ。
「あいつら確かに強敵だけど、俺、なにもしなくていいやつじゃない?」
コールやらオーダーやらすることで、ユーレッドたちにかけられた制限を取っ払い、本来の力を引き出すことができるタイロだが、実は一度指示をすると、あとは彼自身はさほどやることがない。
その能力は彼だけに与えられたものであるが、言ってもタイロの力はそれだけのこと。
彼らの戦闘ぶりを確認して、危険そうなら追加で解放の指示を出したり、強化したりすることはできる。
しかし、大体、素人のタイロが判断するまでもなく、ユーレッドはこういうことにはプロなのだ。向こうから必要な場合は、指示が来る。むしろタイロが素人判断で余計なことをする方が邪魔なのだ。
ということで、一旦コールした後のタイロは割と手持ち無沙汰になりやすかった。
「俺、冒頭だけいたら、あと、用済み感あるよね」
と、タイロを忘れたかの如く楽しそうなユーレッドに、自分の存在意義を考えてしまうタイロだった。
きゅ、とスワロがそんなことを言うもんじゃない、とばかり、たしなめにかかったのだが。と、鋭く、ぴっと警告した。
タイロの余裕が、スキを作ったのか。
ふっと黒い塊が視界に入る。目の端に映ったのは、アメーバ状の泥だ。いつのまにか囚人に接近を許してしまっていたのである。
それが一気にタイロを飲み込むべく、蛇ににた形を作る。
「わ!」
そんなドス黒い泥に、タイロははっと息を飲んだ。
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