第三話

 獄卒のチェックは、案外すんなりと進んでいた。

 カドに対してなのか、それとも、獄吏にはそれなりに素直に応じる主義なのか、どちらかわからないが、彼は協力的である。

 先程、先輩獄吏に絡んでいたので面倒な奴かと思ったし、彼の異様な気配にも焦ったが、すいすいチェックが進むのは正直ありがたかった。

 ただ、控えめながらちらりと雑談を振ってくる獄卒が、意外にも親しみのある表情を不意打ち気味に向けてくることがあり、うっかり心を開きかけそうになるのが困る。

 別にカドは愛想のいい男ではないし、獄卒相手に愛想笑いなどしようものなら、たちまち相手が調子に乗る。だから笑うわけにはいかないのだが、どうもこの獄卒は不思議だ。

 強烈な殺気を放って異様な気配だったはずなのに、カドに対しては謎に優しく、かなりギャップがある。もしかしたら、彼の優しさは、自分がまだ若造でひよっこだからかもしれない。そう考えるとカドとしても複雑なのだが。

(なんだろう。そういう懐柔する技術とかあるやつなんだろうか)

 獄吏と仲良くなっておくのは、彼らにとっては得なことだ。便宜を図ってもらったほうが便利なのだし。

 この目の前の獄卒にしても、前の担当者からは顔パスで通してもらっていたらしい。自分にもそうして欲しいから、優しくしてくるんだろうか。

 カドは少しもやもやしてしまう。

 しかし、あからさまにくってかかることもできない。

 外見からは強そうにみえない部分もあるが、彼にはベテラン獄卒の凄みも感じる。カドは結局様子見をしてしまうのだった。

 彼の持ち物は、刀が二本と短剣や規制に沿った火薬類、通信機器類、そしてまずいと評判の携帯の固形食料と、缶コーヒーが一本。さほど怪しいものは持っていない。

(このまま通しても良さそうだな)

 カドは頷いた。

 彼のチェックがこのまますんなりすみそうなので、少し安心したところで、列の後方でわっと声が上がった。

 何か騒ぎが起こったようだ。

「喧嘩か?」

「んんー?」

 と目の前の獄卒がのんきに唸る。

「ああいや。あれは、……」

 と、悲鳴が上がった。獄卒がにやりと不穏な笑みを浮かべる。

「どこぞの阿呆が連れ帰って来ちまったかなア」

「おい、やばいぞ!」

 先輩獄吏が、やや慌てていた。続けて響く悲鳴。

 これはいよいよ異常事態らしい。

 カドも思わず血相を変えた。

 先輩たちが、わたわたと後方に命令している。

「誰か対囚人用銃器もってこい! なんとかしねえと」

「どうしたんですか?」

 かけだした先輩獄吏の名前を呼んで、カドも慌てて飛び出しかけたが、ふと肩を引っ張られた。

 と、振り返ると例の獄卒が苦い笑みを浮かべている。

「な、何だ?」

 思わず虚勢を張って尋ねると、獄卒は首を振る。

「いやさ、先輩に任せておいたらどうだ。アレなあ、仕事終わりは、あんまり見るの、おすすめしねえんだがなあ」

「何を言っている?」

「晩飯がまずくなるぞ」

 直球でそういって、獄卒はため息をつく。

「まあでも、小僧にだって仕事はあるよな。無理せずに行ってきな」

 獄卒はそれ以上止めることはない。

 カドは慌てて駆け出して、先輩の背をついていく。

 列の後方は、黄昏の荒野の赤い光に包まれている。そこで絶えず、大声が聞こえていた。悲鳴や怒号。見るまでもなく、音だけでわかるほど、修羅場の様相を呈していた。

 遠巻きにして避難している獄卒達を押し除けて、前に出る。先輩獄吏たちは武器を手に固まっていた。

「ど、どうしたんですか? 何が」

 と、先に到着していた先輩獄吏に尋ねかけ、カドはうっと詰まった。

 視線の先で、獄卒の数名が倒れている。血を流しているらしいが、どうみても重傷だ。

 そして、彼らがざわついている視線の先に、巨大な口のついた芋虫のような形の大きな黒い塊が蠢いていた。

 カドは思わずさっと顔を青ざめさせた。

囚人プリズナー!」

 ぎゃあっと声が上がったのは、先頭で対応しようとしていた獄卒が、真っ黒な触腕に弾き飛ばされたからだろう。カドは思わず目をそらす。

 いくら大嫌いな獄卒とはいえ、襲われた彼らの凄惨な姿を見るのは心穏やかではない。

 そして、獄卒達を襲っているしゅうじんは、タールのように黒い巨大な体を蠢かせながら、暴れていた。その姿は生理的嫌悪を催す。

 それにしても、大きい。

(なんだ、あのでっかいのは)

 治安維持局にいたカドは、実戦が初めてというわけではない。対囚人戦もしたこともあるけれど、その時は、街中に入り込んだ囚人に対する掃討戦でこんな大きな囚人は出てこなかったのだ。

 囚人は荒野の方が凶暴化し、巨大化しがちだ。彼らの餌も彼らを構築するものも多量にあるし、彼らの住みやすい環境がそろっているからであろう。

 獄卒を荒野に向かわせるのは、おおよそそのようなことからである。

 フェンスの近くに囚人が来ることは稀にあるし、それを撃退するのはゲートの獄吏たちの仕事ではあるが、今日の囚人は明らかに相手が悪い。おそらく荒野の深いところから、獄卒について紛れ込んできたのだ。

「まずいぞ。列後方の連中は、獄卒でもあまり成績が芳しくないやつらばかりだ。協力を得られそうにない!」

 先輩獄吏たちがざわめく。

 囚人狩りは、獄卒の方が専門だ。非協力的な立場の彼らとて、この状況では協力するのだが、後列にいた獄卒たちは精神の不安定さが増しているものも多く、成績もあまり良くないものが多い。今も思わぬ強力な囚人の襲撃に怯えてしまっているものが半数、闇雲に攻撃を仕掛けてやられそうになるものが半数、と言った具合で、応援としては頼りない。

 そして、囚人もまた強烈だった。

「あんなでかいやつ、どこから紛れ込んできたんだ! あんなやつ戦闘員コマンドでも呼ばなきゃ、俺たちの武器じゃ無理だぞ」

「くそ! しかし、応援頼んでも、戦闘員コマンドの応援の到着には時間がかかる。ゲートを閉じて応戦しなきゃ!」

「なんか役にやつ武器持ってこいよ!」

 先輩獄吏達が対汚泥の銃器を手にしているが、彼らも、このレベルの囚人との戦闘は初めてらしい。半ば焦っていた。

 ゲートでは、時折こうした囚人の襲撃は起こるのだが、今日は列後方に並んでいた獄卒についてきていたものか、大物が誘導されて荒野の奥からきてしまったのだ。

 どしゃあっとカドの目の前に、倒された獄卒が倒れ込んできた。もはや意識はなさそうだ。

「う」

 カドは思わず倒れ伏した獄卒を見てしまって、吐き気を覚える。情けないと思うし、実際、そんな場合ではないのだが、生理的に気持ち悪くなってしまう。

「カド!」

 先輩獄吏に声をかけられて、カドはハッとした。

「後ろに下がって、救援頼んでこい!」

「しかし、俺も……」

「お前みたいな新米の手に負える相手じゃねえ! 俺らでもこんなやつ……」

 ぐっとカドは歯噛みした。確かに言われる通りなのだ。

 多少、腕に自信はあったものの、それでも目の前にあれほどの囚人が現れてしまって動揺してしまっているようでは、足手纏いになるだけだった。

 カドは悔しい気持ちを飲み込みながら、先輩の命令通り救援を求めるために踵を返そうとしたが。

 その時。

「あーあ、誰だ。こんなやつ連れ込んだの」

 と不意にカドの背後から、気だるい声が聞こえた。

 ぎょっとしてカドが振り返ると、例の獄卒がいつのまにやら佇んでいる。

 黄昏の夕日に溶け込みそうに、ゆらゆら立っているのは、なんだか人間ではないみたいだ。

「こんなデカブツに後をつけられたのにも気が付かねえとは、あーあ、情けねえなあ」

 獄卒の声は、ハスキーで気怠く、この場に似つかわしくない。

「まあ仕方がねえかっ。獄卒の耐用年数は五年とか言われているし、イカれるやつは後を絶たねえし、……てなると、こういうことも起こりうるってわけな」

 獄卒はそういうと苦笑した。

「こら、貴様!」

 先輩獄吏が注意するが、獄卒は特に気にしたふうもなく、マイペースにゆらっと前に出てきた。

「なんだよ、困っているんだろう? せっかく、助けてやろうっていってんだぜ」

 と言ったところで、男が軽く顎を撫でた。

「ああ、なるほど。お前も新米同様、あんまり俺のことをしらなかったか」

「何を言ってる?」

 獄卒は特に返答せずに、ニヤリとした。

「……いいぜ。この貸しで、今度からお前、俺を顔パスにしろ」

「何だと?」

「安いもんだろ? ここで怪我すんのも、突破されて犠牲者出すのも随分高くつくぜ」

 そういうと獄卒は、ふらっと足を出しながら、胸ポケットから電子煙管を取り出してくわえ、一息吸う。それは煙草に見せかけていたが、確か、補給用サプリメントだ。先ほど、チェックした時に獄卒にも確認した。

「これは終業後のサービスなんでな。本来なら、もうちょっと対価払って欲しいもんだが、まあいいさ。それぐらいで勘弁してやるよ」

 ずいっと彼は前に出てくる。

 獄卒の雰囲気が、先ほどよりさらに危険になっていた。カドでもわかるほど、張り詰めた鋭い気配に変わっている。

 ゲート付近を出て荒野側へ入り込むと、獄卒の赤褐色の左目に夕陽が入り込んで、真っ赤に燃え上がるように見える。

 なんとなく気配が希薄なようでいながら、強い殺意が彼から放たれていた。

 荒野に踏み出した彼は、囚人と同じ魔物側の存在のように、黄昏の世界に染まってしまっていた。

 その気配に、流石に気おされてしまって、先輩も何も言わない。

 獄卒は、そんな中を悠々と囚人の前に出て行った。

 もう一度、すうっと煙を少し吸ってから、懐に直す。

 獄卒達を襲っていた囚人は、新たに歩み寄ってきた獲物を前にして、どこにあるのかわからないが、目らしいものを向けたようだった。ぴたっと照準をつけたようになる囚人だったが、獄卒は焦った風もない。

 囚人の芋虫のような体に大きな口が開いており、牙がのぞいている。そのねばついた口がゆらりとその獄卒の方に向いた。

「ちょうどよかったな。四匹じゃどうも中途半端だと思ってたんだ。五つ星揃える方が、今日の気分に合ってる」

 獄卒はブツクサと独り言のようにいう。

「仕事終わりで疲れてんだが、まあいいや。ちゃんと仕上げた方が、気持ち良く寝れるってもんだぜ」

 獄卒がそう言った時、ぐわっと囚人の黒い体が彼に向けて動いた。鋭い牙が獄卒に向けられる。

 しかし、獄卒はあくまで冷静に飛び出す。懐に入り込むようにダッシュした後、鞘に納めていた刀をするりと抜き放った。

 たたた、と小刻みに距離を詰めると、囚人の体から触腕のようなものが伸びてきたが、彼はそれを抜き放ちざま切り落とす。

「なるほど、やっぱり、荒野の奥にいたやつだな。おまえ。汚泥の濃度が桁違いだなあ」

 獄卒はそういってニヤリとし、追撃を軽くかわした。

「廃用寸前のラリった獄卒にゃ、荷が重いのは当たり前だ」

 と、獄卒は素早く囚人の体を切り裂く。囚人の体の汚泥が飛び散るが、獄卒はうまく返り血を避けていた。

(すごい。なんだ、あの動き。無駄な動きがない)

 獄卒の動きは素早く、そして、滑らかだ。体重移動だけで動いているようなもので、思わず見惚れてしまうぐらいである。

 カドは素直に称賛したが、

(でも、あれ、囚人が大きすぎて、大してダメージが通っていない気がする)

 不死身にした獄卒を向かわせて手こずるほどの相手である。当然、不定形な形になれる囚人も、生半可に倒せる相手ではない。その中でもあの囚人はあの巨体だった。

 コアまで到達する前に、汚泥の分厚い層があるのだろう。

 獄卒を仕留めるにしても識別票を埋め込んだコアの破壊が鉄則だという。囚人も同じでコアの破壊が必須だ。しかも人の形もしていない。どこに核があるかもわからない、その不定形の巨大の中で拳大の核を見つけて破壊しなければならないのだ。

 核は表面ではなく内部にある。汚泥を切り裂いていくのも一つの手ではあるが、敵が大きい場合はさして効果が薄い。

(どうするんだろ。あのひと)

 とカドが不安になった時、ふっと獄卒は攻撃をやめ、その視線が囚人の尾の方を向いた。きらりと夕陽の赤い光線が、彼の虹彩に走る。

「そこか! たぞ!」

 獄卒はにやりとすると、囚人が大きな口を開けて飛びかかってくるのを、軽やかな足取りで避け、蠢く尾のような部分を切り裂く。尾が切り離された瞬間、口のある頭の方が不規則な動きになる。

「は! 逃すか!」

 獄卒はそれを無視して、びたんびたんと蠢く尾を踏みつけた。尾の部分から口のようなものができあがって、彼に襲い掛かろうとしていたが、獄卒が真上から真っ直ぐに切り下ろす方が早かった。

 うっすらと刀身が青く光った気がしたが、それは一瞬のことで、カドの見間違いかもしれない。

 黒い汚泥が飛び散ると同時に中の核が断ち切られ、虹色の液体が空中を舞う。

 地面に縫い付けられるようにして一撃を加えられた囚人は、痙攣するように引き攣った後どろどろと地面に溶けていく。先に切り離されていた上半身の部分も、ぬるぬるとした泥をこぼしながら溶けていく。

 獄卒の男は、暗く飛び散る汚泥の中で暮れゆく夕陽を浴びていた。

 それは倒された囚人以上の魔物のように禍々しいが、同時に魅力的な煌めきを帯びていた。

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