第四話
傾いた太陽がけぶる荒野を霞ませている。
完全に囚人の
多少息は上がっているようだったが、それも深呼吸をするとすぐにおさまる。
「ちッ、意外と面倒だったなア。集団で来られたら厄介だったぜ。スワロ、識別票スキャンしてくれ」
きゅ、とだるまのようなアシスタントが、返事をして囚人の残骸の汚泥の真上に浮かんで、何かの情報を収集している。おそらく識別情報をスキャンしているのだ。それにより、この囚人を倒したという成績が、この獄卒に付与される。
流石に最後の一撃で、彼も囚人の黒い返り血を多少浴びていた。
獄卒は、ジャケットに降りかかった汚泥を、ジャケットの内ポケット取り出した懐紙のようなもので拭った。専用コートが施されているためか、汚れは簡単に拭い取れていた。
彼は右手が使えないので、刀の刀身については、振り落とした後、地面に突き立てつつ拭った上で鞘に収めていた。
その動作の間、獄吏たちは呆然と見守るばかりだった。
獄卒達からも特に喝采もなく、彼以外には妙な緊迫感が残ったままだった。
「さて」
と獄卒は、マイペースに作業を済ませると、肩に戻ってきたアシスタントを撫でやって、先輩獄吏に言った。
「後の掃除はよろしくな。掃除は俺の仕事じゃねえんで」
現場は、なかなかの惨状だ。
囚人が巨体だったこともあり、そこには直径五メートルほどの汚泥の沼ができている。
ああ、そうそう、と彼は付け加える。
「他の獄卒のやつ、はやいとこ医療棟送っちまえ。派手にやられているみたいだが、ま、大丈夫だろ。精神やられて再起不能なやつはいるかもしれんが、肉体修復ぐらいできんだろ」
これぐらい、と彼は軽く言う。
倒された獄卒の状態は、カドの正視に耐えないような状態だ。ほとんど死体同然だが、その獄卒は平然といった。
彼は他の獄卒達を特段仲間とも思っていないらしい。その口調はいかにも他人事で、非常に冷たい。
「ということで」
と彼はぼんやりしていた先輩獄吏のそばを通りざま、視線をチラッと向ける。
「ちゃあんと片付けてやったんだからよ。……今度から顔覚えて、ノーチェックでパスしてもらいてえもんだな。ID出すの面倒くせえんだよ」
ややも呆然とする先輩獄吏をみて、カドもまたぼんやりと彼を見送っていた。
もう魔界のような気配を漂わせる荒野からゲートの中に入っていたけれど、やはり彼は魔の気配を帯びたままだった。
カドはその背中を見送っていたが、取り憑かれたような足取りで後を追った。
獄卒は私物を広げたままのチェックカウンターに戻って帰る準備をしているようだ。
「あの」
獄卒はきょとんとカドを見た。
「あん、どうした。小僧。チェック、まだ済んでないのか?」
「いえ。そうではなく」
「あ、ありがとう、ございました」
カドは素直に、そんなふうに礼を言う。
獄卒に素直に礼を言ったのは、初めてかもしれないが、カドは思わず
本心でそう述べた。
獄卒はますますきょとんとしたが、一拍置いて、くくくっと笑う。
「別に。お前らのためじゃあないぜ」
と獄卒は肩をすくめる。
「お前ら獄吏に恩を売っておいた方が、俺がやりやすいし、ついでに中途半端な星も揃えられたしな」
それよか、と彼は言った。
「まー、でも。現場に慣れてそうな先輩はともなく、お前には悪いことしたなーって」
そう言われて首を傾げると、彼はいう。
「別に俺はあんなクズ共どうなってもいいんだけれどよ。ほとんど死体なアイツら回収して医療棟に送るの、お前たちだろ。まあ、そういうのは先輩やら、指示された獄卒なんかがやるだろうけど。汚泥の掃除も厄介だしなあ。仕事終わりにやるとげんなりするよな」
獄卒は、机の上に出していた私物をジャケットにテキパキ戻しながら、
「俺がもうちょっと早く気づいて、荒野で片付けてやったら、よかったなあって。ちょっと思ったりしてな」
荒野で倒した囚人は基本的に放置される。獄吏の手を煩わせることはない。
カドの目にも触れなかったし、カドが対応にあたることもなかっただろう。
獄卒が言っているのはそういうことだ。ゲートの近くだからこそ、カド達による清掃が必要になったのだ。囚人の残骸は汚泥だ。まだ汚染する力はあるため、撤去は困難である。
と、獄卒は、自分の私物に手付かずの缶コーヒーがあるのに気づいた。
それを左手でつまんで、彼はひょいとそれをカドに渡す。
「ま、今回はこれで許してくれな」
一応、収賄的な行為になるので、形骸化したルールではあるが、獄卒からものをもらってはいけない。が、カドは、反射的に会釈してもらってしまった。
「じゃ」
あっけにとられているカドを尻目に、さらっと獄卒はそのまま行ってしまいそうになる。慌ててカドは彼を呼び止めた。
「あ、あの、お名前を教えてください」
カドは慌ててそういった。
「次に通っていただいた時も覚えているようにしたいので」
獄卒は再びきょとんとした。
「俺? データにあるだろ。UNDER18−5−4ってのが……」
といいかけて、ああ、と獄卒は言った。
「通称名の方か?」
「はい」
獄卒に堕ちると登録名がなくなる。評価に続けて番号が与えられ、その番号で呼ばれるのだ。しかし、それではお互い呼びづらいので、何らかの通称名が存在する。
「俺はユーレッドでいいぜ。そう呼ばれてるしな。お前は?」
「カドです。トオル・カド」
「へえ。それは奇遇だな。ゲートを守る門番にはぴったりじゃねえか。ここ。つまんねえ仕事に思えるだろうが、結構重要なんだぜ。チェックも手際良くて、早かったし、お前には、意外と向いてるかもな。チェックされる獄卒イラつかせねえのは才能だぞ」
とほんのり褒められて、思わずカドが照れるが、獄卒本人は気づいていないらしい。
「ふふっ、それじゃあ、カド、今度は俺のことは顔パスで頼むぜ。今後ともよろしくな」
獄卒UNDER18−5−4、通称名ユーレッドはニヤリとして、例の丸い小さなアシスタントを肩に、颯爽とゲートをぬけていってしまった。
カドは、それをぼんやりと見送ってから、気づいたように手の中の缶コーヒーを確認した。
それはただの生ぬるい常温の缶コーヒーだ。しかし、カドはそれを大切そうに抱えている。
これからの掃除や後片付けのことを思うと、ユーレッドのいうように、カドももう少しげんなりした気持ちになってよいものだったが、それよりも、妙な高揚感の方が強く現れていた。
カドは煌めく瞳で、獄卒が扉の向こうに出ていくのを見送ると、ぽつりとつぶやく。
「かっこいいな、あの獄卒」
口にするつもりもなかったが、うっかりとそう呟いてしまったものだった。
*
「やれやれ、最後に一仕事する羽目になるとはなー」
ユーレッドがそう呟くと、肩のスワロがきゅ、ぴ、と鳴いた。
「半分楽しんでいたくせに」といわんばかりに呆れているらしいが、ご主人のユーレッドはそれが聞こえていないようだった。
自律型のアシスタントのスワロには、高性能な人工知能が組み込まれているらしく、スワロには自我がある。
「なんだ? なんか、お前、機嫌悪くね?」
なんとなく、つーんとしているスワロに、ユーレッドは不可解そうに首を捻る。
また、ご主人は善良な若者をあくのみちに引き込んで!
と、スワロはちょっと怒っているのだ。
ユーレッドの過去をスワロは全て知っているわけではないのだけれど、彼は、かつて大昔、何故か遊園地で働いていたことがあるらしい。本人は嫌々働いていたというのだが、その時に言うことを聞かない子供や騒ぐ若者を自分に惹きつけて、結果的に従わせるという技術を身につけたらしい。
彼自身も子供が好きなのだとは思うが、昔の癖でなにかとかまいに行っては、結果的に相手の好感を得てしまう。本人はわざとでもなく、自覚はなさそうだが、無意識に性別問わずに青少年をたぶらかす。その辺もなんとなくスワロには面白くない。
そんなスワロの気持ちをユーレッドは、あまりわかっていないらしい。
ゲートを抜けると、形ばかりの待合室がある。まれに待ち人がいるが、基本的にがらんとした部屋だ。
特に自分には用事がないものと、ユーレッドはそのまま通りすがろうとしたのだが。
「ユーレッドさん、お疲れ様ですっ! おかえりなさい」
「うお」
急に元気な声がかかって、ユーレッドはやや驚いた。
目の前に現れたのは、のんびりとした雰囲気の童顔の青年だ。その彼が、タイロ・ユーサという名前の獄吏であることは、ユーレッドにとっては既知である。
というより、近頃、かなり頻繁に顔を合わせている。
ユーレッドの肩にいたスワロが、きゅきゅっと鳴いてタイロの方に向かう。
「スワロさんもお疲れ様あ!」
タイロはスワロを労って撫でてやる。
スワロは、彼にかなり懐いている様子で、そのまま、タイロの頭の上に乗った。
ご主人のユーレッドに対しては肩より上に乗らないスワロなので、ある意味、タイロを格下に見ているということではあるのだが、タイロは特に気にしていない。だいたいタイロは、スワロを「ちゃん」づけで呼ぶことを許されていないのだ。
実際、スワロにとって、タイロはちょっと不安なところもある可愛い弟みたい扱いであるらしい。
一方、不意打ちをくらったユーレッドは、目を瞬かせていた。
「お前、なんでここにいるんだよ」
「なんでって? 今日、帰り待ってますよって伝えてませんでしたっけ?」
きょとんとした様子でタイロは瞬いた。
「いやそうじゃねえよ。こんなとこでなく、その辺の
「あー、そこで待ってようと思ったんですが、客層がすごく怖いし、隣で怪しいお金儲けの話が始まったので、やっぱ、ここで待つことにしました。ここだと獄卒の人はよく通りますけど、俺がユーレッドさんの担当の獄吏だってわかってるから、皆さん絡んでこないですしね」
ユーレッドは、獄卒の中でもそれなりに問題児として有名だ。エースの成績ではあるが、気に入らない獄卒から喧嘩を売られようものなら、先にエモノを抜かせてから返り討ちにしてしまう。
獄卒同士の同士討ちは禁止であるから、ユーレッドの側にも減点はあるが、正当防衛であるので、ユーレッドが一発で懲罰を食らうことはまずない。
そんなこんなで万年UNDER評価が板につき、獄卒仲間からもやや一目置かれ、恐れられている。それもあり、彼が可愛がっているこの若い獄吏に面と向かって絡むものは少ない。
「お前はなあ、思いっきり俺の威をかりてんなあ」
「はは、そうじゃなきゃ、俺なんて獄卒さん達のいるところなんて、怖くてこられないですよー」
ねえ、スワロさん。
とタイロは同意を頭の上のスワロに得ながら。
「でも、今日、ちゃんとゲートから帰ってきてくれたんですね」
「お前が仕事帰りにここで待ち合わせするから、って連絡よこしたじゃねえか。脇道だと、お前みたいなひよっこには危ねえ場所しかねえから、独り歩きさせられねえだろ」
やや過保護気味の発言をするユーレッドだ。
「お前がいうから、面倒くせえ正規ルートで帰ってきてやったんだぞ。久々に使ったら、顔パスで通させてた獄吏が総とっかえされてやんの。協力してくれそうなのは、いたけど、またしばらく面倒だな……」
「あー、そうだったんですね。それは悪いことしましたねえ」
とタイロは、全然悪く思ってなさそうな軽い調子でいいつつ、
「でも、なんかゲートのとこ、大変そうでしたよね。待合室で待ってたら、向こうの方で騒ぎ起きてたみたいだし。なんですか、また囚人つれてきちゃった獄卒さんとかがいたんですか」
「よーくわかってんじゃねえか」
ユーレッドは苦笑して、
「わかってるなら、覗きに来るかと思ったが」
「いやあ、気になったんですけど、見かけていた動画がちょうどいいところだったんです」
「は?」
と、タイロはぬけぬけと本当のことをいいながら、
「だって、ほら、ユーレッドさんがいるんだし、心配要らないじゃないですか。それなら動画に専念していようかなーって思って。案の定、すぐ静かになったし、ユーレッドさんいるんだろうなって思ったんですよね」
「お前、あのなあ」
ユーレッドは呆れてみせるが。
裏を返すと、タイロはそれだけ彼の強さを信頼している、と言っているのだ。
そう言われると悪い気分ではないので、ユーレッドはほんのりと機嫌が良いらしく、ほんの少し顔が緩んでいる。
なんとか、渋面を作ろうとしているが、ユーレッドは褒められるのが好きなのだ。
「で、俺に頼みたいことってどうせ仕事だろ? あっちの囚人狩ってこいとか、そっちに行ってどうにかしてこいとか。まったく、こき使いやがって」
わざと嫌味っぽくいうユーレッドに、タイロはえへへと笑う。
「やだなあ。ユーレッドさん、よくわかってるじゃないですかあ」
といいつつ、
「でも、そんなお仕事だけを頼むとか、俺も心が痛みますからね。遊びの話も用意してるんです。実は、チケットが取れたんですよ。レトロスペクティブ・クラシック・デジタル・アイドルユニット『AKIYO』のチケット。なんだっけ、大昔の歌手をサンプルに蘇らせたヴァーチャルアイドルなんですよね。男女二人組で、クラシックアレンジとかもしてる。頼んだお仕事終わったら、一緒にコンサート行きましょう」
「は? なんだそりゃ、アイドルとか、俺が行くわけねえだろ」
「えー、絶対好きですよー。可愛いだけでなく、技術もしっかりしてるし。第一、最近、ユーレッドさんがたまに弾いてるヴァイオリンの曲、この子達なんですよー。絶対気に入りますって」
冷たく断りかけていたユーレッドが、むむ、と眉根を寄せる。
「あと、ちゃんと美味しいご飯とかお酒も用意しますから、ね」
と、タイロは、あ、と今気づいたように言った。
「そうだ。今日はどこに行きます? 俺、今日の夜の飯は決めてないんですよ。ユーレッドさんの好きなものでいいですよ」
「お前なあ。勝手に話進めやがって。俺に拒否権ないのかよ?」
と矢継ぎ早に話しかけられ、ユーレッドは苦笑したが。
「いいぜいいぜ。お前の好きにしろよ。しょうがねえから、付き合ってやるよ」
どうもユーレッドは、新米獄吏のタイロには、何かと弱い。
囚人狩りで張り詰めた気持ちも、エースの獄卒が漂わせる殺気も、この青年にはうまく溶かされてしまうらしい。
もちろん、ユーレッド本人が何を考えているのかは明かすことはないが。
「えへへ、それじゃあ今から調べますね」
フェンスに囲まれた居住区の空は、黄昏の赤い色から暗闇にネオンの走る怪しげな夜へと変わりつつある。
そんな魔物蔓延るこの世界で、新米獄吏タイロは、獄卒管理課の厄介な任務を、彼のおかげで楽しくこなしているのだった。
【黄昏ボーダーゲート・終】
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