第5話 ペンも剣もいらない
「何事だ、などと乱暴な言葉遣いをなさらないでください」
侍女頭はこんな状況でもお小言を忘れない。座席でひっくり返りそうになった体をなんとかずりあげている。
男たちが馬車を包囲する輪を徐々に縮めていく。これみよがしな暗殺者ではない。
だが、山賊にしては統率が取れすぎている。
それから――
再び咆哮が響いた。
猛獣のようだが、違う。
馬車のすぐ外に控えていたクリフォードが、馬上で剣を抜きながら言った。
「ここで数名を救って、数百数千の、戦争での落命を招くのと、どちらが重大事かお考えください」
言われるまでもない。わかっている。
しかし守られっぱなしというのは業が煮えるものだ。
エレノアが出れば、すぐ終わるのに。
エレノアを外界から守ろうとでもするかのように、侍女頭が窓のカーテンを引いて、視界を遮断した。
「殿下、外は刺激が強うございます」
言い聞かせるように侍女頭は言う。閉じ込められた箱の外から、争う声が沸き起こった。剣戟と怒号と悲鳴だけが聞こえる。
怯えていると思ったのか、震えるエレノアに侍女頭は重ねて言った。
「ミクソン卿に任せれば大事ありません」
イラだって体をゆさぶってしまっていたのだが、みっともないのでエレノアは大きく息をついて座り直した。
「イゾルデの騎士を信じていないわけではありません」
エレノアも、自分の片腕を信頼していないわけではない。ただあまりにも歯がゆい。
カーテンの向こうの、見えない喧噪をにらみつけた。
突然、勢いよく馬車の扉が開く。この乱暴さ、騎士ではない。
顔を布で覆った男が、短剣を手に馬車の中に踏み込んできた。勢いに馬車が揺れる。
狭い室内で、勇敢にも侍女頭がエレノアの前に立ちふさがった。
「これが皇族の馬車だと知っての狼藉ですか! 大罪ですよ!」
震えながらも大声を張り上げた。
長年仕えたルシル本人でもないのに、体を張って盾になるとは。さすが皇女に仕える侍女頭だ。
健気さにエレノアは思わず笑みが浮かぶ。己の望みや使命に忠実な者は好きだ。
短剣が突き出される。
エレノアは侍女頭の肩を引っ張った。顔の横をかすめる刃に、侍女頭が悲鳴を飲み込む。
「メイザー夫人、どきなさい」
前に出ようとするエレノアに、侍女頭は焦った声をあげた。
「殿下! いけません!」
侍女頭はここにいるのがエレノアだと知ってはいるが、病弱設定の公女がソードマスターとは知らない。
エレノアは答えず、再び短剣を繰り出そうとする男を見据えた。
拳を強く握る。その拳が青く光った。鮮やかに、強く。
「外に出るつもりはなかったが、入ってきたのはお前だ」
ペンで人を殺す豪腕鬼。鉄血の銀狼と呼ばれるエレノアだが。
その実ペンなど必要ない。素手でも人は殺せる。
侍女頭の横から拳を繰り出す。相手が驚く間もなかった。
素手の拳がならず者の顔面にめりこんだ。
骨の砕ける感触がした瞬間、エレノアがヒールを履いた足で男の腹を蹴り飛ばす。
男の体が馬車から吹き飛んでいった。地面にたたきつけられ、そのまま動かない。
「生かしておくべきかも知れないが、そのあたりは他の者がうまくやるだろう」
皇女が刺客を素手で迎え討ったと知られる方が困る。
「で、でん殿……エレ……あなたは……!?」
侍女頭は完全に混乱しているが、ひとまず置いておく。
エレノアは馬車の扉から身を乗り出し、外を見遣った。
再び咆哮が響き渡った。
聞き覚えのある嫌な声。
――魔獣だ。
扉から身を乗り出して叫ぶ。
「クリフ!」
栗色の髪の騎士が、剣を片手にエレノアの前に立ちふさがった。弓の標的にならないよう、馬を下りたのだろう。
「出ないでくださいと言ったでしょう」
馬車を襲ってきた男たちは、血を流して地面に倒れている。すべて倒したのか。少しばかりほっとしたが、問題はこれだけではない。
魔獣は、馬車の前に立ちふさがっていた。大きな猿と獅子を混ぜたような、しかしどちらとも違う巨躯をもった魔獣だった。
獰猛な牙を剥いて、再び咆哮した。その足下に、騎士たちの体が転がっている。体を噛みちぎられ、血を流していた。エレノアは
「わかっているが、魔獣となれば話は別だ」
「俺が信用できないんですか?」
整った顔に不本意だとありありと書いて、クリフォードは魔獣を見遣る。
クリフォードは両手で剣を構えた。
オーラを体にまとうのは、ある程度の使い手ならばできる。しかし自分以外のものにまとわせるのは、優秀な剣士でなければできない。
そして普通、オーラは白い色をしている。そのオーラに色があるのは、自分がまとう力だけではなく、大気にただよう力までも自分のものとして扱える者だけだ。
クリフォードは剣を振りかぶり、魔獣へ向けて踏み出した。オーラがひときわ強く燃え上がる。そして、彼が振り下ろした剣からオーラが放たれ、魔獣を直撃した。
轟音をたて、木々をなぎ倒しながら、魔獣の巨体は地面に倒れた。
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