第4話 出立


 

 その日、列をなして皇女を見送る人々に見守られながら、エレノア宮殿を出た。

 人々の別の先には、皇族が乗る豪華な馬車が停まっている。その前で、皇帝と皇后がエレノアを待っていた。


「皇帝陛下、皇后陛下、お見送り感謝いたします」

 エレノアはドレスをつまみあげ、膝を曲げて礼をする。なるべく顔をあげずに、静かな声で話した。

 うやうやしい仕草に、うむ、と皇帝はどこかホッとしたような声をあげる。


「両国の架け橋として、立派に努めを果たしてくるように」

 揉め事をおこすな、と聞こえるのは気のせいか。

「帝国の皇女として、尽力いたします」

 皇后を見ると、複雑な表情で何も言わなかった。


 皇宮へ移り住んですぐ挨拶へ向かったときも、身代わりのエレノアに申し訳なく思っている……様子はあまり見受けられなかった。

 娘を敵国へやる不安はなくなったが、実家と対立する公爵家へやらないといけないというのが、不満であるようだった。


 まあ、皇后がどう思っても今更覆せることでもない。

 エレノアの結婚式には、皇帝の代理としてエレノアの父であるグレイヴス公爵と婦人がやってくることになっている。


「それでは、行って参ります」

 エレノアは再び頭を下げて、皇帝に礼をする。



 馬車に乗ろうとして、エスコートの手を出した騎士に気付いた。

 エレノアの眉がピクリと上がる。


「ミクソン卿……?」

 見覚えがある、どころではない顔がそこにいた。エレノアにとっては。

 しかしルシル皇女が知るはずのない騎士だ。

 エレノアと同じで、常に戦場にて働き、社交界には顔を出さない男だった。


「皇女殿下の護衛を仰せつかりました。クリフォード・ミクソンと申します」

 エスコートの手を出したまま、深く頭をさげる。


 エレノアと共にヴォルネス帝国へ行くのは、数人の侍女と、護衛騎士だとは聞いていた。

 護衛騎士などエレノアより弱いのだから、いてもいなくてもと思わなくもないが、皇女に護衛がいないのはおかしい。


 皇帝が選抜したと聞いてはいたが、まさかこの男とは。

 エレノアは声を低く抑えて、頭を下げた騎士の栗色の髪に向けて言った。


「…………何故ここにいる?」

 顔を見せずに、しかし平然と騎士は応える。

「皇帝陛下からのご指示で、皇女殿下をヴォルネス帝国でお守りするようにと」

 しゃあしゃあとした態度に、少しばかりエレノアはイラだった。エレノアだけが声を小さくして続ける。


「騎士団の副団長殿が?」

「私のことをご存知とは、光栄にございます。本日から皇女殿下の護衛騎士となりました」

 白々しい。エレノアは皇帝を振り返った。皇帝は素知らぬ顔で微笑んでいる。睨みたかったが、あまりにも人目が多い。


「騎士団はどうなっているのですか」

 クリフォードは、ミクソン伯爵家の次男で、エレノアが選りすぐったブレフロガ騎士団の副団長だった。騎士団は今、戦場でヴォルネス帝国と対峙しているはずだ。


 クリフォードは、戦場でのエレノアの片腕だった。

 エレノアが公子として戦場に居たときも、公女であることを知っていた数少ない一人だ。確かに、護衛騎士としては申し分ない人選だ。


 だが団長であるエリック公子が不在で、副団長も不在となって、戦況を支える騎士団を誰がとりまとめているのか。


「部下が対処しておりますからご心配なく。敵の進軍の脅威も、おそらくは問題ないかと」

 エレノアはクリフォードに顔を近づけて、声をさらに抑えて言った。

「和平が成った訳でもないのに不用心な」

「団長の不在が知られていなければ問題ありません」

 さすがにクリフォードも声をひそめる。


 確かにその通りなのだが、不測の事態が起きるのが戦場だ。こうなっては、さっさとヴォルネス帝国へいって、さっさと結婚してしまわなければならない。

 エレノアはクリフォードのエスコートの手を取った。ぎゅう、と強く握りしめる。顔を近づけて、低くつぶやいた。


「よくも黙っていたな」

「……おもしろそうだったので」

 クリフォードは苦笑交じりに応えた。折れない程度に加減したが、相当痛いはずだ。


 皇帝の命なら逆らえないのは当然なのだが、誰もがエレノアに黙っていたのが気に入らない。

 エレノアはそのまま、馬車に乗り込む。続いて侍女頭が一緒に乗り込んだ。

 出立の声が高らかに告げられる。華やかな馬車の列と、付き従う騎士達が、皇宮を後にした。




 皇宮を離れ、都を離れれば、馬車を降りられると思っていたが、大間違いだった。


「とんでもない!」

 侍女頭のメイザー夫人に一蹴された。

「皇女殿下が、馬に乗って旅をなさるなど。遊山に参られるのではないのですよ」

 正論過ぎて何も言えない。エレノアが口をつぐむと、侍女頭は言い募った。


「ルシル殿下は、お体が弱くていらっしゃいますが、大変上品で聡明でおられ、わがままなどおっしゃらない方にございます」

 ――それはエレノアも知っているが。

 長旅でずっと閉じ込められては、窮屈でたまらない。


 侍女頭はルシルが幼い頃から仕えてきた人だ。この一行の中で、エレノアがルシルでない事を知っている数少ない一人である。

 ルシルらしくない行いをするなと釘を刺されてしまった。これまた正論なので、エレノアは馬車の座席に身を沈めてつぶやく。


「しかし、このようにあまりにも目立つ道行きでは、襲撃してくれと言うようなものではないか」

「ここはイゾルデの国内ですよ」

 皇族の馬車を襲うような者はいない、と侍女頭は断言するが。


 そんなわけがない。何よりこれは、政略結婚だ。

 反対しそうな者など簡単に思い浮かぶ。戦には勝たなければならない。和平などもってのほかだ、という者などいくらでもいる。


 それに、国境を越え、エレノアがヴォルネスに引き渡されれば、軍の護衛がつく。簡単に手を出しづらくなる。



 ギャアアアアア

 突然、悲鳴とも咆哮ともつかない声が響き渡った。同時に、空を切る音。怒号があちこちから湧き上がる。


 馬車が急に止まる。馬のいななきが聞こえる。前に飛びそうになる体を押さえ、エレノアは外に向けて声を上げた。


「何事だ!」

「ルシル殿下! 馬車から出ないでください!」

 馬車のすぐそばから、クリフォードの厳しい声がした。

 すでに扉に手をかけていたエレノアは、びくりと踏みとどまる。

 またも釘を刺されてしまった。


「どうなっている!?」

 エレノアはせめても窓を覆うカーテンを開けた。外を見れば、問うまでもなかった。馬車が取り囲まれている。


 どこの兵とも知れない、鎧も着ていない、そろいの服装でもない男達が、木々の中から姿を見せた。

 弓がこちらを狙っている。すでに警護の兵が数人倒れていた。


 待ち伏せだ。

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