第22話 ジャックの夏休み(その5)

若冲の鳥羽根家での滞在は、実に6日間の長きに及んだ。

鳥羽根家に滞在中、若冲は鳥見ヶ丘総合動植物園を始め様々な場所に出向いてクロッキー帳をスケッチで埋め尽くし、合間に雅史と共に外食したり遠出したりして、存分に楽しんだ。


そして、明日は東京・吉祥寺に帰ると言う、最後の日。


咲夜は散らし寿司、鯛の焼き物、鳥の唐揚げ、吸い物…等々、若冲が来た初日に負けない位のたくさんの御馳走を用意した。

「6日間いろいろとありがとうございます」

若冲が咲夜に礼を述べると、咲夜はにこやかに返した。

「良いのよ。他でもない若冲くんですもの」


玄関の呼び鈴が鳴った。

「あら、お客様かしらね」

咲夜が玄関まで応対に出る。

引き戸ががらっと開けられ、雅史と碧瑠が三和土に入って来た。

「いらっしゃい、須藤さん。おかえりなさい、雅史」

「ただいま、おふくろ。今日は若冲の帰宅前夜だって話をしたら、須藤君が是非に見送りたいって事で連れて来た」

「そう。丁度良かったわ、たった今晩ごはんが出来たのよ。良かったら須藤さんも食べてらして」

「えっと、その、私は若冲くんに挨拶をしたら直ぐに帰りますんで…」

碧瑠が慌てて遠慮した。

「遠慮する事ぁ無いさ、須藤君。折角だから喰って行きなよ。帰りは車で送るから心配ない」

雅史がそう言って碧瑠の肩を叩いた。碧瑠はもじもじしていたが、やがて腹を決めたのか、咲夜に向かい頭を下げた。

「それでは、遠慮なく御馳走になります」


そして、4人での夕餉が始まった。

「わざわざ見送りに来てくれてありがとうございます、須藤さん」

若冲が碧瑠に礼を述べ、碧瑠が笑顔で返す。

「こちらこそ、鳥見ヶ丘に来てくれてありがと。…本当は明日、駅まで見送りに出たかったんだけど、明日は外せない仕事があるものだから。今日が丁度休暇だったから、明日と今日の予定が逆だったら良かったんだけどね」

「お気持ち嬉しいです」

若冲は碧瑠に再び頭を下げた。


食事をしながら、雅史と碧瑠と若冲はいろいろな話で盛り上がった。

雅史と碧瑠の仕事の事。

鳥見ヶ丘の動物達の事。

竹下駅下車の商店街にある様々な店の事。

そして、若冲の学生生活の事。


咲夜は、息子とその部下と、親戚の少年が賑やかに話し合う姿を、にこにこしながら眺めて居た。


やがて雅史が碧瑠を家まで送る為に出かけると、家にはふたたび咲夜と若冲だけが残された。

若冲は三和土に備え付けられた止まり木に居るアスカラポスに餌のワカサギを与えながら、咲夜を振り返った。

「須藤さんって良い人だよね。仕事に一生懸命だし、見ず知らずの僕にも優しかったし」

「ええ、私も良いお嬢さんだと思ってるのよ」

咲夜は若冲に近寄り、その耳元に手を添えるようにして、小声でこんな事を囁いた。

「…一度、雅史に言った事があるのよ。『あんなに良いお嬢さんなんだから、お嫁さんに貰ったらどう』って」

若冲はそれを聞くと目を丸くした。

咲夜はくすくす笑って続けた。

「雅史ったらね、顔を真っ赤にして照れて『年の差があるし、彼女の事だから俺みたいなオヤジとは比べ物にならない位良い彼氏が居るさ』って言ってね。でも、案外まんざらでもないみたい。何かと彼女と行動を共にする機会が多いし、それにね、須藤さんをうちに連れて来たのは今日が初めてじゃないのよ」

若冲は恋愛に関してはとんと鈍いタチだったので、咲夜の述懐に酷く驚いた。雅史が碧瑠に目をかけていたのは、単純に仕事上の都合だとばかり思っていたのだ。

「あ、でも、この話は雅史には内緒でお願いね。言ったらきっと機嫌を損ねちゃうから」

咲夜は、悪戯っぽくウインクした。ぽかんとしている若冲の耳元で、アスカラポスが愉快そうに「ピィ!」と鳴いた。


そして夜が明けた。

いよいよ電車が出発する時間が迫って来た。

正鵠ニュータウン駅のロータリーには、旅装に身を固めた若冲と、相変わらず派手なスーツを身にまとった雅史、そして着物姿の咲夜の姿があった。


「無事に家に着いたら連絡しろよ」雅史が言った。

「小百合さんに宜しく伝えて置いてね」咲夜が続いた。

「うん。7日間いろいろありがとう」若冲が笑顔で返した。


やがて電車の到来を告げるアナウンスが響き、若冲はトランクと松葉杖を掴んだ。

「また長い休みが確保出来たら遊びに来るよ。その時は宜しくね」


改札を潜り、エスカレーターを昇りきり、若冲が振り返る。

雅史と咲夜はまだ改札の向こうに立っていて、若冲に向かい手を振っていた。

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