第21話 ジャックの夏休み(その4)

更に翌日。


先日と同じように朝餉を済ませ、昼間はのんびりと過ごした若冲は、夕刻近くに雅史と共に守福線に乗ってとある街まで移動していた。

「今日は何処に連れてってくれるの?」

若冲が訊ねると、雅史はにやりと笑った。

「着いてからのお楽しみさ」


『竹下駅』と言う駅で下車し、駅の出口から暫く歩いて行くと、何処か懐かしい雰囲気をたたえた商店街が見えてきた。

雅史は迷う事無くその一角に向かって歩みを進める。若冲は訳が分からぬまま、雅史に従って歩いて行った。


商店街の中程に、古びた喫茶店がある。

看板には『ソレイユ』と書かれていた。

「着いたぜ。今日の目的地だ」

若冲がぽかんとしていると、雅史は力強く微笑んだ。

「此処は俺の顔馴染みの店でね。此処で淹れてくれるカプチーノは俺のお気に入りなんだ。勿論、コーヒー以外の飲み物も充実してる」


雅史は『ソレイユ』の扉に手をかけた。


カランカランカラン…


ドアベルが乾いた音を立てる。


「いらっしゃい」

カウンターの奥から、人の良さそうな柔和な顔つきの老人が顔を出した。

「久し振り、マスター。あ、こいつは俺の甥っ子の竹林寺若冲。東京から旅行に来たんだ」

「初めまして」

若冲が『ソレイユ』のマスターに挨拶すると、マスターは「いらっしゃい。遠路遥々ようこそ」と返し、笑みを浮かべて一礼してから雅史の顔に視線を向けた。

「雅ちゃん、既に先客が来てるよ。一番奥のテーブルで待ってる」


雅史と若冲が店の一番奥のテーブルに進むと、そこには20代後半くらいのエキゾチックな雰囲気の女性と、恐らく同年代と思われるバンドマンと思しき精悍な雰囲気の男性4人が待っていた。

「雅史兄さん、待ちくたびれちゃったよ」

「済まない。お待たせ」

女性の言葉に雅史が短く詫びる。


若冲は雅史と先客達の顔とを交互に眺めて居たが、やがて頓狂な大声を上げた。

「も、若しかして…『PRECIOUS DEAL』の皆さんではありませんか!?」

「ぴんぽーん」

女性が笑顔で答えた。


『PRECIOUS DEAL』。

インディーズから短期間でメジャーシーンに踊り出て、巷の話題を攫う売れっ子のロックバンドである。

ヴォーカルを勤める紅一点のヴァネッサ、ギター担当で実質的なリーダーのスパンキー、ベース担当のスティンギー、ドラム担当のストーミィ、キーボード担当のスラッシャーの五人構成だ。

一時期活動を休止し、それぞれのメンバーがソロ活動をしていたが、音楽の勉強の為に渡米したヴァネッサが帰国した事を切っ掛けに最近活動を再開したと言う噂は、若冲もクラスメイトから聞いて知っていた。


「その売れっ子の皆さんが、どうして此処へ?」

若冲が驚愕の表情で問うと、ヴァネッサがこれ以上は無いと言う位にこにこしながら答えた。

「実は近々、守福線近隣のとあるライヴハウスでシークレットライヴをする予定なの。今日はその前夜祭ってトコね」

「シークレットライヴですか…成る程」

納得しかけた若冲の脳裏に、新たな疑問が湧き上がる。

「それで、『PRECIOUS DEAL』の皆さんと雅史兄さんと、どんな関係が?」

「それについては俺から答えさせてくれ」

口を挟んだのはスパンキーだった。

「あれはまだ俺達がデビューして間も無い事だったな。丁度ライヴハウス廻りの途中で、ワゴンカーで正鵠ニュータウンの近くを通りすがったんだよ。…正鵠ニュータウンって知ってるかい?」

「知ってます。雅史兄さんの住んでる新興住宅地でしたよね、確か」

「そうだ。で、正鵠ニュータウンの近くまで来た時にクルマがエンストを起こしちまってな。近くにガソリンスタンドも無いし、どうしようもなくなって立ち往生してたらさ、丁度そこに雅史さんがクルマで通りかかったんだ」

ふむふむ…と若冲は熱心に聞き入っている。スパンキーは続けた。

「雅史さんは俺達が立ち往生している事を知ると、直ぐに携帯電話で知り合いの整備士を呼んでくれてな。お陰でクルマは無事復帰して、次のライヴ会場まで何とか間に合ったんだ。…それ以降、何となく親交が続いて、今でも付き合いが続いてるのさ」

「そんな事があったんですねぇ」

若冲が感心すると、ヴァネッサがそれに答えた。

「若しあの時次のライヴに間に合わなかったら、今のアタシ達は無かったかもね。雅史兄さんはアタシ達の大恩人なの」

「よせやい」

雅史が照れた。

「俺は困った人を見捨てる事が出来なかった、それだけだよ」

「なかなか出来る事じゃないですぜ、雅史兄さん」

ドラム担当のストーミィが言い、皆がどっと笑った。


カランカランカラン…


『ソレイユ』のドアが開き、オレンジ色の三つ編みをなびかせて小柄な女性が入って来た。碧瑠だった。

「いらっしゃい」

マスターが碧瑠に声をかける。雅史はドアの方向に向き直り、息を弾ませる碧瑠に手を振った。

「おお須藤君。お疲れさん。こっちだこっちだ」

「すいません、仕事が立て込んじゃいまして」

「須藤さんも呼ばれてたんですか」

若冲が目を丸くすると、雅史は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「女子がヴァネッサひとりじゃ可哀想だからな。昨日声をかけておいたんだ」


碧瑠は荒い息を整えた後、『PRECIOUS DEAL』の面々を見ると深々と頭を下げて自己紹介した。いやにハキハキした自己紹介だった。

「いつも鳥羽根課長がお世話になってます!私、鳥羽根課長の部下の須藤碧瑠と言います!」

「そんなに興奮するな」と雅史が苦笑する。

そんな雅史に対し、マスターがカウンターの奥から声をかけた。

「ヴァネッサさん達は当世売れっ子の有名人なんだよ、雅ちゃん。そりゃ普通の人は興奮するって」

「僕も興奮気味だもの」

若冲がマスターの言葉に続き、それを聞いた一同は再びどっと笑った。


「さて、役者も揃った事だし、賑やかにやろうか。アルコールは無いけどな」

雅史がにやける。

「未成年が居るんだから却って丁度良いよ」

ヴァネッサが笑った。


「さぁ、今日は楽しんで行って下さいよ。腕によりをかけてご馳走を作りましたからね」

マスターがサンドイッチとオードブルの大皿を運んで来た。


若冲は、食べ物と共に運ばれてきた烏龍茶のグラスのひとつを握りながら、脈絡も無くこんな事を考えた。


(僕が『PRECIOUS DEAL』のメンバーと逢った事を、クラスのみんなに話したら…みんな、どんな顔をするんだろう)

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