第20話 ジャックの夏休み(その3)
それから若冲は碧瑠の案内で、あちこちの展示ゾーンを巡って動物を見て、片端からスケッチして回った。
カバが大きく欠伸する姿。
ライオンや虎が物憂げに寝そべる姿。
キツネザルが跳ねまわる姿。
ワニが水中に身を沈める姿。
ヒクイドリが草深いケージの中でじっと立っている姿。
バードケージに群れ飛ぶ様々な鳥の姿。
ふれあい動物園でのヤギやヒツジののどかな姿…。
見る見る内に若冲のクロッキー帳はスケッチでいっぱいになって行った。
若冲が一心不乱にスケッチする姿を満足げに眺めて居た碧瑠は、にこにこしながら若冲の手元を見た。
「若冲君、筆が速いんだね」
「慣れ…ですかね」
「慣れも才能の内だよ。…動物、好き?」
「大好きです」
若冲が笑顔で返すと、碧瑠は嬉しそうに微笑んだ。
「そう、良かった。私も動物大好き。…キーパーと言う仕事が、動物が好き…それだけじゃ勤まらない仕事だってのは理解してるつもりだけど、それでも私、動物が大好きなんだ」
碧瑠の瞳は輝いていた。
(この人にとって、キーパーってまさに天職なんだろうな)
心密かに、若冲は思った。そして若冲には、そんな碧瑠が少しだけ眩しく見えた。
園内をほぼくまなく巡って、三人は植物食動物が飼育されているゾーンへ辿り着いた。
アメリカバイソンやニホンジカなどの大型植物食動物が、陽射しを受けてのんびりと草を食む。
「さて、いよいよ若冲の逢いたかった動物の登場だ」
雅史の言葉の後に、碧瑠がケージの一角を指し示した。
そのケージには、体躯が小さめのウマ程もある、栗色の毛並みに白い縞模様と竪琴のような見事なツノを持った植物食動物が居た。
「ボンゴだ!」
若冲が嬉しそうな歓声をあげる。その声に反応したのか、餌箱の中の青草を無心に食べていたボンゴが耳をぴくりと動かした。
「ギサーヴォ、こっちへおいで!」
碧瑠が声をかける。ギサーヴォと呼ばれたボンゴはゆっくりとモート(空堀)ぎりぎりまで近寄ってきた。若冲が目を丸くした。
「名前、ついてるんですね」
「そう。名付け親は此処の園長。どう言う由来があるかは判らないんだけどね」
「ギサーヴォは、俺が此処へ就職した時に最初に飼育を担当した動物でな」
雅史が感慨深げに振り返った。
「こいつがこの動物園に来たばかりの頃は、まだ角も短くて今ほど体も大きくなくてな。おまけに少し体が弱かった」
「そうなんだ。今のギサーヴォの姿からは想像もつかないなぁ」
若冲が目を丸くすると、雅史は続けてギサーヴォとの思い出話を語りだした。その眼は遠くを見るようだった。
「死なしたらこいつを産んだ親に申し訳ないと思って、連日泊りがけで世話をしたもんさ。お陰ですっかり丈夫に育ってくれたがな」
「…で、課長からギサーヴォの世話を引き継いだのが、この私」
雅史の言葉に続いて碧瑠が自分の鼻の頭を人差し指で指し示す。
「優秀な後継ぎが引き継いでくれて助かったよ。俺もギサーヴォもな」
雅史は呵々大笑した。若冲も笑顔になった。
碧瑠は少し照れた様子だった。
夕刻。
大満足の表情で動物園を後にした若冲に、雅史が訊ねた。
「どうだ、楽しかったか?」
「うん、凄く楽しかった」
若冲が笑顔で返答する。その姿を見て、雅史も満足そうに頷いた。
「連れて来た甲斐があったよ」
「雅史兄さんの言葉に嘘は無かったね」
突然の若冲の言葉に、雅史が目を丸くした。
「どう言う事だ?」
「昨日、雅史兄さんは『俺の職場には優秀な人材が揃ってる』って言ってたよね。此処に飼われてる動物を見てそれが判ったよ。どの動物も毛艶が良かったし、肥満せず痩せ過ぎず程良い体格で、見るからに健康そうだった。あれはキーパーさんの努力の賜物だと思うんだ」
「流石は若冲。目の付けどころが違うな」
そう言うと雅史は再び愉快そうに笑った。
「それにしても、須藤さんだっけ?あの人とてもフレンドリーで優しい人だったね」
「ああ」
「本当に動物が好きそうな人だった。天職を得た人ってああ言う人の事を言うんだね、きっと。…僕もいつかあの人のように『天職』と言える職業を見つけられれば良いんだけど」
雅史は興奮気味に話す若冲を穏やかな顔つきで眺めてたが、やがてぽつりと言った。
「何、きっと若冲にも天職が見つかるさ」
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