第19話 ジャックの夏休み(その2)
翌朝。
いつもより少し早起きした若冲は寝床を出て着替え、顔を洗い歯を磨いて居間へ出向く。
咲夜は既に起きていて、朝餉の支度をしていた。味噌汁の良い匂いがふわっと漂う。
「おはよう、若冲くん」
「おはようございます、咲夜おばさん。雅史兄さんは?」
「雅史は多分まだ寝てると思うわ。もう直ぐ朝ごはんだから、起こしてきましょう」
咲夜は、割烹着の端で手を拭きながら雅史の寝室へ向かっていった。
ひとりぽつんと居間に残された若冲は、見るともなく庭を眺めて居た。
庭には大きな池があり、体の大きさも色もさまざまなニシキゴイが泳いでいる。
(秋になって、庭の木が紅葉したら、それは綺麗なんだろうな)
そんな事を若冲はぼんやり考える。
やがて咲夜が、パジャマ姿のまま寝ぼけ眼の雅史と共に戻って来た。
「嗚呼、よく寝た」
雅史は大きく口を開けて欠伸をした。
「おはよう。よく眠れたか?」
「うん、お陰様で」
雅史の問いに、若冲は笑顔で答えた。
咲夜の心づくしの、味噌汁・焼き魚・漬物など盛り沢山な朝餉を食べ終わった若冲は、雅史の車に搭乗し、今日の目的地…雅史の職場・鳥見ヶ丘総合動植物公園へと向かった。
車中での若冲と雅史の話題は、勢い目的地の鳥見ヶ丘総合動植物公園の事が中心になる。
「鳥見ヶ丘にはどんな動物が居るの?」
「そうさな、カバとかライオンとかシマウマとか、比較的大型の動物園に居るような動物はひと通り居るな。流石にゾウやキリンは居ないけど」
「目玉動物って何か居る?」
「若冲は、ボンゴって動物は知ってるか?」
「知ってる。ケニアとリベリアの密林に棲息する大型のウシ科動物だよね。中国語では【紫羚】とか言うんだっけ」
「そう、そのボンゴがウチの動物園に居る。開園当初から飼われている年寄りだが、なかなかどうして丈夫に長生きしてるよ」
「それは凄いな。東日本の動物園にはボンゴは居ないんだよ」
「らしいな。以前横浜の動物園で飼われてて子供も増えてたらしいが、今は居なくなったと聞いている」
そんな会話を交わす間にも、雅史の車は大きな駐車場に到着した。
「着いたぜ。此処が俺の職場だ」
車から降りた雅史と若冲の眼前には、様々な動物のモニュメントがあしらわれた大きなゲートが聳え立っていた。
ゲートにはポップな文字で【鳥見ヶ丘総合動植物公園】と記されていた。
二人が駐車場からチケット売り場に向かうと、券売所に居たモギリの女性が声をかけた。
「課長、おはようございます」
「おはよう」
雅史が挨拶に対し返事をしながら券売機に千円札をねじ込む。
「あ、チケットは買わなくても大丈夫ですよ、園長からお話は聞いてます」
とモギリの女性が声をかけると、雅史は振り向いた。
「今日の俺は飽くまでプライベートでの来園だよ。職権濫用はあまり好きじゃないんでね。そう言う事で頼む」
モギリの女性に向かってニヤリと笑ってから、雅史は【入場券・大人】のボタンを2回押し、出てきたチケットの内1枚を若冲に差し出した。
チケットを受け取りながら、若冲は雅史に500円玉を差し出そうとする、その手を雅史が止めた。
「良いって良いって。俺のおごりだ」
若冲は、素直に雅史の好意に甘える事にした。
二人がゲートを潜って園内に入ると、数名の若いキーパーが歩いて来るのに出くわした。その中のひとり…赤みがかった濃いオレンジ色の長い髪を三つ編みにした、小柄な女性キーパーが前に進み出て、雅史に声をかけてきた。
「課長、おはようございます」
「おう、おはよう」
雅史の挨拶が終わると同時に、その女性キーパーが若冲に目を留めた。
「はじめまして。あなたが、竹林寺若冲くんね?」
「は、はい」
少し驚いて若冲が返事すると、その女性キーパーははきはきとした口調で自己紹介した。
「はじめまして。私、須藤碧瑠(すどう へきる)。この動物園でキーパーをやらせて貰ってます。若冲くんの事は課長から聞いてるよ」
「須藤君はウチのキーパーの中でも取り分け優秀な人材でね。一部じゃ『動物の言葉が理解出来る』んじゃないかとまで言われてるんだ」
「そんな事無いですよぉ」
雅史の評価に、碧瑠は慌てて手を振った。
「然し、こんな時間にゲート付近に君達が居るのは珍しいな」
「実は、そろそろ課長が来る頃じゃないかと思って待っていたんです。園長が私に『若冲君が来たら、園内散策の案内をして差し上げろ』って」
「園長がそんな事を言ってたか。済まんな、須藤君も仕事があるだろうに」
「今日の私の仕事は他のキーパーさんに代わって貰いました。一日フリーです。今日は課長と若冲くんのサポートを全面的にやらせて頂きますね」
「重ねて済まんな、ありがとう」
雅史が碧瑠に頭を下げると、他のキーパーもそれに答えるように雅史に一礼して、それぞれの持ち場に戻って行く。
後には碧瑠と雅史、若冲が残された。
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