第18話 ジャックの夏休み(その1)

若冲が東京に引っ越してから初めての夏休みがやって来た。

クラスメイト達が夏休みの課題やらレジャーやら思い思いに過ごす中、若冲は西日本の親戚…若冲の亡くなった祖父の姉・鳥羽根咲夜(とばね さくや)とその家族…を訪ねてひとり旅に出ていた。


新幹線やら在来線やらを乗り継ぎ、守福線と言う在来線の『正鵠ニュータウン駅』で下車する。

空は澄み切った青空で、吹く風も心地良い。若冲はキャリーケースの取っ手に肘をついて一息ついた。


駅前のロータリーに出ると、白いスポーツカーが止まっており、傍に派手なスーツに身を固めた精悍な顔つきの男が立っていた。

彼の名は鳥羽根雅史(とばね まさし)。咲夜の息子で、もう直ぐ40代に手が届く年齢なのだが、外見はもっと若々しく見える。


「よう!」

雅史が手を振った。若冲も手を振って答える。

「迎えに来てくれてありがとう、雅史兄さん」

本来なら『叔父さん』と呼ぶべきなのだろうが、雅史の外見の若々しさも相まって、若冲はどうしても彼の事を『兄さん』と呼んでしまう。

「然し、ひとりで良く来たなぁ」

雅史は若冲の義足と松葉杖を見ながら、成るべく若冲の不自由な足の事には触れないように遠まわしに声をかけた。

「うん、駅員さんや周りのお客さんが気を使ってくれたから」

若冲は微笑む。

「まぁ、積もる話は後でゆっくり聞こうか。先ずは車に乗った乗った。荷物はトランクに積んでくれ」

そんな雅史の言葉と共に、後部トランクの蓋が音もなく開いた。


「そうか、転校して友達が増えて、楽しい学生生活を送ってるか」

運転席でハンドル片手に雅史がニヤリと笑うと、助手席の若冲が雅史の言葉に答えた。

「うん。静岡の学校に居た頃よりずっと幸せだよ」

「俺のおふくろも心配してたんだよ。静岡の学校に居た頃は結構苛められてたらしいじゃないか」

「うん」

「東京の学校のクラスメイトはどうだ?」

「みんな良い奴ばかりだよ。たまにウチに遊びに来てくれるし、僕が学校を休んだ日にはノートをコピーして持って来てくれたりする」

「絵の方は相変わらず続けてるのか?」

「うん。そう言えば最近美術部に入部したよ。普通に絵を描く他に、学園祭や体育祭で横断幕やポスターを作ったりするよ」

「そうか。本領発揮だな」


ひとしきり若冲の近況報告が続いたところで、今度は若冲が雅史に訊ねる。

「雅史兄さんは、相変わらず動物園の仕事を続けてるの?」

雅史は守福線で正鵠ニュータウン駅から15分程移動した場所にある『鳥見ヶ丘総合動植物公園』と言う動物園のキーパー、つまり飼育係を長年勤めている。

「ああ。最近課長に出世して、現場の仕事より机上の仕事の方が増えちまったけどな」

「滞在中に雅史兄さんの職場にスケッチしに出かけたいと思うんだけど、大丈夫?」

「嗚呼構わないよ。ウチの現場の連中も大歓迎するさ」

「そう言えば…今日は仕事はどうしたの?」

「嗚呼、ウチの園長に若冲が来る事を話したら『ひとりじゃ心細かろうから滞在中は付き添ってやれ』って言われてな。1週間の有給を貰う事になった」

「1週間も?現場の方は大丈夫なの?」

「大丈夫さ。ウチのスタッフは優秀なのが揃ってるからな。一応、万が一の事があった時に備えて俺の携帯電話の番号も教えてある」

「そっか。それなら安心だね」


そんな会話を続けている内に、雅史の車は一軒の家の前に到着した。

小百合の家に負けない位、古く大きな由緒ありげな家だ。

「あれ?僕が泊まるのは雅史兄さんのマンションじゃないの?」

「おふくろが『実家(ウチ)の方が広いから実家で泊まって貰え』ってさ。今頃御馳走でも作って待ってる事だろうな」

ふたりが車から降り、荷物を降ろして居ると、玄関の引き戸がカラカラと開いた。


「いらっしゃい、若冲くん。おかえりなさい、雅史」


着物を着た上品そうな身なりの老婦人が姿を現した。雅史の母…そして小百合の義理の姉でもある咲夜だ。

「遠路お疲れ様。自分の家だと思ってゆっくりして行って頂戴ね」

咲夜はにこやかに若冲の手を取った。後ろから雅史が若冲のキャリーケースを手に続く。


玄関を潜ると、広い三和土(たたき)の一角に止まり木があって、マルチーズ犬ほどの大きさのミミズクが眠そうな様子で止まっていた。

「元気だったかい、アスカラポス」

若冲が声をかけると、アスカラポスと呼ばれたミミズクは目を醒まし「ピィ!」と高い声で鳴いた。

ゆっくりと若冲はアスカラポスに近寄り、喉を軽く撫でてやる。アスカラポスはされるがままに、気持ちよさそうに撫でられている。

「良かった。僕の事を覚えてくれてたんだね」

嬉しそうな若冲の様子を見て、雅史は感慨深そうな顔をした。

「アスは頭が良いな。若冲の事をちゃんと覚えていたか」


「そう言えば、濠(ごう)おじさんは?」

屋敷の中を見回して若冲が訊ねる。濠とは咲夜の夫で、雅史の父だ。鳥類学者を勤めている。

「親父は猛禽類の保全に関する海外の学会に出席してて暫く留守だよ。戻るのは来月だ」

「そう。残念だな」

雅史の返事に、若冲は少しだけしゅんとした表情を浮かべた。咲夜が続く。

「あの人も若冲くんに逢いたがってたのよ。今回は残念がってたわ」

「まぁ、仕事だから仕方がないね。戻ってきたら、僕が宜しく言ってたと伝えて置いてくれるかな」

「伝えて置くわ。…嗚呼そうそう、今日は若冲くんの好きな鳥の空揚げと鯛飯を用意して置いたわよ。おなか一杯食べて頂戴ね」

咲夜は微笑んだ。

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