第14話 価値

ある日曜日。


若冲は学校の近くにある、とある中華料理屋の前に立っていた。

店の名前は『妙瑛飯店(みょうえいはんてん)』。


昼過ぎの微妙な時間故か、妙瑛飯店のドアは閉ざされており、【準備中】のパネルがかかっている。

若冲が店に入るのを躊躇っていると、不意にドアががらりと開いた。


「おや、アンタが竹林寺くんかい」

店の中から顔を出したのは、短い髪をバンダナで纏めた、少しばかり気の強そうな妙齢女性だった。

「は、はい、僕が竹林寺ですが」

若冲が短く返事すると、その妙齢女性は明るい笑顔になり、若冲に店の中に入るよう促した。

「アタシの名前は横田真紀(よこた まき)。この店の店主さ。平松さんから話は聞いてるよ。まぁ立ち話もなんだから、店の中にお入り」


*****************


此処で少しばかり説明が必要になる。


実は『妙瑛飯店』は、若冲の担任・直美と体育担当・綾の行きつけの店である。

直美と綾にとっては給料日後、先ずはこの店でささやかな宴席を囲むのが月一の楽しみとなって居る。


ある日の宴席の折の事。

珍しくしたたか酔った直美が、綾に向かって若冲の絵の事を自慢し始めた。

綾は心得ているので黙って頷いて聞いていたが、この時の直美の発言を、意外なところから聞いていた者があった。

それが『妙瑛飯店』の店主、真紀である。


「そんなに上手い絵を描く人なら、ウチにも一筆描いて貰おうかねぇ」


真紀がぽつりと漏らした。

それに対し酔っていた直美が「それならお安い御用ですよ」とうっかり安請け合いしてしまったのである。


「龍とか鳳凰とか描ける人かい?」

「そりゃもう、得意中の得意ですよ」

「水墨画とかは?」

「何でも描きますよ。水彩画も素描もペン画もボタニカルアートも」


こうして、若冲が知らない内に話がぽんぽん進み、若冲は自分でも与り知らない内に、妙瑛飯店の為に一筆描く事になってしまったのである。


*****************


「何だか急に仕事を頼む運びになっちゃって、済まなかったねぇ」

真紀は、アイスジャスミンティーを入れたグラスを若冲に差し出しながら言った。

「いえいえ」

若冲は恐縮しながらジャスミン茶のグラスを受け取る。

「早速ですが、ご依頼の作品、こんな感じで出来ました」

カバンの中から若冲は紙製の筒を取り出して真紀に差し出す。真紀が早速筒の中から絵を取り出した。

描かれたのは、牡丹の花と鳳凰があしらわれた水墨画だった。

「あらまぁ、素敵ねぇ。流石は平松さんが自慢するだけの事はあるわねぇ」

そう言って真紀は嘆息した。

「喜んで頂けて安心しました」

若冲がホッとしたような顔をする。真紀は店の奥に絵を持って駆け込んで暫くごそごそしていたが、やがて大きな額縁を抱えて戻って来た。

「見て見て。あつらえたようにピッタリだよ」

真紀の手に握られた額縁には、さっきの若冲の絵が納まっていた。若冲の顔が一層明るくなる。

「寸法も間違いなしのようで良かったです」

額縁に収まった若冲の絵を、真紀は店内の目立つ場所の壁にかけた。殺風景な壁面の雰囲気が一気に華やかに変わった。


「さて、無事に絵をお渡し出来たし、それじゃ僕はこれで」

そう言って椅子から立ち上がった若冲を真紀が呼び止めた。

「ちょっとお待ち」

怪訝な顔をして立ち止まった若冲に真紀が何かを握らせる。

「これ。画材を買う足しにして頂戴」

若冲が掌を開いてみると、なんと折り畳まれた一万円札が転がっていた。


「いや、ちょっと、これは流石に貰い過ぎでは…」


そう言いかけた若冲を真紀が制する。真紀は真剣な顔をして言った。


「アンタ、自分を安売りしちゃいけないよ」


思い掛けない事を言われてきょとんとしている若冲に、真紀は続けた。

「アンタの絵は十分カネを取れる腕前さ。アタシが保証する。アンタが世の中に出た時、その腕前は十分に武器になる」

「…武器、ですか」

若冲は真紀の鬼気迫る雰囲気に気圧されて言葉が出なかった。


「いいかい竹林寺くん、これだけは覚えておいで。アンタが世の中に出た時、アンタの腕前を不当に安く利用する奴が絶対出てくる。でもね、そんな時は毅然とそう言う奴の言い分は突っぱねて、自分の価値を決して過小評価しない事だよ。…でないとアンタばかりか、アンタと同じように絵を描ける事を武器にする全ての人達が大損をしてしまう」


成る程、言われてみれば尤もな意見である。若冲は一呼吸置いてから、掌の中の一万円札を握りしめ、力強く一礼した。

「お気持ち判りました。ありがとうございます。このお金は謹んで頂戴します」

それを聞いて、真紀が笑顔になった。


夕方。

真紀に見送られて『妙瑛飯店』を後にした若冲は、帰路の途中にある公園で財布の中のくしゃくしゃの一万円札を眺めながら、ぼんやりと考えた。


(思わぬ臨時収入があったし、たまには、ばあちゃんに何か土産でも買おうかな)

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