第12話 人魚姫ふたり
蝉時雨が聞こえ始めた。
若冲が美術部の部室に顔を出すと、数名の美術部員が机に向かって頭を悩ませている様子だった。
「どうしたの?」
若冲が問いかけると、美術部員の一人が顔をあげて若冲に語りかけた。
「いやさ、実は近々水泳部の夏季大会に向けて応援用の横断幕を作る事になったんだけどさ、どんなデザインにしようかって言うんで無い知恵を絞ってるんだ」
そう言われて若冲が机の上を覗き込むと、幾つかのデザイン案の走り書きが机に並べられている。
「ひとりひとつずつデザイン案を持ち寄って比較検討してるんだが…どうにも決まらないんだよなぁ」
別の美術部員が嘆息する。そして若冲の顔を覗き込むと、縋るような顔つきになってこう言った。
「なぁ竹林寺くん、何か良いアイディア無いかなぁ」
若冲は、机の上に並べられた幾つかのデザインに目を移し、それらを見比べてみる。その中にひとつ、若冲の興味を惹くデザインがあった。
優勝カップを左右から支える、ふたりの人魚があしらわれたデザインだ。
若冲はそのデザインをじっと見つめて居たが、顔をあげて皆に訊ねた。
「そう言えば今度の夏季大会、誰が出場するか知ってる?」
最初に若冲に声をかけた美術部員が、慌てて資料を探り始める。
「…嗚呼、あったあった。1年C組の青木小奈海(あおき こなみ)さんと、2年B組の桑嶋充希 (くわしま みつき)さんだ。おお、そう言えば桑嶋さんは竹林寺くんと同じクラスじゃないか」
若冲はそれを聞くと、先程手にしたデザインを再び手に取って、即座に言った。
「このデザインで、カップを支える人魚の顔をそのふたりに似せて描くのはどうかな」
「嗚呼、そのアイディア良いね」
一同が一斉に明るい表情を浮かべる。
「早速取り掛かろう」
「ふたりの肖像権についてはどうしたものかなぁ」
美術部員のひとりがそんな事を言った。横でスケジュール帳を捲りながら黙って話を聞いていたマネージャーの弘子がその言葉に対し静かに言った。
「青木さんには、わたくしからお願いしてみますわ。桑嶋先輩には、竹林寺先輩からお願い出来ますか?」
「判った」
若冲が頷くと、弘子はすっくと椅子から立ち上がって、にっこりと笑った。
「それでは、一緒に水泳部に参りましょう。今日はおふた方とも、プールで練習の真っ最中の筈ですわ」
所変わって、場所は第2校庭にある屋外プール。
水泳部の部員は代わる代わる、プールの中で懸命に鍛錬に勤しんでいる。
「失礼します」
若冲と弘子がプールのゲートを潜ると、水泳部担当で、且つ2年生の体育を受け持つ教師である水野綾が出迎えた。
「いらっしゃい。今日は何の御用?」
にこやかに言う綾に若冲が用件を告げる。
「ちょっと待ってて頂戴ね。今ふたりを呼んでくるから」
綾は若冲と弘子の来意を知ると、そう言ってプールに向かって歩いて行った。
少し経って、ふたりの少女が綾に伴われてやって来た。
やや気が強そうな顔立ちのモデルのように端麗な容姿の少女と、健康的に日焼けしたショートヘアのボーイッシュな少女だ。
モデル風の少女は頭に被っていた水泳帽を脱ぐと、髪留めを一気に外した。豊かなロングヘアが露わになる。
ロングヘアの少女は若冲の顔を見るとぺこりと頭を下げて、礼儀良く挨拶した。
「初めまして。水泳部所属の青木小奈海と言います」
一方のボーイッシュな少女は、若冲に向かって白い歯を見せてにかっと笑う。
「ジャックじゃねぇか。ジャックが水泳部に用事とは珍しいな」
「そうだね」
若冲が返事をする。
「ジャックがわざわざやって来るって事は、やっぱり絵の話かい?」
ボーイッシュな少女はそう言って若冲の顔を覗き込んだ。そして、若冲の横に立つ弘子の顔をちらと見ると、フランクに挨拶した。
「初めましてだな。アタシは2年B組の桑嶋充希だ。宜しくな」
「実はおふたりにお願いがありまして」
弘子が口火を切る。
「今度行われる夏季大会の応援に用います横断幕、おふたりのご尊顔に似せた人魚をあしらったデザインで描く事になりまして…」
おおまかな要件を弘子が説明する。
「面白いアイディアだな」
充希が破顔一笑した。若冲が弘子の言葉を継ぐ。
「…と言う訳で、桑嶋さんには僕から、青木さんには弘子マネージャーから、それぞれ許可を頂こうと思って来た次第」
「水臭ぇな」
笑顔のまま充希が言った。この少女、ボーイッシュな外見に違わず、言動も何処か男っぽい。
「アタシは何処かの雑誌の専属モデルとかじゃないんだぜ?好きに描いてくれて構わないよ。あ、ちょっとで良いから美人に描いてくれよな」
そう言ってから、充希は小奈海の方を振り返り、訊ねた。
「青木も異存は無いよな?」
充希の言葉に、小奈海はこくりと頷く。
「竹林寺先輩の腕前は、弘子から色々聞いてます。安心してお任せします」
「良かった。快諾が頂けて」
若冲が安心した表情をする。充希がふたりに向かって、にかっと笑った。
「折角だから、時間があるならアタシ達が泳いでる姿も見てってくれよ。絵を描く時の参考になるかも知れないからさ」
若冲と弘子はプールサイドのベンチに腰を下ろして、充希と小奈海が泳ぐ姿をぼんやりと眺めて居た。
ふたりのしなやかな体がイルカのように水を切り水を潜る。
(美しい光景だ)
若冲は思った。
暫くふたりの水泳する姿を眺めていたが、やがて若冲は思いついたように小脇に抱えたスケッチブックを開き、さらさらとスケッチを始めた。
「すっかり創作モードですね」
弘子がにっこりと笑った。若冲はこくりと頷いたまま、黙々と鉛筆を走らせている。
そんなふたりの傍に、綾が缶入りのスポーツドリンクをふたつ、手にぶら下げて座った。
「暑い中ご苦労様。これ、良かったら飲んで」
「あ、お気遣いありがとうございます」
弘子が恐縮してスポーツドリンクを受け取り、その内のひとつを若冲に手渡す。若冲は綾に深々と頭を下げてからそれを受け取った。
「応援用の横断幕、楽しみにしてるわ。どんなデザインになるのか今から楽しみね」
綾がそう言って微笑んだ。
「ご期待に沿えるよう頑張ります」
若冲は力強く頷いた。
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