第11話 マネージャー

若冲が美術部に入部した翌日の事。


その日の昼休み、若冲は智弘や裕樹、恵一、天と共に、学生食堂で昼食を摂っていた。


他愛のない話題で盛り上がりつつ、皆が食事を楽しんでいるところに、すっと近付いた影がある。

「竹林寺若冲さんはこちらですか?」

澄んだ声が響く。

「竹林寺は僕ですが、何かご用ですか」

と言いながら、若冲はその人物に視線を移して、思わず目を見張った。


そこに立っていたのは、鶴のように優雅でほっそりした少女だった。

やや明るい色の髪をふわりとカールさせ、形良く丸まった前髪を髪留めでまとめ、銀縁の眼鏡をかけている。


「お初にお目にかかります。わたくし、美術部マネージャーを務めております、1年C組の緑川弘子(みどりかわ ひろこ)と申します」

少女は礼儀良く挨拶すると深々と頭を下げた。

相手が一学年下だと知って少し緊張が解けると同時に、おっとりとしていてそれでいて隙が無い、絵に描いたように優雅な挨拶だ、と若冲は思った。


短い沈黙の後、若冲は頭を掻くと、申し訳なさそうに言った。

「そう言えば昨日は僕、富士村先生とお話をしただけで直ぐに帰ってしまったから、挨拶がまだだったっけ」

「ご恐縮には及びませんわ。昨日はわたくしも外出していましたから」

「それで、マネージャーの緑川さんが僕に何か?」

「わたくしの事は気安く『弘子』とお呼び下さいな」

弘子は穏やかな表情でそう述べ、そして艶然と若冲の顔を見て微笑んだ。

「昨日、富士村先生から先輩の事をお聞きしまして、ご挨拶をと思って参りました。今後、色々とお世話になるかと存じます。何卒よしなに」

「こちらこそ、今後とも宜しく」


「美術部にマネージャー?」

智弘が怪訝な顔をしながら会話に割って入る。

「運動部でマネージャーってのはよく聞くけどさ、文化部にマネージャーってあんまり聞かなくね?」

そんな智弘の疑問に弘子は笑顔で答える。

「ウチの学校の美術部が、学園祭や体育祭の応援合戦等で美術指導をしている事は、先輩の皆様も御存知ですわね?」

「聞いた事はあるよ」

「昨日、富士村先生もそんな事を言ってたなぁ」

智浩が即答し、若冲も昨日の秀治の言葉を思い出して納得のいったような顔をする。

更に弘子は続けた。

「少ない部員で全ての学級に満遍なく美術指導をするには、徹底した部員のスケジュール管理が必要ですの。わたくしはそのスケジュール管理をしております。因みにわたくし、スケジュール管理の腕を買われて美術部に入部致しましたもので、美術部ですが絵心が全くありません」

意外なカムアウトに若冲始め居合わせた全員が目を丸くしていると、弘子は眼鏡の縁を細い指でくいと持ち上げた。

「殊に今度入部された竹林寺先輩は、噂によると体育祭の折、2年B組の横断幕を寝食忘れてひと晩で仕上げたとか。そう言う無茶をされる方には、別な意味でスケジュール管理をする者が必要かと思いまして…そう言う事ですので、竹林寺先輩も御承知置き下さいませね」


横で話を聞いていた智弘が嘴を挟んだ。

「嗚呼お姉さん、こいつの事は『ジャック』って呼んでやってくれよ」

「ジャック?」

弘子が小首を傾げる。智弘はにかっと笑って続ける。

「下の名前の『若冲』を文字ってジャック。呼び易いだろ?本人も気に入ってるあだ名だからな」

「辞めろっての」

恵一が智弘の肩を掴む。

「幾らジャックがそのあだ名に呼ばれ慣れてるからって、後輩にまで喧伝する事無いだろ」

「だって『若冲』じゃ呼びにくいだろ?」

「呼びにくいかどうかは呼ぶ本人が決める事だ」

弘子はそんな先輩達のやり取りをにこにこしながら見ていたが、やがて口を開いた。

「先輩のお勧めのところ申し訳ないのですが、ここは矢張り先輩に敬意を表すると言う意味で『竹林寺先輩』と呼ばせて頂く事にしますわ」

「呼び易いように呼んでくれると良いよ、弘子さん…いや、弘子マネージャー」

若冲がそう言うと、弘子は深く一礼してテーブルから離れて行った。


「礼儀正しい子やったなぁ」

裕樹がのんびりと言うと、普段は極めて無口な天も珍しく口を開いた。

「あの娘もそうだけど、ジャックは眼鏡っ娘と縁が深いようだね」

「!?」

若冲が怪訝な顔をすると、恵一がはっとしたような顔をした。

「そう言えば小山も眼鏡っ娘だな」

「だな!ジャックってば学校休んだ時は決まって小山の奴にノートのコピー貰ってるし、ちょくちょく図書室から資料を手配して貰ってるしな」

智弘が軽薄な笑みを浮かべた。

「小山の奴、若しかしたらジャックに気があるんじゃないか?」

「そんな事は無いさ」

若冲は首を振る。恵一がそんな智浩を窘めた。

「憶測でモノを言うもんじゃない。若しジャックや小山に迷惑がかかったらどうするつもりだ、お前」

「大袈裟だなぁ恵一は」

智弘が言う。裕樹はにこにことその光景を眺めている。天はもう余計な事は言うまいとばかりに、黙々と弁当を食べている。


そんな級友の姿を見ながら、ふと若冲が振り向くと、そこには食堂の売店で飲み物を買い終え、出入り口から廊下に出ようとする弘子の姿があった。

弘子は若冲の顔を見ると、静かに微笑んで軽く会釈し、そのまま廊下の向こうへ消えて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る