第6話 大仕事(前編)
若冲が、吉祥寺の高校に転校して来て1か月が過ぎた。
ある日の事。
授業が終わり、帰り支度を始めている若冲のところに、ひとりの少女がおずおずと近づいて来た。
長い黒髪を2本の三つ編みにし、分厚い瓶底眼鏡をかけた、いかにも真面目で気弱そうな、小柄な少女だ。
「えっと、ごめん、まだクラスのみんなの顔と名前が…」
若冲が言いかけると、少女は消え入るような声で自分の名を名乗った。
「…私、小山(こやま)よしの。一応、学級委員長やらせて貰ってるんだけど…」
そして、遠慮がちにこう訊ねてきた。
「…私もあなたの事、ジャックくんって呼ばせて貰って、良いかな」
「良いよ、呼びやすい呼び方で呼んで」
そう言って若冲は微笑み、続けて問いかける。
「それで、僕に何か用?」
若冲の問いに、よしのはおずおずと答えた。
「あのね、平松先生が職員室まで来てくれって。大事な話があるみたい」
「先生が?」
若冲は少しだけ訝ったが、一先ずよしのに「知らせてくれてありがとう」と礼を述べ、職員室に向かう事にした。
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「失礼しまーす」
若冲が職員室の直美の机に向かうと、直美は何やらプリントを深刻な顔で睨んでいた。
「平松先生、何か用事があると聞いたので来たんですが」
若冲が直美に言うと、そこで初めて直美がプリントから視線を離して若冲の顔を見た。
そして、開口一番こう言った。
「ジャック。アンタ、動物の絵を描くのが得意なんだってね」
担任にまで渾名で呼ばれて些か面食らったものの、それでも努めて平静を装って若冲は返す。
「得意と言うか…まぁ、好きで描いてるんですが」
「だったらさぁ、アンタ例えば龍とか鳳凰とか、空想上の生き物の絵は描ける?」
更に直美が問いかけてきた。
「一応描けます」
そう若冲が答えると、直美はそこで少しだけ表情を厳しくして、周囲をキョロキョロ見渡して、誰も居ないのを確かめてから声を潜めてこう言った。
「実はね、アンタの腕を見込んで頼みがあるのよ」
「頼み?」
「…来月、体育祭があるのはジャックも知ってるわよね」
「はい。僕は見学になるとは思うのですが」
「それは良いのよ。でね、ウチの体育祭では恒例行事として『応援合戦』と言って、クラス毎に趣向を凝らした応援をする習わしがあるのよ。それで横断幕を作ったりするんだけど、その横断幕をジャックに描いて欲しいのよ」
意外な依頼に若冲は目を丸くした。
「僕の絵なんかで良いんですか?」
若冲が驚愕の表情で直美に訊ねると、直美は確信的な表情で断言した。
「良いから頼んでるのよ。少なくともクラスの面々はアンタが横断幕を描く事に反対はしないわ」
「それで良ければ、是非描かせて頂きます」
若冲が力強く頷いて快諾すると、そこで初めて直美は硬かった表情を和らげて笑顔を見せた。
「期待してるわよ。絵柄は任せる。布は後で直接ジャックの家に届けるわね」
帰宅後。
若冲は自室にかばんを置き、制服から私服に着替えると、何を思ったか仏壇に燈明を灯し、線香を立て、長い事祖父の位牌に向かって手を合わせた。
その只ならぬ様子に、居間で何やら作業していた小百合が心配そうに近寄ってきた。
「若冲、何かあったの?」
祖母の問い掛けに振り向いた若冲は、いつになく厳しい顔つきになって居た。
「近い内に大きな『仕事』をする事になったから、じいちゃんの霊に『見守っていて』って頼んでたんだ」
呆気にとられている小百合に向かい、若冲は静かに、然し力強くそう言った。
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