第3話 露見
若冲が静岡から、祖母の家がある東京へ引っ越し、吉祥寺の私立高校に通うようになって数日が過ぎたある日の事だった。それまで、目立たぬようにひっそりと学校生活を送っていた若冲に、急に脚光が集まる出来事があった。
その日の授業が終わり、皆が帰り支度を始めている時。
教科書やノートをまとめてカバンに詰め込もうとしていた若冲の手が滑り、ノートやら何やらが床に散った。
「おっと」
慌てて屈んでそれらを拾おうとする若冲。
然し若冲が手を伸べる間もなく、誰かの手が素早く床に散ったものを拾い集めた。
「ほい」
ノートやら何やらを拾ってくれたのは智弘だった。
「ありがとう」
若冲が智弘の手から、無造作に重ねられたノートやら何やらを受け取る。と、智弘がふと怪訝な表情を見せた。
「ジャック、このリングファイル、何?」
智弘が関心を示したのは、ノートなどと共に床に落ちた、ルーズリーフを綴じた分厚いリングファイルだった。
「あ、これは…」
若冲が答える間もなく、智弘はそのリングファイルを手に取り、ぺらぺらと捲り始めた。
「…!」
智弘が驚愕の表情のまま言葉を失う。
裕樹と恵一がそんな智弘の様子を見て近づいて来た。
「すげぇ…!」
智弘が絞り出すように呟く。
「何が凄いんだよ」
恵一が智弘の背後から同じくリングファイルを覗き込み、そして智弘と同じように言葉を失った。
リングファイルに綴じられた、無地のルーズリーフに記されたもの…それは。
がっと口を開き、今にも吠えかからんとばかりの虎の絵。
笹を咥えて愛嬌を振りまくパンダの絵。
遠吠えする狼の絵。
ツノを振り立てて跳躍する鹿の絵。
長い鼻を振り上げてのし歩く象の絵。
モノクロだと言うのにその絢爛豪華さが伝わって来そうな孔雀や極楽鳥の絵。
その他、様々な動物の鉛筆画だったのである。
「これ、ジャックが描いたのか」
恵一が若冲に訊ねる。若冲は低い声でそれに答えた。
「うん。前の学校に居た頃から少しずつ描き貯めたもの」
「何これチョー凄ぇじゃん!動物図鑑みたいじゃん!」
智弘が感極まったと言う様子で叫んだ。
「そんな凄いかな」
若冲はおずおずと智弘の叫びに答える。
智弘の嬌声と大騒ぎを聞きつけて、クラスに残っていた他の生徒達も集まって来た。
一同が若冲のリングファイルを回し読み…いやいや、回し観る。
誰もが口を揃えて若冲の絵の腕前を褒めそやした。
「凄いリアルじゃん」
「上手だねぇ」
「俺こんなリアルな動物の絵なんか絶対描けないわ…」
然し、周囲の反応とは裏腹に、若冲は浮かない顔をしている。
いや、その表情には微かに怯えの表情さえ見えた。
「どうしたん?」
裕樹が心配そうに若冲を見る。
「ごめん、今まで絵を描いてた事で、褒められた事なんか全然無くって…」
「何でー?こんなに上手やのに」
裕樹が意外そうな顔をした。
「前の学校では絵を描いてるってだけで『キモい』とか『根暗』とか言われて苛められてたから…」
「何それ酷ぇ」
智弘が自分の事のように怒りを見せた。
「絵を描いたからって誰にも迷惑かける訳じゃ無ぇじゃん」
「お前は落ち着け」
恵一が智弘の肩に手を置いた。
「智弘が怒ってどうする。それよりもジャック、前の学校で、謗られてまで絵を描き続けたのは何か理由があるのか?」
「…絵を描く事が好きだから、それだけ」
若冲はそう答えた。それに対し、智弘が叫んだ。
「前の学校のジャックのクラスメイトも見る目が無ぇな!考えても見ろよ、これだけ絵が上手な奴がクラスにひとり居るだけで、学園祭とか体育祭とか、横断幕やらポスターやら何やら制作する時にめっちゃ有利じゃん。他のクラスに負けないブツが作れるぜ。なぁ」
「違いない」
クラスメイトの誰かが言った。そして居合わせた誰もが、そうだそうだ、その通りだと声を上げた。
若冲はそんなクラスメイト達を、呆気にとられた顔つきで見ている。
「…兎に角」
智弘が若冲の肩に手を置いた。
「ウチのクラスで、絵を描く事を隠す必要なんて全然無いぜ。もっと堂々と描いちゃえ。少なくともウチのクラスでジャックが絵を描く事を咎める奴は居ない。居たら俺がブン殴る。…そんで、今後クラスのイベントの度にその腕を振るって大活躍してくれよ。折角のその特技、眠らせとくのは勿体無いぜ」
「…ありがとう」
若冲はそこで初めて笑顔を見せた。
若冲もクラスメイト達も、この時は全く気がついて無かったのだが、この日の出来事を切っ掛けに、後に若冲は文字通り校内で「三面六臂」の活躍をする事になるのである。
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