第2話 転校初日
時流れて、舞台は変わって。
此処は、東京都・吉祥寺のとある場所にある、そこそこ大きな私立高校。
キーンコーンカーンコーン…
始業を告げるチャイムが校内に木霊する。
その日、2年B組は少しだけ騒がしかった。
「なぁなぁ、今日ウチのクラスに転校生が来るんだって?」
外ハネした黒髪に、常に笑みを含んだような口元をした少年…クラス一のお調子者、樋口智弘 (ひぐち ともひろ)がそんな事を幾人かの級友の前で口にする。
「うむ。詳しい情報は知らないけどな」
銀縁の眼鏡の位置を直しながら相槌を打つのは、焦茶色の髪をうなじ辺りで綺麗に切り揃えた整った容姿の、智弘の親友…と言うより腐れ縁の悪友、雪野恵一 (ゆきの けいいち)。
「どんな子が来るんやろなぁ」
おっとりした関西弁でのんびりと言うのは、智弘と一番仲の良い友人である、いかにも温和そうな雰囲気をした短めの黒髪の少年、川澄裕樹 (かわすみ ゆうき)。
彼自身も1年生の時に関西の学校から転校してきた経歴がある為か、今度の転校生に興味津々のようだ。
「仲良くなれる人だとええなぁ」
「精々歓迎してやろうぜー」
智弘がにやにやしながら言うのを見て、恵一が露骨に顔を顰めた。
「お前の『歓迎』はいつもいつも鬱陶しいんだよ。少しは自重しろ」
「何だよ恵一、俺の何処が鬱陶しいってんだよぉ」
「その自覚の無さが一番厄介なんだ。兎に角今度の転校生の前では大人しくしててくれ、頼むから」
等と会話が続く間もなく、教室の扉が勢いよくがらりと開いた。
「こらー!席につけぇ!」
大声で怒鳴りながら、豊かなブロンドの長髪をなびかせた、如何にも姉御肌と言う感じの背の高い女性が教室に入ってきた。
2年B組の担任教師、平松直美 (ひらまつ なおみ)のお出ましである。
担任教師の怒号に、席についてなかった生徒全てが慌てて着席する。
「おはよう諸君」
直美は一先ず朝の挨拶をすると、ドン!と教壇に手をつき、声高らかに宣言した。
「今日からウチのクラスに転校生が来るわよ。みんな仲良くしてあげてね。苛めたら承知しないよ」
そう言うと直美は扉のところまで戻り、再び扉をがらりと開いた。
コツ、コツ…
聞き慣れない乾いた音がして、松葉杖を突きながらひとりの痩せた中背の少年が教室に入って来た。
教室に居並ぶ生徒達はその少年の姿を見て、絶句した。
後ろで軽く縛れる程に長めの髪は、自分達と同じ10代とは思えない位に多量の白髪が混じっている。
そして、その少年の左足は、金属製の義足だった。
教壇に上って虚ろな目つきでB組の生徒全員の顔を見渡した少年の左目には、一目でそれと判る位に痛々しい傷跡が残り、それを隠すように眼帯が存在していた。
直美は少年が黒板の前に立つのを確かめてから、チョークを手に取り、カツカツと音を立てて少年の名を書いた。
『竹林寺 若冲』
「何て読むんだ…?」
「変わった名前だな…」
教室内のどよめきを他所に、直美は溌剌とした声で宣言した。
「今日からみんなと一緒にB組で勉強する、竹林寺若冲くんよ。竹林寺くん、自己紹介を」
直美に促されて、少年は軽く一礼して、それから口を開いた。
「初めまして。静岡から転校して来ました、竹林寺若冲と言います。どうぞ宜しく」
「んじゃ、竹林寺くんは廊下側の一番前の席に座って」
直美に促され、若冲は空席になっていた廊下側の一番前の席に着席する。
不自由な足を引き摺るようにして着席した若冲の様子を見て、直美が口を開いた。
「見て判ると思うけど、竹林寺くんは左足と左目が不自由なの。だから体育の時間とかは見学になると思うけど、他の教科はみんなと同じように勉強するから、そのつもりでね」
その日の昼休みの事。
あてがわれた席で弁当を広げる若冲の元に、智弘と裕樹が近づいてきた。
「何だよジャック、ひとりでごはんかよ」
「?」
怪訝な顔をして若冲は智弘と裕樹を見上げる。
「ジャック?僕の事?」
「そ!ジャック。若冲じゃ呼びにくいからジャック。判りやすいだろ?」
にやにや笑いながら智弘がそう言う。その後ろから恵一が遅れてやって来た。
「また始まったよ智弘の悪い癖が。誰彼構わず変な渾名をつけんなっつーの」
「だって『じゃくちゅう』じゃ呼びにくいじゃんよー」
「だからって、本人の同意も無しに変な渾名を考える奴があるか」
「いや、僕は嬉しいけど…」
若冲は少し遠慮がちに恵一にそう答えた。
「前の学校じゃ、誰も僕の事を渾名で呼ぶどころか、本名で呼ばれる事もなかったからね。精々が『おい』とか『お前』とかそんなのばっかりだったから」
「何だジャック、前の学校では苛められてたのか?」
「止せよ」
恵一が強く智弘の肩を掴んだ。
「そう言う込み入った事は聞くモンじゃない」
「あ、大丈夫だよ」
若冲が慌てて恵一を宥めた。恵一は何とも言えない表情で若冲の顔を見る。若冲は続けた。
「別に隠す程の事でも無いしさ」
「竹林寺がそう言ってくれるなら別に構わないんだが…」
「だから、あまり彼の事を責めないでやって欲しいんだ。新しい渾名も感謝してる」
「ほれ見ろ恵一、判る奴には俺の気遣いが判るんだよ」
そう言って智弘は恵一の肩をバシバシと叩いた。恵一が露骨に嫌な顔をする。
「全く、本人が悪い顔をしないからって調子づきやがって…!」
そんな智弘と恵一の様子を少し離れたところでにこにこと眺めてた裕樹が、ここに至ってやっと口を開いた。
「ところで、僕等の自己紹介がまだやったなー」
嗚呼そうだった、と智弘と恵一が我に返る。そして各々が自己紹介した。
「俺、樋口智弘!『トモヒロ』って呼んでくれ!宜しくな!ジャック」
「俺の名前は雪野恵一。俺の事も下の名で呼んでくれ。宜しく頼む」
「僕は川澄裕樹、『ユウキ』って呼んでや。仲良うしてなー」
三人が代わる代わる伸べる手を握り締めて、若冲は少しだけ笑みを浮かべて言った。
「仲良くしてね」
こうして若冲は転校初日にして、新たな友人と新たな渾名を手に入れたのだった。
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