魔王城 〜リヤン・ハイムーンの場合③
振り返ってはいけない。
本能がそう告げている。根拠のないことは信じることは今までなかったのだが、直感で感じていることに背くと死ぬことを肌で感じた。
「あんたらも私を倒しに来たのか? 全く、迷惑この上ないね」
はぁ、とため息ひとつ吐く。息一つですらもビクッと体を強張らせた。隣にいるカズーキも同じく動けないでいる。いつもだったらヘラヘラしているこいつでも今の状況は危険だということだろう。
誰もいないと、油断した。どうする、どうする。このまま逃げるか。いや、逃げ切ることができるのか。
ほんの数秒の間に考えを張り巡らす。しかしどの提案も即座に却下され、打つ手がない。万策尽きたか、と思った時。ふとこの声に聞き覚えがあった。かなり昔、そうだ、二十年以上前だ。俺は、この声の主と会ったことがある。あの事件が起きる前だ。
「もし、かして、モーミ様……?」
「ん? あ。もしかして、リヤンくん?」
怒気を含んでいたと思われた声は、ころっと変わり優しく名前を呼ばれた。初めは振り返る勇気がなかったのだが、彼女の声に反応した俺は反射的にバッと振り返った。はじめこそ逆光で顔を見ることができなかったのだが、徐々に後ろの光が弱まって顔が見えた。
モーミ様だ。
彼女の顔を見間違えるわけがない。
だって彼女は、死んだはずのスィースの母親なのだから。
俺の言葉をまだ飲み込めないのか、カズーキは「は? え?」とパニックになっている。目を白黒させているとは、まさに今の彼のことだろう。俺自身もこの置かれた状況が分からずに頭の中が混乱している。どうして、なぜ。あの日に死んだと聞いていたはず。
「あーごめんねぇ。てっきり、しつこい元魔王が突撃してきたのかと思っちゃって。あいつ、ほんっとうにしぶといから困るわぁ」
「え、あの」
「あ、ごめんごめん。お茶も出さずに話しちゃって! えーっと、あ、スンくん! こっち来て!」
口をパクパクさせている俺に構わず、大きな声で一人の名前を呼んでいる。どこに向かって叫んでいるのか分からず、俺らの体は固まったままだ。すると、どこからかパタパタと歩いてくる音と「はぁーい」と呑気な声が聞こえてきた。
「何かありましたぁー?」
「息子の友達が来てくれたから、お茶を入れてもらってもいい?」
「あ、いいっすよ。お茶菓子とかどうします?」
「そうねぇ。あ、この前ゴブリンたちから貰ったお芋のやつ! あれにしましょ!」
「いいですね! 俺も食べたいから持ってこよー」
あの緊迫な空気はどこへ消えたのか、スンと呼ばれた男性は鼻歌を歌っている。人間ではないその姿は、頭から角が二本生えており魔王に仕えている悪魔だと分かった。細身の彼は出てきたところへもう一度戻り、姿を消した。俺、今、魔王城にいるんだよな?
「そんなところで立たずに、ここに座りなさい! ほらほら、カズーキくんも!」
「え、あ、その、は、はい……おい、カズーキ」
コツンと肘で呆然としているカズーキを突く。ハッとしたのか、持っていた剣をガシャンと大きな音を立てて落とした。現実に戻ってきたらしいカズーキ。「ほらほら!」と急かすモーミ様の言葉に「は、はい」と声を裏返して返事した。
彼女が手招きをしているところに高価な装飾が施された机と椅子が三つ置いてある。「座って座って」と言われ、断れるはずもなくカズーキと一緒に腰をかけた。
「いやぁ、二人とも久しぶりねぇ。元気してた?」
「そこそこ、ですかね」
「そうなの? でも、あーんなに小さかったのに、こんなにも大きくなっちゃって。そりゃあ私も歳をとるわ!」
あっはっはっと豪快に口を開けて笑っているモーミ様。俺らは頬の筋肉をどうにかして動かし、「は、ははは」と渇いた笑いが口の中から出てきた。
いや、誰だってそうなるだろう。亡くなったと言われていた王妃様が生きていて、今この魔王城の中にいるのだから。誰だって混乱する。世間話はまだまだ続くようで「そういえば」と何かを思い出したようだ。
「あなたたち、こんな辺鄙な所まで来てどうしたの?」
「えっと、俺らはスィースと一緒に魔王を退治するために来たんです」
「それって、アーシ様に言われて?」
「は、はい。スィースを勇者にして、魔王を退治してこいと」
「ふーん。なるほどねぇ」
どうにかして言葉を紡ぎ出し、今の自分たちの現状を伝えた。俺に続く形でカズーキも話をする。やっと目の前で起こっていることが頭の中で追いついたようだ。ほっとしたのも束の間、何かを考えているモーミ様が再度口を開く。
「もしかして、私、死んだことになってる?」
「えっ」
「いいのよ、隠さなくて。どうせあいつのことだし、都合のいいことしか話してないのでしょう?」
ケタケタと笑っている王妃様。小さい時に見た彼女は、かなりの美人で聡明だった。大臣たちにも好かれており、彼女がいると良い意味で空気が変わると言っていたような。
大人になった今なら分かるかもしれない。器が広く、懐が深いのも相変わらずのようだ。まぁ、怒った時は怖いけど。
「……あの事件があった後、モーミ様は亡くなったとアーシ様がおっしゃっていました。死体も見つからず、行方不明同然だと。国中が深い悲しみに暮れていました」
「そう、やっぱり。みんなには申し訳ないことをしたわ。謝っても謝りきれない」
悔しがるとか、憤りを見せるとか、そんなことは一切なかった。グッと手を握ってはいるけれど、その手を振り下ろすことはなく、ただじっと見つめているだけ。何を考えているのかは読み取れないが、ほんの少しだけ寂しさを含んでいる気がした。
「ま、終わったことは仕方ないね。で、今後のことなんだけどね」
「モーミ様ぁ、お茶入りましたよぉー」
「あら、タイミングが良いじゃない。さすが側近ね」
「いえいえ、そんなことないですよ」
かちゃん、と食器の音が室内に響く。不気味だと思っていた静けさが心地の良いティータイムを味わう静けさに変わるなど、誰が想像できただろうか。白い地に鮮やかな色を使った模様が描かれている。
そういえば王妃様は食器がお好きだと聞いたことがある。だからなのか、彼女の命日にはたくさんの人が可愛らしい食器をお供えしているのだ。それを知ったらきっと欲しがるだろうなぁ。
「ん、美味しい! スンくん、また腕をあげた?」
「そりゃあ、毎日お茶を入れていたら上手くもなりますよ。じゃ、俺は向こうの方でティータイムを過ごしているので。ごゆっくりぃ」
語尾を伸ばして話すのが癖なのか、変に力が抜けてしまう。お茶と同時に置かれたお茶菓子はさつま芋で作られたスイートポテト。てかてか輝いている表面の下には鮮やかな黄色が見える。
わざわざ温めたのか、ほんのりと甘い香りが鼻の奥をくすぐる。ぐぅっとお腹が鳴った。
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