第45話

「あの…」

「ん? …もしかして、タマ後輩かい?」

「はい…」


 アマ先輩がすぐに気が付けなかった理由は、この髪とマスクのせいだろう。

 昨日のこともあり、やはり変装すべきということになり、巴からこのカツラを渡された。


「ふむ。まぁ…その方がいいだろうね?」

「確かに視線を集めませんしね」


 目線だけ軽く回りを見渡すが、ばれている様子はない。


「だから巴さんもスーツじゃないのか」

「ええ、私が普段通りではそこから気が付かれる方もいるでしょうから」


 今の巴はグレーのブラウスに黒のスキニーパンツを身に着けている。

 今朝、巴宛に届いていたものを箱から取り出し、そのまま来ていたけれど、いつの間に頼んでいたのだろうか。


「ところで、先輩はどうして制服なんですか?」

「一応、余所行きの服は持っているんだがね、考えているうちに面倒になったんだ」


 アマ先輩の服は、間違いなく制服ではあるが、スカートタイプのものだった。


「先輩って学校ではズボンじゃありませんでした?」

「ん…まあ、こんな機会でもなければ箪笥の肥やしになるだけだ。たまにはね」


 そういってスカートの端をつまんで、揺らしている。


「ん…来たかな」


 アマ先輩の視線の先をたどれば、こちらを見つけたのか、白のワンピースにベージュのジャケットを羽織った小田原さんが走り寄ってきていた。


「す、すみません! …お、お待たせしましたか?」

「いや、私たちも今着いたところだよ」

「そうでしたか…」


 アマ先輩の方を見ていた小田原さんは、こちらに気が付き…


「ん…? え!? もしかして…!」

「小田原部長、こちらタマちゃんだ」

「た…え、タマちゃん?」

「ああ」


 小田原さんは困惑した様子で俺の方を見つめる。


「…? え? んん…? …あぁ! そういうことですね!」


 手をぽん、っと合わせると、小田原さんは頭を下げた。


「お待たせしちゃってごめんなさい、タマちゃん」


 アマ先輩の意図が伝わったのか、小田原さんはそんな風に呼ぶ。


「アマ先輩の言う通り今着いたところだから…あと、呼び捨てでも大丈夫じゃない?」


 小学生の頃は女の子みたいな名前だといわれたこともあった。

 なぜこの名前を付けたのかはわからないけれど、今は都合がいいんじゃないだろうか。


「いえ…」


 小田原さんは左右に目を向けた後、失礼します、といって耳に口を寄せた。


(ネットで見たんですが、同じ名前というだけで喜んでいたりする人もいるみたいで…聞こえたら少し注目を浴びてしまうかもしれません)


 呼び方には慣れないけれど、仕方がない。

 リスクを冒す必要もないだろう。


「では、入ってしまおうか。ここに立っていてもしょうがない」



⇆⇆⇆



「あまり映画自体見たことは無かったが…なかなか面白いものだねぇ…」

「はい! 私も大変満足でした!」


 鑑賞後、近くのファストフード店に入り、昼食を食べつつ感想を話し合っていた。

 『空き教室の深海魚』は、ざっくりいえば、優等生の少女と落ちこぼれの少女の関わり合いの中での成長、恋愛模様を描いたものだった。


「原作の漫画ではあとがきに書かれていた『深海魚』の言葉の説明を最初に追加していることで、話に入りやすくなっていましたし」

「私も『深海魚』という言葉にあんな使われ方があるなんて知らなかったよ」

「あの説明がないと、深海魚要素はどこだったんだろうってなりますもんね」


 学校、特に中高一貫校の中で、成績が下のままで上がってこない生徒のことを、深海に生息している深海魚と重ねてそのように例えるらしい。

 

「小田原部長は印象に残ったシーンはあったかい?」

「私は…テストで平均点に届いた時の椎奈しいなちゃんの信じられないといった表情から、礼彩れいさちゃんから抱き着かれて、ようやく現実だと認識して、徐々ににやけ顔に変化していくシーン…神でした。ほんとうによかった」


 小田原さんは両手を握り、思い出しているのか視線を上方へ向けながら恍惚とした表情を浮かべていた。


「そうだね…実際に努力の方向を間違えている人や…『勉強』が苦手という人はいるんだろうね。『荒巻椎奈』も苦しい中で努力を続けていただけに、報われるシーンには感動したよ」

「わかってくれますか、音羅先輩!」

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