第42話

 突如響いた金切り声に振り返れば、一人の女性が物凄い形相でこちらに手を伸ばしてきていた。


「え…うっ」


 驚くと同時に巴に勢いよく引き寄せられた。

 真っ暗な視界から少し顔を動かせば、巴の手が女性の手首を掴んでいた。


「…」

「離しなさい! やっと見つけたの、私の王子様ぁ!!」


 片手を掴まれているというのに、女性の視線は俺から一切外れない。

 一切瞬きもしない女性に少し恐怖を覚えていると、そのまま女性はもう片方の腕を伸ばし…巴に転がされた。


「…え、なんなん?」

「やっばぁ…何このおばさん?」

「急いで車へ避難を」


 巴の目線の先にはタクシーが停まっており、運転手もこちらの様子を察したのか、ドアを開けてくれていた。


「巴は…?」

「このっ、離しなさいっ!」

「…このままですと手が離せませんので」

「わ、分かった。ルーたちもこっちに」


 ルー達の肩を押し、タクシーのほうへ向かった。

 近くにいた人たちも動揺しているようだったけれど、タクシーまでの道を開けてくれており、すぐに乗り込むことができた。

 ドアが閉じられ、窓越しに巴のほうを振り返れば、女性の上に体重をかけつつ、こちらを見ていた。


「どいてっ! っっ、どけぇぇ!!!」


 窓は閉じているはずなのに、女性の声がはっきりと響いてきた。

 改めて女性の顔を確認する。

 40代ぐらいだろうか?

 記憶をさかのぼってみるが、その顔に見覚えはない。


「…みんなは大丈夫?」

「う、うん。びっくりしたぁ…」

「よゆー」

「ウチらよりねーでしょ。やばいの」

「よかった…」


 再び車内から視線を移せば、巴が懐から何かを取り出し、女性に押し当てれば、身体が跳ねた。

 そして、一瞬糸が切れたかのように地面に潰れるが、まるでゾンビのように、手の力だけで、こちらへ近づこうと、無理矢理に手で地面をひっかいていた。。

 しかし、巴が再び、先ほどよりも長い時間、何かを押し当てれば、女性は動かなくなった。

 

 巴は周りの様子を見まわしている。

 もう出ていいのかと迷っていると、ルーが服の裾を引っ張っていた。


「もうちょっと待ったほうがいいかも…? ほら、おねーさんも」


 巴はどこかに連絡をしつつ、こちらを向いて、出てこないようにと手で示していた。

 すると、数分も経たないうちに、パトカーのサイレンが聞こえてきた。



⇆⇆⇆



 交番で少し状況の説明などをした後、家に戻る。

 タクシーを降りようとしたところで、ちょうど黒塗りの高級車が門の中から出ていった。


「お、おかえりなさい、二人とも」

「ただいまです、愛子さん」

「た、ただいま帰りました」


 玄関の扉を開けると、愛子さんが立っていた。


「警察の人と、巴さんからも少し話は聞いたけれど…いえ、こんなところで話し込むものじゃないわね」


 手を洗ってから、居間へ向かうと、愛子さんはコップを片付けている途中だった。


「どなたかいらしてたんですか?」

「え、ええ…ちょっとした、知り合いよ。それよりも! 本当に大丈夫だったのかしら?」

「は、はい。…巴が」


 俺はすぐにタクシーの中に入ってしまったので、そこまで危なくはなかった。


「し、素人でしたので…」

「そ、そう…やっぱりすごいのね、巴さんって」

「い、いえいえ! 全然です…」


 謙遜する巴だけれど、あの光景をみるとやはり護衛なのだと実感できた出来事だった。



⇆⇆⇆



「た、珠きゅん…?」

「え、ど、どうした巴?」

「あの…な、何か気になりますか?」

「ううん、なんでもない」


 いつの間にか手が止まっていたらしい。

 改めて見ても、巴の背中は白く綺麗だが、瘦せすぎているというわけではなく、かといって、筋肉が隆々といった様子も見られない。


「…」

「? あ、あの」

「…何度もごめん」


 最後まで洗い終え、ともに湯舟へと浸かった。


「今日の巴もすごかったね」

「え、えっと…? な、なんのことでしょう…?」

「ほら、昼間の。女の人を抑え込んだ」

「あ、あぁ…え、えへへ、ありがとうございます」

「ああいうのって護衛になってから覚えるの?」

「い、いえ…護衛校で…」

「そういえば、そういうものがあるんだっけ…」


 以前に綺羅さんが護衛について聞いていた時に話していたような気がする。


「…俺も、護身術?とか、習った方がいいのかな?」

「た、珠きゅんが?」

「うん、ほら、今日も自分で身を守れれば」

「い、一番身を守れるのは、護身術じゃなくて、避難することです」


 ぎゅっ、と抱えられていた右腕を締めて、抗議するような目でこちらを見る。


「でも、ほら。今日とか、巴を置いて逃げるみたいで…」

「そ、それが私の仕事ですから…」


 巴は、更に近づいてくる。


「そ、そのために私…私たちは護衛として、様々なことを学んできていますから…それに、お、男の子なんですから、やっぱり危ないことはやめましょう? あ、危ないことは女に任せておいてください」

「…」

「…な、何か気になりますか?」

「そう、だね。ちょっと意識が違ったというか」


 いまだに意識が変えられていない。

 いつになったら慣れるのだろうか。



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