第30話 自分がしたいように

「無理をしてないかしら?」


 愛子さんはそう尋ねてくる。

 今は帰ってきた愛子さんと共に、夕ご飯を作っている。とは言うものの、手伝い程度しかできていない。俺の場合は、今まで、適当に焼くくらいしかしてこなかったため、料理となると難しい。


「無理は、してないんですけど」

「ええ」

「男の人って女の人に触られるの、どれくらい苦手なんですか?」


 男の人が女の人に触られるのが嫌だということは何度か聞いた。しかし、実際にどのくらい嫌なものなのかは理解できていなかった。


「それは…珠音くんの方が詳しいと思っていた、のだけれど…良くわからないのね」

「はい」


 ちょっと嫌とすごく嫌の2つだったら、優子や喜子ちゃんの反応から後者に近いのだろうとは思っているのだけれど、「今度から気をつけて欲しい」になるのか、「もう二度と近づかないで」になるのか、それともその中間なのか。


「…そうね。それを知って珠音くんはどうするつもりなのかしら?」

「どうする…」


 …どうもしないだろう。

 仮に二度と関わらないのが普通だとして、じゃあ明日から関わらないで、とは言えないし、そんなことを伝えたら俺の方が傷つく気がする。


「珠音くんの保護者としては、やたらに触ってくるような危険人物がいるなら報告はほしいけれど…珠音くんの意思に反して無理矢理離れさせるようなことは、多分しないわ」

「…はい、ありがとうございます」


 俺の自主性を尊重してくれるということなんだろう。


「それに、危険人物がいても、守ってもらえるでしょう? ね、巴さん」

「…」


 返事がなく、巴の方を見れば、ただひたすらに手元を動かしていた。


「巴さん?」

「はっ、はい! あ、その…そ、そうですね」


 たった今気づいたのか、持ったお皿を落としそうになりながらも、返事を返していた。


「巴、大丈夫?」

「だ、大丈夫です…す、すみません…」


 その後も、巴は心ここに在らずといった様子で、夕食の準備を続けた。



⇄⇄⇄



「巴、どうかしたのか?」


 巴の髪を洗いながら、改めて尋ねた。

 巴は夕食の最中も何か考え事をしているように見えた。


「え、なっ、何でも、ない…です」

「…そうか」


 巴がそういうのなら、話したくはないのだろう。


「そういえば、巴って頭いいんだよね」

「え…は、はい。その…はい…」

「お風呂から出たら宿題をやるつもりだったから、その時にちょっと教えてもらってもいいかな?」


 もしかしたら1人で終わらせられるかもしれないが、忘れている部分や知らない部分なども多いだろうし、協力してもらおう。


「も、もちろんです! わ、私が、珠きゅんの、役に立てるなら…」

「ありがとう」


 巴の頭の泡をゆっくりと洗い流す。

 違うものを使っているからか、洗っている最中もとてもいい匂いがする。


「じゃあ、次は身体」


 石鹸を泡立て、巴の背中を洗い始める。シミひとつない真っ白な肌をしていて、目の毒ではあるが、腕と背中以外は巴が自分で洗うのだし、これくらいは我慢できる。


「…」


 腕を洗う。

 肩から二の腕へと、指先に向けて丁寧に洗っていく。

 巴の腕は細い。しかし、洗ってみれば、しっかりと固いことが分かる。

 そして、指も細い。

 洗っていると巴が少しくすぐったそうにしていた。



⇄⇄⇄



「はぁ〜…」「ふぅ…」


 巴と湯船に浸かる。

 1日の疲れが溶かさられていくような感覚に、口から空気が漏れる。

 やっぱりお風呂はいいなぁ…

 そう思いつつ隣を見れば、巴も心地よさそうな顔をしていた。


「…」

「…」


 しばらくの間、2人で無言のままお風呂の壁を眺めていたのだが、巴が口を開いた。


「あ、あの…珠きゅん」

「ん〜?」


 自分でもわかるほどの気の抜けた返事を返してしまう。食後ということも相まって、心地よさで眠ってしまいそうになっていた。


「…」


 目を軽く瞑り、リラックスしていたのだが、ざばりと巴の立ち上がる音、そして、水面の揺れに目を開く。


「…巴?」

「…」


 巴はゆっくりと近づいてくると、俺の隣に座った。ずっと隣に座っていたが、近く。

 肩が触れ合う…いや、密着するほど近くに座った。


「…し、失礼します…!」

「と、巴!?」


 巴に右腕を抱かれた。

 喜子ちゃんにも似たことをされたが、状況が違う。ここはお風呂場、巴は全裸だ。

 お風呂に浸かっていたこともあってか、巴の肌は滑らかで、温かい。


 戸惑っていくうちに、右腕は更に巴の身体に包まれていく。

 巴は顔を赤く染めながら、こちらを見ていた。


「…と、巴?」

「…」


 名前を呼ぶと、巴の力はより強くなった。

 しかし、痛みは一切なく、柔らかな感触が広がっただけだった。

 おもわず目を引き寄せられる。

 鎖骨から流れる雫が、巴の身体を伝い、俺の腕へと落ちた。


「き、急にどうしたんだ?」

「そ、その…」


 腕だけでなく、身体も密着する。


「き、喜子さんの、ことなんですけど」

「え、喜子ちゃん?」

「は、はい…その、喜子さんが、珠きゅんの腕に、だ、抱きつきました、よね?」


 ゲームをした時のことだろう。


「か、家族で、その…危害を加えるようなことは、ないと考えまして…あ、あと、珠きゅんなら、い、嫌がらないだろうと、今までの行動を見て…えへへ」

「う、うん…」

「で、でも…こ、こういうことは…護衛の役割、なのではと、考えてました」


 …夕食の準備をしながら、ずっとこのことを考えていたのだろうか。こういうことというのは…巴が護衛の役割の一つと言っていた、女性に慣れさせるというものだろう。


「に、2回目ですけど…大丈夫そうで、よ、良かったです!」

「…」


 巴に笑顔を返す。

 大丈夫じゃないが?

 下手に動かすと悪化しそうだから動かないだけで、のぼせそうになっている。


「と、巴。そろそろ出ようか」

「え、い、いつもより少し短い…も、もしかして、体調が!?」

「ち、違う。体調は、大丈夫」

「そ、そう、ですか」


 顔が熱くなっているのは、お風呂のせいだけじゃない。


「…じ、じゃあ、うん。出よう」

「は、はい」


 巴に背を向け、脱衣所を目指した。


「…えへへ、私もちょっと…のぼせちゃいました」

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