第10話 出会い

「私は元々、子供を作るつもりはありませんでした」


 咲森さんは真っ直ぐと、はっきりと言った。


「私、実は幼い頃に母親を亡くしていまして、幼少期は結構苦労したんです。それでも、頑張ろうとなんとかやっているうちに、いつの間にか、秘書だなんて大層な立場を任せていただけることになりました」


 視線を宙へと浮かべた咲森さんは、目尻を下げ、懐かしむような優しい声音へと変わっていった。


「秘書となる時も言われました。『私達は、子供を作っても、自分では育てられない。別の人を雇って、任せることになる。その覚悟はあるのか』と。…その当時は、確かに、その覚悟がありました」


「実際、それ以降も、子供を作りませんでしたし、作るつもりもありませんでした。だから、人一倍働いて…全摘する必要があると言われた時も、そこまで悩まなかったんです。作る気のない子供より、自分の健康の方が大事だと」


 咲森さんは自身のお腹を優しく、円を描くように、柔らかな笑みを浮かべて撫でる。


「実は、全摘をした後は、そこまでリハビリなどの期間は必要ないんです。激しく動く職業でもないため、すぐ復帰は出来ます」


「ですが…何故か、子宮を取ってから、何かを失った気がしてしまって。なんとなく、やる気が出なかったんです。だから、だらだらと病院で過ごしていました」


 まあ、簡単に言えばサボりですねと、軽い口調で咲森さんは続ける。


「そんなふうに過ごしていたら、急に『男の子の親になって欲しい』と言われて、大慌てでした」


 くすくすと、咲森さんはその時のことを思い出したのか小さく笑う。


「改めて考えれば、身体は治っているのは分かった上で休ませてくれていたんでしょう。でも、それ以上の案件が降ってきたので、頼まざるをえなかったのでしょうね」


 咲森さんは、カップに口をつけると、一息いれた。


「…正直、子供ができることよりも、男の子に会える、と言うのが動機でした。簡単にお目にかかれる訳でもありませんし、そろそろ仕事に復帰しないと駄目になる、とも思っていましたから」


「そして、実際に会ってみれば、かっこよくて…本当に良い子で。こんな男の子が息子になるのだと、テンションが上がりすぎてしまい、いつもならしないような行動をしてしまうこともありましたね」


「でも、多々里様は受け止めてくれました」


 一瞬笑みを浮かべ、しかし、すぐに目を伏せる。

 そして、懺悔をするように、弱々しく話を続けた。


「…峰紀様に美味しいところを取られると言ったのを覚えていますか? …あれは、嘘…間違いです。本当に良いとこ取りをするのは、私の方なんです」


 咲森さんとは、視線が合わなかった。


「峰紀様とは、何度か連絡を取らせていただきました。彼女は、本当に優しい方です。多々里様のこと、そして、自身の娘のことを心から考えて、慣れてもらう為にも、はやく迎え入れたいと、要望があればなんでも言って欲しいと、何度もおっしゃっていました」


 敵いませんよね、と呟くように言う。

 悲しいような、寂しいような、そんな表情をしていた。


「…子供はいらないなんて思っていたくせに、息子ができて嬉しくなって…」


 咲森さんの頬を一筋の雫が伝う。

 それを隠すかのように、両手で顔を覆った。


「出産の痛みを味わうこともなく、母親として育てるわけでもなく…とても良い子に育った男の子を息子にして、その後の世話も他人にやってもらう」


「良いとこどりだなんで、どの口が言えるんでしょう」


 そう言って、両手を膝の上へ戻した咲森さんは、頬を濡らしたまま、笑っていた。


「子宮を取ってしまって本当によかった」


「こんな私が子供を生んでも、その子を不幸にしてしまう。きっと、貴方と比べてしまう…私は、そんな酷い人間です」


 咲森さんは、涙を拭うと…


「だから、こんな私には、分不相応なくらい、本当に…本当に幸せな1週間でした」



「ありがとう」



 そう言って、頭を下げた。


「…こちらこそ、この一週間、本当にありがとうございました」


 本当に感謝の心でいっぱいだった。

 …でも。


「でも、一つだけ訂正させてください」


「咲森さんは酷い人なんかじゃありません。一週間、一緒には過ごさせていただいて、分かりました。咲森さんは、俺が男だから優しい訳じゃありませんよね、初めて会った時、俺をこの部屋まで案内する間に受付の人やすれ違った人、写真を撮りに行った時のカメラマンやスタッフの方にも、丁寧に接していました。咲森さんは、誰に対しても、丁寧に、優しく接することのできる凄い人です」


 施設の人を思い出しながら言う


「だから…もし、貴女が子供を産んだとしたら…その子は世界一幸せにしてもらえると思います」


「…」


 咲森さんは何を言う訳でもなく、ただ深く頭を下げた。

 こちらこそ、と、深く深く頭を下げる。

 咲森さんでなかったら、俺はもっと混乱していただろう。


「…ところで」


 そろそろ、しんみりするのは十分だ。

 別れの日で、泣いて終わるなんて、それこそ酷い。


「はい?」

「今更ですけど、様付けはやめてくれませんか? 一応、家族なんですし」

「そう、ですね」


 正直に言えば、様付けされることに、もう慣れてしまった部分はある。しかし、他人行儀のままで終わるのは、少し嫌だった。


「家族で苗字に様付けは、変に思われますし」

「そうですね…」


 咲森さんは一呼吸おき、真っ直ぐこちらを見据える。


「じゃあ、俺から。…。えっと…お母さん?」

「事情は聞いています。名前で構いませんよ」

「じゃあ…美里みさとさん?」

「…ええ、珠音」

「ははっ」

「ふふっ」


 違和感に思わず2人して笑ってしまう。

 でも、慣れていきたい、そう思ったのだった。


「…そろそろ昼食にしましょうか。そのあとはせっかくの顔合わせ、おめかししないとですね」


 そう言って、咲森さん改め、美里母さんは、出会ってから一番の笑顔を俺に向けたのだった。



⇄⇄⇄



 美里さんは、もういない。

 別れとして、固く抱擁したあと、いつでも連絡してください、そう言い残して去ってしまった。


「さて…」


 目の前は、館の玄関。

 この中では、新しく家族になる人達が待っていてくれているはずだ。


「よし!」


 頬を叩き、気合を入れる。

 …恥をかかせるわけにはいかないから。


 意を決して、俺はインターホンを鳴らすのだった。

 

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