第9話 選択
「子宮…?」
「はい。…この方はまだ摘出していないようですが」
…再びファイルに目を落とす。
子宮…?
「えっと、その…護衛してくれる人を選ぶのに関係あるんですか?」
「? はい、当然ありますが…?」
「…」
「なるほど。危機感の無さはここまででしたか…いえ、だからこそ…?」
咲森さんはぶつぶつと独り言を呟きながら、何かを考えていたようだったが、すぐに顔を上げた。
「そうですね。まず、子宮はご存じですね?」
「…はい」
「護衛の方が子宮を摘出しているのは、そうですね…男児の母親を安心させるためです」
「母親を?」
「ええ。自分子供のそばに、その…危険人物を置いておくわけにはいかないですから」
咲森さんは言いづらそうにしていた。
…この場合の危険は、おそらく、傷害ではなく、性的なものなのだろう、子宮なんてワードが出てくれば、それくらいは分かる。
「でも、子供ですよね?」
「…子供以前に男性です」
…つまり、幼くてもそういう対象になると?
「それって普通なんですか?」
「…はい」
咲森さんもですか、と聞こうとして寸前でやめる。これ以上はセクハラになりそうだし。
それにしても、それが普通…
それが普通の世界で、護衛として、赤の他人を迎える…?
「だから護衛の人は…その、子宮を?」
「そうですね。…誤解があるかもしれませんので、伝えておくのですが、摘出しなければ護衛になれない、というわけではありません。そのようなことを国民に指示できるわけもありませんし」
「あ、そうなんですね」
以前読んだ漫画の中に、昔の中国でそういう職業があった、と見たことがあったが、違うらしい。あれは男性だったけれど。
「はい。ただ、伝統といいますか…成り立ちが、出産能力のない女性が男性に貢献する、というものでして…言い方は悪いですが、勝手に続けているようです」
「なるほど…」
だから、今でもほとんどの人が摘出していると。
「じゃあ、この前之園さんはどうしてなんでしょう?」
「…おそらくですが、今度摘出する予定であると考えられます。年齢が22ということはおそらく、この前之園様は、今年の4月に採用されたばかりです。本来であれば、来年の4月に中学生になる男児の護衛候補となるはずですので」
「あぁ…時期がずれたから」
今は5月の中旬。
本来の入学の時期から1ヶ月以上経っている。
「護衛登録名簿からそのまま届けられたため、前之園様も記載があるのでしょう」
「そう、なんですね…」
本来であれば、候補にすら上がらない人なのか…
「あの…じゃあ別の人に頼んだ方がいいですかね?」
「…いえ、多々里様が選んだのであれば、是非、その方にしてあげてください。いくら日本とはいえ、摘出しなくて済むのなら、それが本人にとっても一番でしょうから」
「…そうですか」
じゃあ、この人、『前之園巴』さんに頼むことにしよう。
咲森さんに教えられながら、必要な書類にサインと母印を押していく。
「ところで、『いくら日本でも』ってどういう意味なんですか?」
「? …出産医療の先進国である日本、という意味です」
「出産医療?」
「はい」
「…すみません、言葉の意味は分かるんですけど」
出産医療というからには、その言葉の通りなのだろうけれど、あまり聞き馴染みのない言葉であったことと、話題を逸らそうと思い、聞き返す。
「…我が国の医療、特に出産・遺伝子などに関する分野においては、世界一と言っても過言ではありません。その理由は様々ですが、最たる理由は、男児の出生率が低いことが挙げられます」
「あぁ、100万分の1でしたよね」
改めて考えても凄い数字だ…と思っていたのだが。
「いえ、100万分の1というのは正しくありません」
「え?」
…いや、あれ…?
咲森さんもそう言ってたんじゃ…?
「その数字は女性に対する男性の割合です。それも、『世界平均』のものになります」
「…世界?」
「はい。グローバル化の進む現代において、男女比というと世界平均を用いることが多いため…誤解させて申し訳ありません」
「い、いえ…」
なるほど、グローバル化…
お昼のニュースとかでも聞いたことがあったような。
「我が国、日本における人口の男女比は、109対約1億5000万人…『約140万分の1』になります。そして、1年間の出生数における男児の割合は、平均で『約120万分の1』です」
「…つまり、世界平均よりも…悪い?」
「はい。だからこそ、出産や遺伝子の分野においては、他の先進国と比べても特に秀でていると言えるでしょう」
…100万分の1でも凄いのに、更に。
でも、そこまで変わらないのか…?
いや、国としては大変なんだろうけど…
「…このような知識を学び直す時間は…申し訳ございません」
「いえ、俺の方に問題があるだけなので…」
書類の向きを整えて、咲森さんに手渡す。
パラパラと確認して、封筒にしまっていた。
「ありがとうございます。さて…そろそろ昼食にしましょうか」
「はい」
「それと…午後からは、聖山学園へ提出する書類や養子制度に関する書類、あとは、銀行口座を開設するための書類など様々なものにサインをいただくことになります」
「分かりました」
⇄⇄⇄
「今日で最終日ですね」
朝食を食べ終え、先森さんが言う。
そう、もうこのホテルの中で、一週間。
明日からは、養子として迎えてくれる家での生活となる。
「午後からは、養親の方・護衛の方との顔合わせがありますが…名前は覚えていらっしゃいますか?」
「はい。『
「はい。その通りです。多々里様は優秀ですね」
「いえ…」
「…」
「…」
2人で暖かな珈琲を飲む。
昨日までの忙しさが嘘のように、穏やかな時間が流れる
「…実は、ですね」
そのような中、咲森さんは呟くように言葉を漏らした。
「今日は、予備日なのですることはありません」
「はい」
それは聞いていた。
俺のことを気遣い、余裕を持ってスケジュールを組んでくれていた、と。
「この予備日ですが、実はせっつかれていましてね」
「せっつかれて?」
「…峰紀様より、そちらが準備を終えたら、いつでも迎える準備は出来ていると、連絡が来ていました」
咲森さんはもう一口、珈琲を口に含んだ後続ける。
「昨日の時点…夕食後にも連絡が来ていました」
「夕食後…」
確かにその時には、やるべきことは終わっていた。
「…ですが、延期してもらいました」
「延期…」
今日の午後まで、ということだろうか?
「…申し訳ございません」
「い、いえ…謝られるほどのことじゃ…でもどうして?」
「…それは」
咲森さんは、軽く目を伏せながら口を開いた。
「もう少し…もう少しだけでいいので……
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