第8話 アリ、ナシ
「ふぅ〜…」
湯船に浸かると、今日の疲れを吐き出すかのように自然と息も漏れ出てくる。身体を動かしているわけではないのに、ここ数日疲労感がすごい。
「…」
無言で天井を見上げていたが、心地よさに目を閉じる。真っ暗な視界、瞼の裏には今日の出来事が思い浮かぶ。
「…いや、そっちじゃなくて」
直前の、夕食中にあった、『お母さんって呼んでもいいんですよ』というくだりを思い出し、一人でツッコミを入れてしまう。いや、まあ、実際にお母さんではあるんだろうけど…
その後、養子の話があった。
俺がお世話になる家族は、母親と娘が2人。
養親となる女性は、後に入学することとなる学校の校長先生をしているらしい。…すごい人ばっかりだ。
そして、その学校の名前を聞くと、驚くことに聞き覚えのある学校名ーー『聖山学園』。
学生証を落とした子が言っていた学園だ。どんな偶然なのかと思っていたが…あの女の子が登校中だったようだし、この近くにあるのだろうか?
「中学生、か…」
以前…元の世界で通っていた中学の時は、どんなふうに過ごしていただろうか?
授業は、たしか真面目に聞いていた。でもそれは、勉強が好きだったからではなく、授業以外で勉強したくなかったから。そういう意味では不真面目だったのかもしれない。
現に中学の頃に習ったものは殆ど覚えていないし、働き始めてからも、もっと勉強しておけばと思うことも多かった。だが、どのような因果か、学び直せる機会がもう一度やって来た。いきなり勉強に全力でとはならないだろうが、向き合い方は変われる気がする。
「あぁ、でも…」
一つ。
俺が中学校に行って良かったと思ったものがあった。それは友人ができたこと。
俺の唯一の友人であった小田原くんとは、中学で出会った。小田原くんは高校へ進んだが、俺が働き始めてからも交流は続いていた。
「そういえば…アニメとかどうなっているんだろうか」
彼はいわゆるオタクで、趣味であるアニメやWeb小説なども彼が薦めてくれたものだった。俺がお金がないことは知っていたから、中学生の頃は漫画を貸してくれて、働き始めてからも、お金のかからないアニメやWeb小説を紹介してくれた。
中学生の頃は施設の手伝いで、働き始めてからは言わずもがな、時間はあまり取れなかったが、彼がオススメしてくれたものは目を通すようにしていた。
彼は、趣味を話せる人が欲しかったから、とか、感想を語り合うだけで楽しい、とか言っていた。
そんな彼だったから、長く交流は続いていたのだと思う。
「でも、もう会えないのか…」
…
⇆⇆⇆
「おはようございます、多々里様」
「おはようございます」
「…ふむ」
咲森さんは、両手を左右にガバっと広げた。
「甘えますか?」
「…」
思い当たる節があったので少し動揺してしまった。それを察したのか、咲森さんは広げた腕を閉じようとはせず、笑みを浮かべながらこちらを見つめる。
「…大丈夫です」
「そうですか…やっぱり私は男性を慰めることはできないのですね」
「…いえ、あの…?」
「不甲斐ない母親でごめんなさい…」
「多々里さん、女性に騙されないように気をつけてくださいね」
⇆⇆⇆
「では、こちらを」
朝食を終えたあと、咲森さんは厚いファイルを机の上に置いた。
「これは?」
「この中から、護衛の方を選んでいただきます」
咲森さんに促されてファイルを開くと、以前に見た男性のプロフィールと同じような様式で、女性のプロフィールが書かれていた。
「護衛、ですか?」
「はい。男性には付くこととなっていますので」
「…なるほど」
パラパラと捲っていくが…
「これってどうやって選ぶんでしょう?」
「基本的には男児の母親が選ぶものですからね…」
「そうなんですか?」
「はい。中学校への入学時に付くことになりますので」
そうか、本当なら、今はまだ13歳とかの男の子なのか。だとすれば、母親が選ぶのも当然かもしれない。
パラパラと捲っていくが、どのように選べばいいのかもわからないため、ただ写真を眺めていくだけになってしまう。
「…」
「…」
咲森さんは隣で俺の手元を眺めている。
護衛…護衛か。
「すみません、そもそも護衛って何をされるんでしょう?」
なんとなくのイメージはあるけれど、念のため確認しておく。
「護衛についての説明がまだでしたね。護衛…男性周辺護衛は、男性と生活を共にし、24時間体制で男性を危険から守る職業です」
「生活を共に? 24時間?」
「はい」
…
「え、一緒に住むんですか?」
「はい」
「それってかなり重要なんじゃ…」
「そうですね…基本的には数十年は同じ方が担当しますので、慎重に選んだ方が良いと思います」
もう一度ファイルに目を落とす。
今から数十年一緒に過ごす人を選ぶの…?
「これって…」
「はい」
「…咲森さんがやってくれたりしないんですか?」
一縷の望みをかけて言葉にしてみたが、咲森さんは首を横に振った。
「大変…たいっへん! 光栄な申し出なのですが…必要な資格を取得していませんので…いえ、多々里様のために取得することは可能なのですが、時間がかかります」
咲森さんが唇を噛み始めたので急いで止め、もう一度ファイルの中へ視線を移した。
「じゃあ…」
取り敢えず年の近い人を選んだほうが良いだろうか。施設では年の近い人と一緒に生活していたわけだし…
「…あっ」
ファイルの最後、1人だけ22歳の女性のプロフィールが書かれていた。
「この人なら歳も近いですし、話も合いますかね?」
「…その方、ですか」
『
ファイルの中では、最年少。そして、俺と…俺の精神年齢と同年代で良いかと思っていたのだが…
「咲森さん的にはあんまりって感じですかね…?」
「いえ…多々里様の選択を尊重いたします」
何を気にしているのだろうと、プロフィールを詳しく見ていると、一つ、他の人と違うところを見つけた。
「すみません、咲森さん。この、う…? なんて読むんですかね? 他の人は『ナシ』なのに、この人には『アリ』って書かれているんですけど…」
「それは、ですね」
咲森さんは一呼吸おくと、口を開く。
「昨日、少しだけ話させていただいた、私の手術にも関係あることなのですが…」
「そうなんですか?」
「はい。そのまま『
「うてるす、ですか?」
英語なのだろうか、聞いたことがなかった。
「すなわち、『子宮』です」
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