第6話 あなたに伝えたいこと

「…はい?」


 咲森さんの言葉を、最初は理解できなかった。


「えっと、冗談ですか…?」

「…いえ、常識です」


 表情も真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。

 見えないのだが…えぇ…?


「えっと、百万…?」 

「正確にはもう少し高いのですが…はい」

「それって…どう…なるんです?」

「どう、とは?」


 何も考えていないのに適当な質問をしてしまった。いや、いくらなんでもそれは…


「男一人に対して…?」

「女性が約百万人います」

「それって…えっと」


 何を言えばいいのだろうか。

 百万って、百万だ。人が、一億人いたら男性は百人だけ?

 色々と考えていると、いつの間にか咲森さんの表情は曇っていた。


「咲森さん、どうかしましたか?」

「…いえ。そろそろ良い時間ですし、夕食にしましょうか」

「あ、そう…ですね」


 時計を見れば20時。

 意識するとお腹が空いてきた。



⇆⇆⇆



「…」


 夕飯後、お風呂を終え、ベッドに倒れ込めば、いつも寝ていたものよりも柔らかく、身体が包みこまれるように感じる。

 咲森さんは、隣の部屋に泊まっているらしく、先程この部屋から出ていった。

 枕に顔を埋めながら、考える。

 昨日公園で目覚めてから女性の人ばかりに会っている。それは、そもそも男性が少ないから…?

 あれ、男性いなかったのか…?

 街中を交番を探して歩いている時、確かに女性は多かったけど、男性もいたような…?

 人口の多い東京だからなのだろうか?



⇆⇆⇆



「それはおそらく男性の服装をした女性でしょう」


 翌日、咲森さんに寝る前に考えていた疑問を投げかけると、このような返答が返ってきた。

 咲森さんが言うには、ファッションの一つとして若者中心に男装が人気らしい。そして、東京などでは、男装に加えて、男性風メイクをするコスプレを行う女性も一定数いるらしく、俺が会った人にコスプレと間違えられたものこれが原因のようだった。


「そもそも、東京に男性は住んでいません」

「え、そうなんですか? 人口も多いでしょうし、多いと思ってました」

「人口が多いからこそ、でしょうね」

「?」


 どういうことか、と疑問に思っていると、咲森さんは対面の椅子から立ち上がり、俺の隣の椅子に腰掛けた。


「えっと」

「…」


 咲森さんは、無言で椅子をこちらに近づけた。香水の匂いだろうか、爽やかなミントのような匂いが漂ってきた。


「ち、近いです」

「このように」


 咲森さんは、近づいていた距離を離し、椅子の向きを変え、俺の方へ身体を向けた。


「多々里様は特別なのです」

「特別?」


 俺も咲森さんの方へ身体を向ける。


「多々里様は女性との距離が近くとも、普通の対応をされます」

「ま、まあ…?」


 照れてしまっているので、普通の対応と言っていいのかわからないけど…


「多くの男性は、女性に対し、拒否感や恐怖を抱いております」

「恐怖…?」

「はい。私達には分かりませんが、そのように感じる方が多いそうです」


 女性に対して恐怖。

 今までそんなことを感じたことはなかった。

 でも、それは男性と女性が同じくらいいたからなのだろうか。


「そのため、男性は人口が集中している東京や大阪などに住むことを避ける傾向にあるようです」

「なるほど…では、人口が少ないところに住んでいたりするんですか?」

「基本的にはそのとおりです。しかし、男性が住んでいることでその地域の居住者が急激に増えたりすることもありますので…」

「あー…」


 男性が極端に少ないと、住んでいるというだけで影響が出たりするのか。

 …アイドルのようなものだろうか。


「ですから…」


 咲森さんが口を開くと同時に、着信音が響いた。

 失礼いたします、といって、咲森さんが少し離れた。



⇆⇆⇆



「お待たせいたしました」


 特にすることもなかったため、椅子に座ったのまま、お茶を飲んでいると咲森さんが戻ってきた。


「明日になる予定でしたが、もう報告が来ました。男性が関わるときは流石に行動の速さが段違いですね…」

「報告、ですか?」

「はい。昨日、多々里様がこのホテルに1週間宿泊しなければならない理由をお教えできないと伝えたことを覚えていらっしゃいますか?」

「はい」

「それをお伝えできるようになりました」


 先程の通話で、理由を教えられるようになったのだろう。ということは、咲森さんが決めているわけではなさそうだ。


「少しショッキングな内容ですが、気をしっかり保ってください」

「…はい」


 ショッキング。

 なんだろうか?


「多々里様には、職場、友人関係、住所、卒業した学校のことなど、プライベートの情報を教えていただきました」

「はい」

「…まず、職場に関しまして。改めて現地の係が聞き込みを行いましたが、川上工場で、多々里珠音という人物が働いていた記録はありませんでした」


 …このことは、交番で南埜さんが電話を掛けてくれたときも同じだった。


「そして、学校についても、所属した記録はなく、多々里様にご記入いただいた住所のアパートで管理人を務めていらっしゃる方や住民の方にも聞き取りを行いましたが、多々里様を知っていらっしゃる方はいなかったようです」

「…はい」

「そして、ご友人の小田原おたわら元人げんと様に関しては」

「…」

「見つけることはできませんでした」

「そう、ですか…」


 …想像できていたことだ。昨日、世界の男女比は、俺の知る世界の常識とかけ離れすぎている。

 俺は、別の世界へ迷い込んでしまったのだと、頭の片隅で思い浮かんでいた。そして、それを実感してしまった。


「…」

「…」

「…しかし、これは現時点の話です。小田原元人様がまだ戸籍を登録されていないと言う可能性もあります大丈夫です落ち着いてください」


 いつの間にか隣の椅子へと移動してきていた咲森さんに背中を擦られている。

 思考が混乱し、鼓動も速くなっていた。


「大丈夫…大丈夫です」

「…」



⇆⇆⇆



 暫く口を開けなかったが、背中で感じる温かさで徐々に落ち着きを取り戻すことができた。


「すみません、ありがとうございました」

「いえ。私も伝えるタイミングが急でした。…これ以上は時間を開けましょうか?」

「いえ…大丈夫です」


 どうせなら一度で伝えきってほしかった。…明日以降に引きずらないように。


「…わかりました。では、伝えます」


 咲森さんの真剣な声に世界から音が消えたかのように感じた。


「多々里様」


 自身のつばを飲み込む音がいつも以上に大きく聞こえる。






「今日から私が貴方の母親となります」


 

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