第3話 初めての相手は…

「は〜っ」

「!?」


 下半身に届いた生暖かい風に、勢いよく後退ると、その一部を両手で隠す。

 背中は個室を隔てる壁に当たり、逃げ場はない。

 

「なっ! 何してっ!?」

「はぁ…はぁ…」


 目を開け、飛び込んできたのは陸田さんが俺の下半身に顔を近づけてくる光景だった。

 陸田さんの目線は俺の手を透視しているかのように固定されている。


「…っ」


 陸田さんは勢いよく立ち上がった。

 そして、一歩こちらに近づいた。

 狭い個室の中、その『一歩』は、とてつもなく大きい。

 陸田さんの大きな胸は、俺の胸元や肩で潰れ、押さえつけるように暖かな重量が伝わってきた。


 再び、ゴクリと、大きく唾を飲み込む音が聞こえた後、陸田さんは勢いよく自身の顔を叩いた!


「!?」

「はぁ、はぁ…」


 目を逸らしていた陸田さんの顔を窺えば、理性の灯った瞳で、しっかりと俺の目を見ていた。

 陸田さんは、一歩下がると、俺に背中を向ける。


「…失礼しました。もうしまっていただいて結構です」


 少しだけ震えているが、芯の通った声で言われる。

 とりあえずなんとかなったようだと、一息入れたところでふと違和感に気づいた。


「…」


 手をどかし、自身のものを見る。

 …毛が、ない。


「…」

「…」


 ま、まぁ、今は置いておこう。

 寝ている間に見知らぬ公園に移動するくらいだ、寝ている間に自分で剃ったとしてもそこまで不思議じゃない。

 うん、そのはずだ。

 無理矢理、自分自身を納得させると、パンツとズボンを履き直した。

 そして、背を向けていた陸田さんに声をかける。


「…あの、もうこっち見てもらって大丈夫です」

「…はい、失礼します」


 陸田さんは、振り向くと、再び視線を下げ、俺の下半身を見たが、本当に確認のためだったらしく、一瞬後には視線は上げられた。


「大変失礼いたしました。一先ず、個室からは出ていただいて結構です」

「はい」


 個室から出ると同時、陸田さんは勢いよく膝を曲げ、床に座り込んだ。


「り、陸田さん!?」

「申し訳ございませんでした!!」


 ガコンと陸田さんの額と床がぶつかる音がした。


「男性であることを疑ったこと、自身を律しきることができず、多々里さんを怖がらせてしまったこと…私の全てをかけて償わせていただきます」

「い、いや…」


 陸田さんは土下座をしたまま、微動だにしない。

 これは俺が何か言わなければ、このまま土下座をされ続けることになる予感がした。


「頭を上げてください、陸田さん」

「…」

「陸田さんが男性であるかを疑ったことは、仕事の一環なんですよね。でしたら、俺に謝る必要なんてありません」

「…」

「そして、まあ、その…恥ずかしかったですし、びっくりはしましたが、その…大丈夫です。嫌ではありませんでしたから」


 言葉選びを間違えていそうな気もするが、まあ、概ね合っているだろう。

 漫画などで女性が強引に迫るといった描写で喜んでいた俺ではあるし、陸田さんを力づくで引き剥がそうと思えばできたはずだ。

 それをしなかったのは…


「とりあえず、頭を上げてください! その状態のままでいられると、俺も困るので…」

「…はい」


 立ち上がった陸田さんは、おでこ、そして、叩いた頬が赤くなっていて、今にも泣き出しそうなほど目が潤んでいた。

 そんな女性を前にして、俺は責めたりは出来ないし、する理由も今はない。


「無かったことにしましょう、陸田さん。陸田さんは、俺が男性であることを確認してくれた、それだけです。

「…ありがとうございます」

「じ、じゃあ、出ましょうか」


 女子トイレから出ると、待機していた南埜さんが声をかけてくる。


「ご協力に感謝します」

「い、いえ…」

「そ、それで、結果は…?」


 南埜さんからの質問に、陸田さんは小さく頷いた。その瞬間、南埜さんの目は大きく開かれる。


「ほ、本当に男なんですか!? えっ、それってまずいんじゃ…」

「南埜」

「はい」

「本部へ連絡するわ。その間、多々里くんから目を離さないこと」

「了解いたしました!」


 南埜さんにそう告げると、陸田さんはどこかへ電話をかけ始めた。それを眺めていると、横から視線を感じた。


「な、なんですか?」

「ちょっと、多々里さんを近くで観察しようかと思いまして」


 いつの間にか隣に椅子を移動させてきて座っていた南埜さんは、こちらをじっと見ていた。


「観察ですか…?」

「すみません、ちょっと手を出してもらっても?」

「…はい」


 不思議に思いながらも手を差し出すと、南埜さんは触りますね、と一言断ってから、俺の手のひらに人差し指を乗せた。


「…」

「えっと?」

「大丈夫ですか?」


 指の付け根を一つ一つなぞるように人差し指で撫でると、手のひらに渦巻きを描くように動かしている。


「くすぐったいんですけど…」

「やっぱり…」


 南埜さんは一度指を離すと、顎に手を当てて何かを考えているようだった。


「次は握手してもらっても?」

「…はい」


 何をさせられているのかは分からなかったが、拒否する理由もないので、南埜さんが差し出してきた手を握る。そのまま数秒ほど握られ続ける。


「…」

「南埜さん?」

「あ、あはは…すみません、ちょっと浸っていました」


 手を離すと赤くなった顔を冷ますように手で仰いでいる。もしかしたら、暑いのではなく照れているのかもしれない。確かに、ただ異性と握手するというのは照れるかもしれない。俺も、相手が警察官ではなったら照れてしまっていただろう。


「えっと、次は…両手を出してもらえますか?」

「…」


 今度は差し出した両手の上に、南埜さんの両手が置かれる。握っているわけではないため、少しの動きでくすぐったくなってしまう。


「…」

「あの、これって…」

「次が最後になりますので、ご協力お願いします」

「は、はい」

「では、ハグをしますので、準備をお願いします

「はい…ん? はい!? ハグ? ハグをするんですか!?」

「はい、お願いします」


 流石に戸惑ってしまうが、南埜さんの真剣な顔を見て気を引き締めた。そうだ。これも何か、必要なことなんだろう。


「ど、どうぞ?」

「失礼します」


 南埜さんに正面から抱きしめられる。

 背中に回された手に押され、南埜さんの身体と密着してしまう。南埜さんの甘い匂いに鼓動が速くなった。


「…」

「…」


 お互いに無言の時間が流れるが、南埜さんはハグを辞めなかった。何かを待っているのかと思い、こちらも手持ち無沙汰だった両手を南埜さんの背中に回した。

 ビクりと南埜さんの身体が一瞬震えたあと、一瞬腕の力が弱まったが、すぐに元に…いや、先程よりも力が込められた。

 何も言ってくれないため、こちらも腕の力を強めると、厚いはずの制服の奥、南埜さんの身体の柔らかさ、その体温すらも伝わってくる。

 緊張もしていたが、俺も男だ。

 少し欲望に素直になり、暫くそれを堪能することにした。

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