月を飛ぶ蝶のように

夢月七海

上 光る子供


 数回経験しても、元教え子の葬式には慣れない。いや、自分よりも若い者の死に、鈍感になってはならないとは思うのだが、心の中でも雨が降っているかのような気持ちに苛まれるのはいつまでも辛い。

 亡くなったのは、ナオミ・フォースト君。まだ、三十の半ばだった。車を運転中に、車線を乗り越えた対向車と正面衝突し、病院に運ばれたが、意識は回復せずその三日後、息を引き取ったと聞いた。


 さぞかし、無念だっただろう。ナオミ君は宇宙からの難民を支援する仕事に精を出していた。事故を起こした側のドライバーは逮捕されたが、彼女が戻ってくることはない。

 もうすぐ七十になる自分の残りの人生を、老い先短いだろうが、分け与えることが出来たなら……いつも教え子の死に直面した時と同じことを思いながら、自宅の玄関に鍵を差し込もうとする。直後、視界の隅が、ぼんやりと光った。


 そこは、私の右手側だった。玄関のすぐそばは、植木鉢が等間隔に置いてあるだけで、光るようなものは無いはずだ。驚いてそちらを見ると、二つの植木鉢の間に収まるように、六、七歳くらいの男の子が膝を抱えて座っていた。

 彼の髪は、青白く光っていた。マッシュルームカットであるため、発光するキノコのように見える。ぼんやりと寝起きみたいな顔をして、私の方を見上げている。


「えっと、君、は……」


 咄嗟に声をかけようとしたが、後が続かなかった。もしかすると、虐待から逃げてきた子なのかもしれない――体に怪我などはないようで、服も綺麗だが。異星人の子が迷い込んだのだろうか――ただ、光る髪以外はほとんど地球人と同じだが。

 何と言おうかまだ悩む私に、男の子の髪の毛が一際眩く光った。バチバチと、火花まで散っている。直後、私の脳内に、聞き覚えのある声が響いた。


『先生。ダミュエル・ストローフラワー先生』


 それは、先日亡くなり、先程葬式が終わったばかりの、ナオミ君の懐かしい声だった。ただ、こちらに話しかけてきているのに、電話の通話というよりも、録音した音声を再生しているという印象がある。


『この子は、私の子供です。どうか、この子に言葉を教えてあげてください』


 懇願するナオミ君の声が頭の中でも聞こえなくなり、私は目の前の子を凝視した。彼女は、未婚だったと聞いた。今の能力と言い、この子は間違いなく、普通の子供ではない。

 火花が消えると、今度は脳内に、不安や期待感といった感情がカラフルな洪水のごとく流れ込んできた。今も髪の毛を光らせている、この子の気持ちなのだろう。


「ともかく、中に入りなさい。そこで詳しい事情を聞こう」


 私がそう声をかけると、男の子は顔色も変えずにひょいと立ち上がった。同世代の子供よりも、手足が長い印象を受ける。

 謎は多いが、なぜナオミ君が私に我が子を託し、「言葉を教えてほしい」と言ったのかは理解できる。私は大学で言葉を研究し、学生たちにも教えている、言語学の専門家だからだ。






   ○






 ペギール星人。約三十年前に発見された、地球より四万年光年離れた星の住民。シルエットは地球人と似ているが、陶器のように白い肌と長めの手足、寝ている時以外は青白く発光する直毛の髪が特徴。

 地球人との最大の違いは、彼らがテレパシーで意志疎通を行い、言葉を持たないことだ。髪の毛はアンテナの代わりとなって、相手の心を感じ取り、自分の意志を伝える。頭脳も地球人と大きく異なり、高性能送受信機が頭の中に入っているイメージだと、手元の異星人関係の本に記載されていた。


『彼……と出会ったのは、七年前、宙港のすぐそばの海岸でした』


 頭の中に、ナオミ君の声が再び響く。『彼』という言葉と共に、上部が凹んだ卵形の図形に上から下へ青から緑のグラデーションで色付いた画像が流れてきた。ペギール星人は、名前の代わりにそのような図形と色の組み合わせで個人を識別しているらしい。

 自宅のリビングのテーブルで、ナオミ君の息子と向き合う形で座っていた。詳しく教えてほしいと頼むと、ナオミ君の伝言が再生される。


 『彼』は、ペギール星人のテレパシーを悪用しようと目論んだとある星の犯罪組織に誘拐された。その犯罪組織が補給のために一般貨物船のふりをして立ち寄った地球の宙港で、『彼』は見張りの隙をついて逃げ出した。しかし、十分な食事と睡眠を摂れていなかったために、海岸で倒れてしまった。

 仕事を終えて、宙港を出たナオミ君が、『彼』からのSOSを偶然読み取り、発見して保護した。ナオミ君は『彼』を宇宙警察に引き渡さずに、自宅に匿った。宙港に戻れば、『彼』を攫った犯罪組織に見つかるかもしれないと考えたからだった。


 それから、ナオミ君の『彼』を隠しながらの生活が始まった。『彼』が安全に故郷に帰れるルートが判明する半年間で、二人は互いを深く愛し合っていた。

 ナオミ君が『彼』の子供を身ごもっていることは、本人も気付いていたが、ナオミ君は『彼』が堂々と暮らせるようになるため、一度帰京することを勧めた。ただ、そのテレパシーゆえに地球上では「管理対象」であるペギール星人の子供がいることが知られれば、取り上げられてしまう。ナオミ君は、『彼』が見つけてくれた非正規の医者の下で、こっそりと子どもを産んだ。


「それが、この子供なんだね」


 私は、ナオミ君本人がいなくとも、そう声に出さずにはいられなかった。そういえば、葬式の時、七年ほど前に、ナオミ君が数か月間休みを取って、宇宙旅行していた時期があったと聞いた。仕事熱心な彼女には珍しいと皆が話していたが、今の話を踏まえると確かに符合する。

 改めて、男の子を眺める。瞬き以外に表情の変わらない彼には、ナオミ君の面影がある。過酷な運命の中に放り込まれ、母親も唐突に亡くしてしまった子供とは思えないような無表情だが、元来テレパシーで意思疎通をするぺーギル星人の間には、感情を表出したり、ジェスチャーを行ったりするようなコミュニケーション術は生まれなかったというので、可笑しな点はない。少しまだ慣れないが。


『ペギール星人は、血縁者同士だと、数キロ離れても意思疎通をすることが出来ます。そして今の私は、事故に遭ってしまい、自分の命が少ないことを察しています。だから、我が子に遺言を残すことにしました』


 ナオミ君の声が、低くなる。気丈に振舞っているが、自分の死と向き合って、平常心でいられるはずがない。私は彼女の心境を慮り、膝の上で組んだ手が震えだした。


『今、聞いてもらっているのは、先生に対する遺言です。実は、この子のテレパシーは、十歳で失われることが分かりました。最初にお話しした通り、先生には、そうなる前に、この子に言葉を教えてほしいのです』


 一瞬の間に、ナオミ君が『すぅっ』と息を吸い込む音も、鮮明に聞こえた。


『ストローフラワー先生。この子を――ぺペラを、よろしくお願いします』

「ああ。分ったよ。私がこの子を大切に育てる。だから君は、安心してほしい」


 最後のナオミ君からの一言を聞いて、私は彼女に返答していた。

 すると、目の前の男の子……ぺペラ君から、暖色の水を搔き混ぜているような不思議がる感情が伝わってくる。どうやら、相手には聞こえないのに、返事をしたのが純粋に不可解らしい。


「聞こえるかどうかはあまり気にしていない。今のは、彼女に伝えるという意味合い以上に、自分の決意を形にするための言葉なんだよ」


 これで納得してくれたようだが、また新たな疑問が、ぺペラ君から発せられる。彼は、これまで自分の母親がこちらに向けて言葉をかけてきてくれた瞬間瞬間を、録画したかのように回想していた。

 それを踏まえて、流れてきたのは、「どうして自分は相手の心を読めるのに、母もあなたも、言葉を通してコミュニケーションを取ろうとするのか」というようなものだった。—―相手の気持ちがストレートに頭に入ってくるという感覚に戸惑いは残るが、ぺペラ君の疑問に言葉を当てはめるとそう言っているのだとわかる。


「確かに、君からすると、助長的なものに思えるかもしれない。だが、我々にとって言葉とは、相手とのコミュニケーションと図るためのものだけではなく、自分の感情や意思を改めて確かめるという使い方もある」


 私がそう説明すると、ぺペラ君から色とりどりの花火が咲いたようなイメージが伝わってきた。驚きと感動を、彼はそのように表現していた。

 その美しさにうっとりとしながらも、先は長そうだなと、私は多少冷静に思う。地球上には、太鼓の音であれ、手拍子であれ、幅広く「言葉」を用いる人種しかいない。ぺペラ君たちのように、ボディランゲージも存在しない異星人へ、「言葉」を教え込むことはできるのだろうか。


「君にとっては、非常識に感じるかもしれないが、近いうちに、この『言葉』を自在に使えるようにならないといけない。将来そのテレパシーを失ってしまうからね。だから、これからはどんな言葉も聞くようにしないと」


 厳しいながらも、そう告げると、ぺペラ君は雨のように降り注ぐ水色の悲しみと不安を示した。少し脅しすぎたかなと反省し、私は彼に笑顔を見せる。


「ゆっくりでいいんだ。地球人でも、赤ん坊から言葉を覚えるのに、一、二年はかかる。丁度、私も半分引退した身で、時間がたっぷりあるからね。じっくり付き合えるよ」


 ぺペラ君の心の中では、淡い赤い色の丸がたくさん浮かび上がってくる。子どもが空に放した風船たちのような、無邪気な喜びと期待だった。























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