画素数

蝉は絶えずつがいを探し求めて鳴く、恥も外聞もかなぐり捨てて。夏を有意義に過ごせなかった非リアの嘆きを代弁しているのだろうか、なんてことを彼らの合唱を聴きながら考えた。


まぁ自分自身も似たような人種だけれども。


秋の入りは立秋と言うらしいが、これは8月8日が最初の日だと聞いたことがある。これが正しければ、昔の方々は今頃紅葉を待ちわびていたのだろう。


だが、今は違う。秋の気配なんてものは無く、太陽は遅寝早起きを繰り返している。世を席巻している虫は蝉でありコオロギではない。落葉樹の葉もカメムシとお揃いの濃い緑だ。


地球温暖化の影響というのもバカにならない。なんせ季節の変わり目が1ヶ月以上遅れたことになっているのだから。先人たちはこんな状況も『あはれ』とでも思うのだろうか。


時代は移り変わり、人の感覚も同じく変化する。もちろん、夏の暑さなんてのは趣深くなく、それを楽しむなんて自分には到底不可能だ。引きこもり万歳。文明の利器万歳。


だが、今日はそうもいかないらしい。



『ピンポーン』



インターホンが来客の到来を知らせた。既に月矢さんは仕事に出掛けており、忘れ物の確認だって玄関前でしていた。つまり、インターホンを鳴らしたのは彼女でない可能性が高い。


宅急便も考えたけれど、それならエントランス前のインターホンも経由するはず。


そちらが鳴る時は備え付けのモニターで鳴らした側の状況が確認できるが、それが暗転しているということは玄関前が鳴ったということなので違う。


となると、鳴らす人なんて一人しか居ないわけで。



「はーい」


「よう、調子どうだい」



そこには虎岩さんが立っていた。色褪せたキャップに半袖の依れたポロシャツ、そして半ズボンと運動靴。いかにも老人の夏服といった感じの服装だった。


そして首から提げているのは、彼のカメラ。さらに今日は三脚まで用意している。


そうなると、何をしに行くかは明確で。



「今日はどこに行くんですか?」


「写真とりに」


「それは分かってますけど……」


「冗談だよ、冗談。ちょっと今日は遠出すっから、手伝ってくれや」



自分も出掛けることになるのは想定内だったけれど、遠出……。まだ気温は35度近くあるのに……。



「まさか徒歩じゃないですよね……?」


「んなわけないだろ、俺らがセミの脱け殻みたいになるわ」


「じゃあ、電車とか?」


「トラック」



乗せてつれてってくれるのだろう。でも、そこまでしないといけない場所とは?



「どこまで行くんです?」


「山」


「山」


「登るぞ」


「登る」


「三脚持ってくれ」


「三脚持つ」



もう、何か、急展開過ぎて。ちょっとゆっくりしようとしたら、まさか山登りに誘われるとは……。


しかも彼は淡々とそれを言うから怖い。そこまで若い人ではないだろうに、これが日常なのだろうか。



「その格好で大丈夫か?」


「はい?」



自分の格好はいたってラフなもので、ジーパンと薄いシャツ。


確かに、山に登るには少し大変かもしれない。でも他の服も似たようなもので、着替えてもどうにもならなそうだ。



「こんな物しか持ってないです」


「じゃあジャージ貸してやるよ、それ着て行きな」


「サイズは大丈夫そうですか?」


「大丈夫だよ。古いけど身長は合うはずだ、俺の身長が縮む前のやつだからな」


「じゃあお願いします」


「おう、ちょい待ってな」



しばらくして、彼は上下青のジャージを持ってきてくれた。ありがたくそれを借りて着替え、冷蔵庫にあったペットボトルの水も持って準備万端。



「いつでも行けますよ」


「じゃあ頼んだ」





トラックを走らせて十数分、気づけば周りにビルやマンションなどの建物はなく、辺りには田んぼとビニールハウスが広がっていた。


まだ稲は青々とした色で、良く見る金色の稲穂はまだ見れそうにない。


目の前にはそんな稲よりも深い緑色をした山があった。


その中腹までトラックで行き、そこの駐車場に停めた。



「ほい、着いた。おつかれさん」


「お疲れ様です」


「じゃああれ乗るか」



彼が指を指したのはロープウェイ。


……登るとは?



「登るんじゃないんですか?」


「ロープウェイに乗るのは『登る』って言わねぇか?」


「人力で行くのが『登る』じゃないんですか?」


「頼れるもんは頼っていかねえと。なんのために人間がこれ作ったと思ってる」


「まぁ楽できるんで良いですけど、それで良いんですか?道中撮る物とかは?」


「頂上からだけ撮れれば良いんだよ」


「はぁ……」



登ると言われた時には「なんてたくましい老人なんだ……」と思ったけれど、やっぱり年相応に体力は落ちているらしい。


それでも写真を撮るために何処へでも行く行動力には驚かされるけれど。


月矢さんから聞いたところ、基本的に月3回は別の県に行って写真を撮り、それ以外は都内で済ませているらしい。


しかもジャンルは問わず、テーマパークから今日のような自然の産物まで、幅広く写真に収めているという。


「頂上からだけ」なんて言っていたけれど、ロープウェイに乗ってる今だって外の景色を撮っている。


窓の外に見えるのは辺り一面の畑、などではなく、その奥には高層ビルがしっかりと見える。


同じ都内でもここまで違うと驚かされる。見えないカーテンで区切られているように見えた。



「これが秋になるともっと映えるんだがなぁ」


「そんなこと言って、またここに来て撮るんでしょ?」


「去年来たから分からん。同じ景色なんて2度も撮ってもなぁ」


「景色なんて、数年経たないとまず変化しませんからね」


「ここから見える景色が変わるまで、また何年かかることやら」


「すぐかもしれませんよ?どうせマンションとかは際限無く建つんですから」



実際、ここに来るまでに建設途中の建物がいくつもあった。


どれもまだ他のより低かったが、どうせ全部高層ビルになってしまうのだろう。


スカイツリーだって3年もあれば完成したのだから、5年もしないうちにまた景色は変わるだろう。



「もう正直、それは飽きたんだよなぁ」


「ビルを撮ることが、ですか?」


「そうさ」



カメラを構えたまま、彼は少し顔をしかめた。真剣な眼差しはそのままで、纏っている空気だけが重くなった。



「人の作るものなんて、テーマパークやら美術館でない限り、どれもこれも同じようになっちまう」



東京に来た時の電車から見えた景色を思い出す。


自分にとっては、彼の言う『人の作るもの』が新鮮で綺麗に見えた。都会の、発展の象徴のように思えてワクワクした。


でも、彼にはそう見えないらしい。


確かに、どれもこれも長方形で、灰色のコンクリートでできていて、窓も似たようなもので、違いがあるとすれば高さだけだった。


慣れというのは恐ろしいもので、在りがたいものも美しいものも、身近にあれば素晴らしさを感じなくなってしまう。



「目に見えない違いがあるんだろうが、目に見えないんじゃ、俺にとっては有って無いようなもんだ」


「……昔は、それも撮ってたんですか?」


「撮ったさ。俺は昔の人間だ。東京がこんなになる前から居たんだから、最初は目新しく思ってたのさ」


「でも今は……」


「そう、違う。どれもただの鉄屑で、面白味の欠片もない。人の作るものは例外無く綺麗だが、それが似たようなものなら話は別だ」


「『似たような』と言うより、『どれも同じ』ですよね」


「見てくれに興味がねぇのは知ってるし、それを二の次にしてるのも分かってんだ。でも、やっぱりつまらねぇ」



そう言い切って、彼はカメラから目を離して手を膝の上に乗せた。そして向かいに座る僕にカメラを手渡した。


モニターに写るのは、さっき撮ったであろう景色。



「どう見える?」



ペットボトルのキャップを緩めながら聞いてきた。


蜃気楼のように薄く見えるビル郡。


手前に見える緑と茶色の土地。古びた家。


雲がまばらに散りばめられた、透き通るような青の空。



「……まだ、綺麗に見えます」


「そうか。ははっ、羨ましいなぁ」



どこか嬉しそうに笑っていた。



「その目は大事にしろよ?どんなカメラも、その目には敵わねぇ」


「……はい、大切にします」


「おう、いい返事だ。その素直さも大切にな」



そう言って立ち上がり、座っている僕の頭をワシャワシャと乱暴に撫でた。力強く、でも優しく。


その手は春の日差しのように、温かかった。





頂上は麓よりも風が強く、夏の気温が嘘のように涼しく感じた。



「風が気持ちいいですね!」


「そうだな、もう秋になっちまう」


「本当は嬉しいんじゃないですか?」


「そうだな。紅葉が見たくなってきた頃だ」



ゆっくりと歩きながら展望台へ向かう。坂道ではあるし、大きな三脚も持ってるけれど、足取りは軽かった。


雲海が出るほど高くはないけれど、それでも十分標高はあって、遠くまで見渡せた。景色は綺麗に撮れそうだ。



「ここら辺でいいですか?」



展望台への階段を登りきり、なるべく落下防止の手すりが写らない位置に三脚を置いた。



「おう、ちょっと待ってくれ」



そう言ってカメラをセットし、実際にそれを覗いた。



「ここだと光が強いな、白とびしそうだ。影になりそうな所もねぇしなぁ……」


「じゃあ僕が影を作ればいいですか?」



なるべくカメラに光が当たらないように背伸びをして、腕も伸ばして影を作った。


端からみたら滑稽な姿だろうけれど、さいわい今は人が居ない。



「お、気が利くじゃねぇの。そんな感じで立っててくれ」



そう言った後、彼は一言も発しなくなった。余所見はせず、ただ前だけを見ていた。


その風格は、今まで見てきた彼のそれとは全く別で、緊張感が体に走った。


カメラの位置を微調節して、シャッターボタンを何度も押して、細部の美しさにまでこだわるように撮っていた。


自分からはモニターは見えないし疲れるけれど、納得のいく物を撮れるまでは手伝おうと思い、必死に今のポーズをキープした。



「これで良いかもな、いや、良い。十分な出来だ」


「終わりましたか……?」


「おう、もう大丈夫だ」


「ふぅ……。やっと休める」



腕も脚もプルプル震えている。ずっと同じポーズで居たのだから仕方がない。


彼の雰囲気も、いつもと同じそれに戻っていた。威厳がありながらも、人に威圧感を与えない、不思議な柔らかい雰囲気に。



「見てみるか?」


「はい!」



カメラに写った写真を見た。それは色鮮やかで、『美しい』なんて言葉では言い表せないくらいだった。



「綺麗……本物よりも綺麗かも……」


「いや、そんなことはねぇさ」



謙遜や喜びの言葉よりも先に、否定の言葉が彼の口から飛び出てきた。そう言った彼の目は、残念そうでもあったけれど、どこか穏やかだった。



「写真が本物を越えるなんてこと、あるわけがねぇんだよ」


「そうですか?」


「そうさ。偽物が本物より綺麗でどうする。この世に偽物の方が綺麗なことなんて無いのさ」



そう言いながらカメラの電源を落とし、三脚を畳んでいる。その手はスピードを緩めず、淡々と仕事をこなしている。



「遊、『画素数』って知ってるか?」


「……なんですか?それ」



ニヤリと彼は僕を見て笑った。僕の無知を嘲笑うための笑みではなく、自分の知識を話したいというような、ポジティブな笑み。



「まず『画素』ってのは、画像を作る点、みたいな感じだ。テレビに近づいた時に見える小さな点がそれだ」


「なるほど……」



メモ用紙も何もないから、ただ相槌を打つことしかできない。



「それが多いほど、画像は綺麗になる。細かいところまで写すことが出来るようになるからさ」



彼は近くのベンチに座った。自分もそのとなりに座って話を聞くことにした。恐らく、まだ話は続くからだ。


腕組みをしながら、一拍おいて話を始めた。



「このカメラのそれが、大体5000万くらいだ。じゃあ、俺たちの『目』の画素数はいくらだと思う?」


「同じくらいじゃないんですか?」



このカメラは、実際に自分の目で見た景色を切り取ったように写す。


これと同じくらいというのは本心で思ったことだ。



「同じぃ?そんなことはねぇさ!5億もあんだよ!5億!」


「そんなに!?」



期待どおりのリアクションだったらしく、彼は声をあげて快活に笑った。


ロープウェイで彼が言ったことを思い出した。



「そう、だから写真がどんだけ綺麗でも、『その目には敵わねぇ』」



ひとしきり笑った後、彼はそう言った。ロープウェイの時に言ったことを、同じように。



「難儀なもんだよなぁ。残しておきたい景色も表情も、自分でみた方が綺麗なのに、自分が見たようには残せない」



自分で見た景色と写真の違いはよく分からないけれど、彼には分かるのだろう。だからこそ、こんなに残念そうな表情をしているのだ。笑いながらも、滲んで見えるほどに。



「忘れないようにしていても忘れちまう。かといって、ありのままは残せない。写真を見て思い出すのは、自分で見たそれじゃねぇのさ」



空を見上げて、彼は言った。今度は悔しそうに。



「……撮ったことに、意味はありますよ。写真がないと、思い出すことすら出来ない。忘れたことすら忘れたら、どうやって思い出せって言うんですか」



そんなことしか、言えなかった。気休めにもならないって、分かっているのに。



「……そうかい、そうだな。ありがとな。気遣ってくれたんだろ?流石、俺のアシスタント・・・・・・だ!」



そう言って彼は、ドンと力強く背を叩いてきた。その顔は、撮っておきたいって思うほど、いい笑顔だった。



「アシスタントって……」


「こうやってわざわざ来て、手伝って、これのどこがアシスタントじゃないってんだ?」


「……アシスタントかぁ、そっかぁ……」



こうした何気ないことで喜んでくれるとは思わなかった。それでも、やっぱり嬉しいことに変わりはない。


何者かに、ようやくなれた気がした。例えそれが本物じゃなくても、真実じゃなくても、それで今は十分だと思えた。



「今度ともよろしくな」


「……はい!」



この後も、ロープウェイとトラックの中で、他愛もないことを語り合った。日常のことや、今までの学校のこと。彼が行った所や会った人のことを。


『誰かに必要とされている』そう思うことは、やっぱり大切なのだろう。現に今、自分はこんなにも満たされている。


正式なものではないけれど、これからも彼と写真を撮ってみよう。アシスタントとしても、隣人としても。


望まれているのだし、自分も望んでいるのだから。





後から月矢さんに聞いた話によると、虎岩さんはフリーのカメラマンらしい。いろんな雑誌によく掲載されているそうだ。


昔からそうやって各地で写真を撮っていて、それ自体が好きなことだから、メキメキと上達したのだそう。


『好きこそ物の上手なれ』といったことわざは本当だったのだろう。納得がいった。


それを知ったとしても、別に対応にも関係にも変化はない。今までと同じだ。


自分はアシスタントで隣人、もしくは友人。それでいい。彼からもそう思われていたら、どれだけ嬉しいことだろう。


次に会った時は、撮り方を教わってみよう、それがいい。ベランダから煌々と光る都会の景色を見て、そう考えた。


思い描いた未来も、目の前の景色も、自分にとっては等しく美しかった。

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傷舐め合って、慰め合って 〜足りない二人の一年間〜 地軸 @20060228

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