晩夏に咲く
「もう夏休みが終わっちゃうよ~!」
月矢さんはリビングに来て伸びをしながら嘆いた。水色の薄いパジャマは夏に似つかわしい。
休みほど早く終わって平日ほど長いのはみんな同じらしい。自分も高校生の頃はそうだった。開口一番これだ、学生も先生も変わらないんだろう。
「でも月矢さんは他の人より休めるじゃないですか、文句言わないでくださいよ」
「休みが終わるのが嫌なんじゃなくて、長い休みの後の平日が嫌なの!」
「あ~、それなら分かります」
それなら勤務時間は関係ない、万人共通の悩みだ。休んだ後ほど動けないのは何故だろう。休んだはずなのに。
「タイムマシン貸してくれない?」
「なんである前提で話してるんですか?持ってません」
「タイムふろしきでもいいからさ~」
「幼児退行に切り替えないで、現実を見てください」
「もう地球破壊爆弾でいいや」
[最終手段じゃないですか、持ってないし」
そんな便利な道具なんて持ち合わせていない。未来の人類にでも期待しよう。
こんなことで休みを浪費しているのはもったいないと思うけれど、特別なことをする予定もない。今日も今日とて家事。
「今日は何も予定ないですよね?」
「ううん、お菓子とジュース買いに行くよ」
……少し前に買い出しは行った記憶がある。もう足りなくなったとは思えない。
でも、必要と言うなら買った方がいい。お菓子とジュースくらいなら自分一人で買いに行けるだろう。
「じゃあ家事終わったら行ってきますね」
「え、一緒に行って買おうよ。お互い何が欲しいか分からないでしょ?」
「言ってくれれば買ってきますよ?」
「その日で飲みたいものとか食べたいものって変わらない?品揃えも変わるし」
「好きなものとかってローテーションで買いません?」
「え~、ちょっと分からないなぁ」
ちょっと理解ができない、決めておいた方が楽なのに。
でも、それなら一緒に行く理由に納得はいく。一人で行ったら要望と違うものを買ってしまう。
「そうと決まれば、早く準備しちゃいましょう。着替えたら何か手伝ってくださいね」
「はいはーい」
月矢さんは手伝いを優先してくれた、珍しいことがあるもんだ。おかげで仕事が少なくすんだ。
彼女は黒のハーフパンツ、白のロゴ入りシャツ、カラフルなキャップという『これから外に出てきます!』と言っているような服装だった。行くのはただのスーパーだけれど。
「色々用意出来ましたか?」
「もちろん、全部大丈夫」
「じゃあ早く行っちゃいますか」
ドアを開けると湿った温い風が吹き付けた。日差しは肌を貫く。
この暑さも今では名残惜しい。一年後には文句を言うことになるのに、疎ましく思っていたのに。
とは言え、やはり暑いものは暑い。スーパーにつく頃には汗が足まで流れていた。
「長袖じゃなくて半袖買えばよかったのに」
「いやぁ……肌を出すのに抵抗があるんですよね」
「水着もラッシュガードとか着てるの?」
「着てますね。月矢さんは着てなそう」
「どんな偏見?着てるよ?肌は大切だし」
「そんなに肌出してる人が何言ってるんですか」
「確かに説得力ないや」
「もうこんな話いいから中入りましょう?」
「同感」
この話をしている間、なんと店内に入らず立ったまま話していたのである。なんで入らなかったかは自分でもちょっと分からない。
中に入ると十度以上気温が下がった気がした、と言うか下がったと確信した。冷房でキンキンに冷えている。野菜コーナーが目の前だからなおさらだ。
自分でそう思うのだから彼女はもっと寒いだろう。そう思って左を向いたら、腕を擦りながらガタガタ震えていた。少々青ざめている。
「さっっっっむ!!」
「やっぱり長袖のほうが良いじゃないですか」
「状況が限定的すぎるよ!てか早く移動しよ!野菜コーナーが一番寒いんだから!」
言いきる前に早足で行ってしまった、かごを持った自分を残して。動けば多少は変わるだろうから自分も動こう。
お菓子コーナーに着いた。グミなどの細々した物を買うと思っていたが、そうではないらしい。大きな袋に入った物を見ていた。
「パーティー用じゃないですか、なんか趣旨と違いません?」
「え?最初からこーゆーのを買うつもりだったよ?」
「え?足りなくなったから買うんじゃないんですか?」
「今日で食べきる用だよ?」
「今日で!?」
この量を一日で。確かに食べられはするけど以外だった。でも、そうなると気になることがある。
「今日何があるんですか?普段からこんなに食べる人じゃないですよね?」
「……う~ん、内緒にしときたかったんだけどなぁ」
彼女は目を合わせないように話をした。その直前に見た『しまった!』という感情がはっきり表れた顔は面白かった。
「やっぱり何かあるんですね?」
「実はね……ちょっとしたサプライズがね……あるんですよね」
「……それ言って良かったんですか?」
「そっちが聞いてきたから悪いんじゃん!」
彼女はプンスカ怒った。怒るときに頬を膨らませる人を初めて見た。漫画や小説だけの存在だと思っていたのに、実在したらしい。現実は奇なり。
「じゃあこれ以上は聞かないから、それで許してくれます?」
「まぁ良し。夜までお楽しみに」
「そんなに良いものなんですか?」
「言ったそばから聞いてるじゃん!……まぁそうだよ、すっごい良いもの」
「楽しみになってきました」
好きなポテチを見つけた。何があるかは知らないけれど、これは確保しておきたい。これさえあれば十分。
彼女は色々な味が入ったチョコをかごに入れていた。少し分けてもらおう。
次に飲み物コーナーへ行った。とは言え、月矢さんはお酒、自分はジュースだから別行動だ。
珍しくドクターペッパーが見つかった。好きな物はローテーションで買いたいと思っているけれど、品揃えに左右されやすいため不安定だ。
その点、この店は広いし品揃えも良い。自分にとっては素晴らしい店だ。
「……遅いなぁ」
「後で迎えに行くね」なんて言っていたけれど、一向に来ない。ただ飲み物を選ぶだけなのに、なんで時間がかかっているのだろう。
お酒コーナーに自分から行くと、理由が分かった。
「じゃあまたね~」
「またね、
ちょうど同年代くらいの女子と話していた。内容から察するに生徒だろう。
近隣に住んでいる人もいるのだろうけれど、こんな時に偶然会うのはまずい。そう思ったためすぐに離れた。
その後すぐに彼女は迎えに来た。
「お待たせ!」
「生徒に人気なんですね」
「あ、見てた?そうなの!スクールカウンセラーにしては珍しく人気なの!」
「でも僕と居るところ見られるのはまずいですよね。関係詰められたらどうなることやら……」
「大丈夫、多分」
多分では困る。本当に。最悪の場合、彼女に危害が及ぶ。
「でも、もし弁当忘れたら僕が持って行くんですよね?」
「うん。あ、学校の場所言ってないや。後で言うね」
「いや、そもそも忘れないでくださいよ。学校行くとか超リスキーじゃないですか」
「忘れないから大丈夫!多分!」
「だから、多分じゃダメなんです!」
買うものを買って家に戻った。スマホでエアコンが遠隔操作できるらしく、既に部屋は涼しかった。
「じゃあ、これから夜まで待ちましょう!」
「今昼間なのに何言ってるんですか」
「それまでどうする?映画見る?」
「じゃあそれで」
結局昼ご飯を食べた後は気になった映画を見せてもらった。夏にぴったりなホラー映画を。
カーテンを閉めて一切の光を無くし、とことん楽しめるようにしたのだけれど……どうやら月矢さんはそうでもなかったらしい。
怖くなるパートが近づく度に顔を手で覆った。今もそうしている。
「ねぇ……終わった?」
「数秒前に終わりましたよ。しっかり死にました」
「さらっと怖いこと言わないで、ねぇ、また始まったりしてない?」
「もう見なきゃ良いじゃないですか……」
「違うの、見たいけど怖いの」
「怖いもの見たさってやつですね」
「そうだけど『ガシャーン!』
また死んだ。
「うわぁぁ!?」
「間に合わなかったですね」
「もうやだぁ……」
見終わる頃にはくたくただった。でも、月矢さんのほうが大変だ。本人が「見たい」って言っているから止めないけれど、多分見ないほうが良かっと思う。
現に部屋の隅で体育座りしている。これが流行りのすみっコぐらしか。
空が暗くなってきた頃、月矢さんはお菓子と飲み物を準備し始めた。電気は消したままなので視界が悪い。
「せめて電気は付けません?」
「いいの、これであってる」
「でもさっきから体いろんなところにぶつけてばかりじゃないですか」
「気にしないの!」
時間は六時半を過ぎていた。彼女は少し焦ってるように見える。
夏と言えどもう終わりに近い。空は暗く、星がまばらに見えている。
「とりあえず用意は終わり!」
「今日買ったやつをテーブルに並べただけですよね?」
「それでいいの!後は待つだけ!」
「待つ?」
時間が関係しているのだろうか。それなら急いでいた理由に納得がいく。
マンションの外壁にとまった蝉が鳴いている。ここで過ごしはじめて十数日。でもそれは一週間に満たないと感じさせるほどに早く過ぎ去った。
迷った末にここにたどり着いた、という点では蝉と自分は同じなのだろう。そんなことを思っていたら、遠くの空が眩く光った。
少し遅れて、体が轟音と共に揺れた。それの正体を、自分は知っていた。
「花火……?」
「そう。少し向こうの方でね、花火大会がやってるの。毎年ここから見てるんだ」
最初の一発が消えると同時に、いくつもの花火が夜空を彩った。黒一色の空に、色とりどりの花が咲いた。
「じゃあ、乾杯。ここに君が来たお祝いを、してなかったでしょ?」
彼女はグラスを持って笑いかけた。その笑顔は花火の光に照らされて、いつもより明るく見えた。
その笑顔に、心から感謝を。
「何度も言ってますけど、僕は助けられています、月矢さんに。月矢さんが居なかったら、あのまま……」
「私は話を聞いただけだよ。これからは君自身が、勝手に助かるだけ。私はきっかけを作っただけだよ」
「それで充分助けられたんですよ。……本当にありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
グラスとコップがぶつかり、カチンと音が鳴った。その音も、花火の音ですぐにかき消された。
自分が今まで居た暗い部屋。一人で居たそこよりも、今居るこの部屋の方が何倍も暖かい。気温じゃなくて、心が。
今ここに居ることで、自分も他の人のように花を咲かせられるのだろうか。無彩色の方が多く思えた人生を、彩ることが出来るのだろうか。
「見つかるといいね、やりたいこと」
「月矢さんの手伝い、以外でですか?」
「そう」
それが見つかれば、きっと、自分は他の人のように幸せになれるだろう。今はそう信じるしかない。
「いつまでここに居ていいんですか?」
「いつまでだって。焦らないでいいよ」
目線は花火の方を向いていて、互いの顔は見えていない。表情は見えなくて、本心なんて持っての他だ。
この生活がいつまで続くかなんて分からない。急に出ていくことになるかも知れない。
それでも、少なくとも、今のこの時間は、今までにないほどに彩りに満ち溢れている。
「本当に、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ」
「ここを出る、そのときまで、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
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