隠し事と天邪鬼

「ごめん!今日ちょっと用事が入っちゃった!留守番頼めるかな?」



朝食中に月矢さんは両手を合わせて頼んできた。謝罪から入られたら断るわけにもいかない。いつも通り、主夫の真似事をしていよう。



「了解です。それで、その用事は何時からなんですか?」


「えっと……お昼食べた後に行くよ。時間は決めてないけど、行くことは確定してる感じ」



誰かと待ち合わせとかではないのだろうか?具体的な時間を言わないのは不思議に感じる。



「じゃあ、その間は自宅警備員になってれば良いんですね」


「言い方は悪いけど間違ってないかな」



でも詮索するほどでは無い。言われたことをやるだけでいいならそうする。こんなことまで気にしていたら神経がもたない。



「じゃあ早めにお昼は作りますか?」


「急がないでもいいけど、そうしてくれたら助かるかな」


「じゃあ早めに食べ終わらなきゃですね、朝ごはん」


「食べられなくなっちゃうからね」



ブランチでも良かったけれど、コーンフレークとヨーグルトでは流石に少ない。やっぱり一日三食は大切だ、栄養バランス的にも。


しばらく一緒に居たけれど、これから彼女の仕事が始まるから予行練習くらいはしたほうが良い。今日が適しているだろう。



「あ、帰ってくる時間は何時ですか?」


「そんなにかからないかな、多分家を出てから二時間くらいで戻るんじゃない?」


「じゃあ片付けでもして待ってます」


「いつも通り、リビングと廊下、あと浴室もお願いね」



いつも通り。いつも彼女は、そこの掃除しか頼まない。


彼女自身の部屋の他にも二つの部屋があるにも関わらず、そのどれにも入らせてもらったことは無い。自分の部屋は分かるが、その他の部屋は掃除するはずが無いのに。



「あの……月矢さん……」


「ん?何?」


「他の部屋は……いいんですか?」



言葉に詰まった結果、伝わりにくい言い方になってしまった。でも、きっと伝わっている。


その証拠に、食器をシンクに運ぶ彼女の足が止まった。


表情は見えないけれど、何か思うところがあるのだろう。それは知っていた。切り出すのは躊躇っていた。でも、自然に聞くには今しか無いと思った。



「……ううん、大丈夫、掃除しなくて。だって、私の部屋以外は、もう使わないし」



顔は見えないまま。それでも、声はいつも通り。それだけで『これ以上踏み込んではいけない』と教えられているように感じた。



「……じゃあ、その部屋は自分で片付けてくださいね!」


「はいはーい」



普段通りの話し方を演じたけれど、これで彼女を誤魔化せただろうか……。





月矢さんが出ていった後、しばらくはテレビを見ていた。食休みを挟まなければ、どうにも動きが鈍くなってしまう。


午後になると基本的にはニュースしか流れないため、見るチャンネルは必然的に映画を放映している局になる。今日はアクション映画だったため、途中から見ても楽しめている。


テレビを見ながらリビングの片付けと掃除を終わらせ、ベランダに干していた洗濯物も取り込んで畳んだ。もう女性の下着に触れることには慣れた。男性としてレベルアップしたのやらダウンしたのやら……。


映画が終わった後は廊下の掃除に取り掛かった。最初に来た時よりも綺麗になった、『気がする』じゃなくて『確実に』。元々は足の踏み場がかろうじてあったレベルだったが、今は踏み場が十割だ。


ごみ処理は月矢さんが担当したけれど、その他はすべてが自分の仕事だ。



「本当に俺頑張ったんだな……」



思わず言葉に出てしまった。これを聞いたら月矢さんはどう反応するだろう。まあ十中八九適当に流されるだろう。別に褒められたいとは思ってないけど。


掃除機である程度のごみは取り除けた。浴室も洗い終わって、しばらく休もうとした矢先、ドアが目に入った。





何の変哲も無いドアだけれど、自分にとっては謎に満ちた物だった。ここには入ってはいけない、月矢さんの隠している、見られたくない物がある。その事実が、このドアへの好奇心を駆り立てる。


補助鍵が付いていて開けられないようになっていることが、より異質さを感じさせる。他の部屋には付いていないのに、この部屋だけ。


漫画の読みすぎか、映画の見すぎか、最悪の場合を想定してしまった。異臭は一切しないけれど、中が見えない以上は何とも言えない。開けるまで判別できない、シュレディンガーの猫とは今の状況のようなことなのだろう。


開けられないと理解していても、体は自然とドアノブに手を伸ばしていた。息が荒くなる。月矢さんに見られたら、一体どうなってしまうだろうか。


冷え切ったドアノブの温度が手に伝わった瞬間



『ピンポーン、ピンポーン』



インターホンの音が鳴った。体が萎縮して、目線は右の玄関に向いた。月矢さんは鍵を持っていたはず。じゃあ今インターホンを鳴らしたのは?


足早に玄関へ移動し、ドアスコープを覗いた。数日ぶりに見る顔が、そこにはあった。ドアを開けて、まずは挨拶をした。



「こんにちは、虎岩さん」


「おう、遊か。久しぶりじゃねぇの」





前回会ったのは何日前だろうか。銭湯に行かなくなっては会っていなかった。気さくな内面に似合わない、皺があり威厳に満ちた顔は以前会った時と変わっていない。



「それで……今日はどうしたんですか?」


「ああ、これだよ」



突き出された彼の右手には大きめの紙袋が握られていた。どこの店かは分からないけれど、和風のロゴが印刷されている。



「昨日ちょっと遠出してたんでね、そこで泊まった旅館の土産をな、今渡しに来たってわけさ」


「お土産ですか、ありがとうございます。じゃあ後で月矢さんに伝えておきますね」


「ああ、後で一緒に食ってくれや。ん?『後で』ってことは、今は居ねえんか?」


「はい。二・三時間前に出かけて、まだ帰ってきてません」


「あ、そういやそうだったな……じゃあ今暇だろ?ちょっとうちで一局付き合ってくれや」


「……はい?」


「将棋、やったことないか?」



あるけれど……いかにも『年季が入ってます』という感じの人とやるのは初めてだ。ゲームで言うところの『負けイベント』ってやつだ、多分。



「あるけど、そんなに強くないですよ?」


「いいんだよ、別に勝ち負けにこだわったりしねぇさ。茶でも飲んで駄弁りながら打つのがいいんじゃねぇの」


「じゃあ、月矢さんが帰ってくるまでですよ?」





虎岩さんの家は月矢さんのと同じ作りだけれど、家具が全体的に和風だった。部屋全体は洋の作りなのに、不思議と違和感がなかった。和洋折衷とはこのことだろう。


リビングにあったのは木製のテーブル、二つの座布団、テレビとそれを置くための台。そして、女性の写真が飾られた仏壇。



「駒とか持ってくるから、ちょっとテレビでもつけて暇潰しといてくれ」


「分かりました」



まずは、仏壇に線香をあげた。午後になって雲が出てきたため、辺りは夏の日中とは思えないほど薄暗い。部屋の電気はついておらず、線香に火を灯すためにつけたライターが暖かく感じた。


手を仰いで火を消し、仏壇を前にお辞儀をした。この部屋を照らすには、線香一本じゃ足りない。電気をつけた。暖色の光に彩られた部屋は、瞬く間に無彩色の白で照らされた。


座布団を敷いて座ると同時に、虎岩さんが戻ってきた。



「うい、じゃあ頼むわ」


「よろしくお願いします」





打ち始めて数分、黙っているのが性に合わないのか、やはり虎岩さんが口を開いた。



「ところで遊、今ん所はどうだい」


「『今の生活』ってことですか?」


「そ」



今の生活。月矢さんに連れられて、溜め込んでいた物を吐き出させてもらって、自分がしたいことをして、少なくとも不自由なく生きられる生活。



「……少なくとも、今までよりも充実してると思います。不自由無いし、月矢さんと居ると退屈しないし、本当に、今までとは比べものにならないくらいです」


「そうかい、なら良かったよ。『この子、家に居候することになった』なんて言われた時には驚いたけどな」


「まあ、僕も最初はこうなると思ってなかったので……」



自分の居候が決定した後、月矢さんはそれだけを虎岩さんに伝えた。その場に自分も居合わせたけれど、本当に肝が冷えた。



「別に俺は詮索しねぇし、何か昔のことを聞いたりはしねぇ。とりあえず、今が楽しいなら、それでいいと思うわけさ」


「はい、本当にいろいろ助けてもらってばかりです」


「何言ってんだか、持ちつ持たれつ、だろうに。今日びっくりしたわ!玄関開いたら、今までと比べものになんねぇくらい片付いてんだから!部屋間違えたと思ったわ!」


「やっぱり月矢さんが部屋を片付けないのは知ってたんですね……」


「昔は片付けしてた方なんだがね……」


「何したらあそこまで汚く出来るんでしょうね……。ん?昔はこうじゃなかったんですか!?」


「そうさ」



あれは性格とか、習慣とか、そういった問題だと思っていたけれど、そうじゃなかったらしい。かなりの衝撃だ、電流が走ったと思った。



「後天的なゴミ屋敷メーカーなんて初めて聞きましたよ」


「まあ、そうなっても仕方ないっつうか、どうしようも無かったっつうか……」


「……何か、あったんですか?昔の月矢さんに」


「……いや、何でも無い、忘れてくれ」



昔から彼女を知っている彼に聞こうとしたけれど、やっぱり教えてはくれなかった。自主的に言わないのか、頼まれているのか。どちらにせよ、触れられたくないのは確かなんだろう。



「あんなんだけどよ、ちゃんと常識はあるから、困ったことがあれば頼っていいんだぞ」


「頼った結果が今なので、本当に感謝してます」


「本当に、良かったよ。遊も愛ちゃんの助けになってんだから、お互い様ってやつだ」


「僕がやりたくてやってるだけですよ、家事なんて。むしろ、今やりたいことが、それしか無いんです」


「理由はどうあれ、実際に助けになってんだよ、いろんな意味で。ありがとうな」



彼は深々と頭を下げた。年上にこんなことをされた経験が無いため、どう反応したらよいか分からなかった。



「……なんで虎岩さんがお礼を言うんですか?」


「細けぇことはいいんだよ!おい、手が止まってるぞ!」



話に夢中になって将棋を忘れていた。盤面を見ると、初心者と経験者の違いがはっきり分かった。もう陣形からして違う、テレビで見るやつと変わらん。やっぱり年の功は存在するのだろう。



「勝ち負けにこだわらないんじゃなかったんですか?」


「こだわらないが、勝ったら嬉しいのは事実!」


「あー……やっぱりこうなった」


「投了も待ったも無しだからな!」


「分かってますよ……。もう僕はお話がメインでいいや」


「ベストは尽くせ!俺が面白くない!」


「……精々頑張ります」



なんとか会話で気をそらそうとしたけれど、そんな盤外戦術は通用せず、コテンパンに倒された。思った以上に大人気ない、絶対に口には出さないけれど。





『ピンポーン、ピンポーン』



打ち終わってしばらくすると、インターホンが鳴った。虎岩さんが玄関まで行き、ドアを開けた。



「あ!やっぱりここに居た!心配したんだからね!」



聞き慣れた声が聞こえた。玄関まで出ていくと、いつもの笑顔とは打って変わって、焦りだとか不安だとか、そういった感情が全面に出た表情をした月矢さんが居た。



「すみません、ちょっと将棋してました」


「『してました』じゃなくて、せめてメモくらいは残してってよぉ!まさか居ないなんて思わないじゃん!」


「はいはい、愛ちゃん落ち着いて。連れ出したんは俺だから、あんまり責めないでやってくれよ」


「今度からは、出かけてもいいけどメモはしていって!あと、やっぱり合鍵つくるから!」


「え!?いいんですか!?」


「だって私の後に出かけたら、誰が家の鍵閉めるの?」


「あ、確かに」


「ほら!やっぱりあったほうがいいじゃん!」



流れでとんでもないことが決まった気がするけれど、やっぱり便利なのは事実。彼女の仕事が始まってからは一人で買い物に行くことも多くなるだろうから、ここらへんが丁度いいタイミングだったのだろう。



「あ、そうだ、お土産あるんだった」


「え?虎岩さん、また旅行行ってたの?」


「いいだろ、誰にも迷惑かけてねぇんだから。せっかくだし、茶出すからここで食っていきな」


「やった!何買ってきたの?お饅頭?」


「そーそー。こし餡しか無いけど文句は無しな」


「はーい!じゃあ早く将棋盤片付けて!私は待ってるから!」


「せめて月矢さんも何かやってくださいよ……」


「もう疲れちゃって 全然動けなくてェ……」


「はいはい、分かりましたよ」



『今よりも充実してる』なんて言葉で表したけれど、やっぱり足りない。素直じゃない自分に少し呆れる。


今、この生活が、本当に楽しくて仕方がない。


気になることも、知りたいことも沢山ある。でも、この時間を守るためなら、無理に聞くことはしないでいい。むしろ、それが最善だ。誰にだって隠したいことがある。



「あ、これじゃ私の座布団無いじゃん!ちょっとクッション取ってくる!」


「動けるじゃないですか!」


「あっはははは!やっぱり愛ちゃんは明るいのが一番だ!」



日は沈み、外は暗くなってゆく。時間は進み続けるし、永遠はない。知っていながらも自分はそれを望む。こんなこと言えないけれど、隠してたっていい、そのはず。



「……なんだよ、やっぱり楽しそうじゃないの、遊」


「……そうですかね、そうかも」



自分よりは『隠し事』と言うよりも『天邪鬼』が正しいかもしれない。


……やっぱり、少しは正直な方がいいかも。

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