ショッピング②
「結局シャンプーは買わなくていいの?」
「月矢さんの分が減りますけど、それが嫌じゃないなら大丈夫ですよ」
「なら買わなくていっか。買うものが減ってよかったね」
やっぱり荷物は持たないつもりらしい。今は良いけれど後で買うフライパンとかが怖い。買ってもらう身だから文句を言うつもりはないけれど。
「じゃあ次は何買います?ゴミ袋は買いましたよね」
「じゃあ食材買おうよ!手料理食べたい!」
「了解です。でもあまり期待しないでくださいよ?」
「やった!」
洒落た料理は作れないから家庭的な物になるし、料理の経験があることと上手さは比例しないけれど、できるだけ美味しいものを作りたい。
「じゃあ今日の夕飯から始めましょうか。何が食べたいですか?」
「オムライス!」
「調味料はあるんですよね?じゃあ卵と米、玉ねぎと鶏肉が必要ですね。行きましょ!」
「うん!」
……声がさっきよりも小さいのはなぜだろうか?
「鶏肉の皮って食べられる人ですか?」
「ん?食べられるよ?なんで?」
「僕の母親が食べられないんですよね。だから家で料理するときも取っちゃって」
「美味しいのに!おつまみにも食事にもいいのに!」
「僕も好きだからアヒージョとかも作ってみたいんですよね。じゃあ皮付きの買いますか」
「そうだね、そうしよ」
嫌いな食べ物があると気をつけて料理しないといけないから聞いておきたい。母親はそもそも肉よりも魚が好きだった。
「嫌いな食べ物はありますか?食事に出さないようにしたいので」
「……………トマト」
「味が嫌いなんですか?」
「違うの……味は大丈夫だからスープとかは食べられるの……。ただ……食感が嫌いなの……。シャキシャキしたやつは良いけどグチャグチャッとした熟れたやつが嫌いなの……」
食べた時のことを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をしている。本当に嫌いなのだろう。でも硬さを見たり調理したら食べられるならよかった。
「なんかっ……すっごい顔してますよっ……」
「あ!笑いこらえてるな!変顔したくてしてるんじゃないからね!じゃあ君はどうなのさ!」
「変顔ですか?」
「そっちじゃなくて!嫌いな食べ物!」
「僕ですか……。辛い食べ物ですかね……。」
「なんか漠然としてるなぁ……。例えば?」
「わさびとか……唐辛子とか……ちょっとなら全然食べられるけど、辛さを売りにしているものは食べられません……」
「子供だなぁ〜」
「仕方ないですよ!まず辛味は味覚じゃなくて痛みなんですよ!?なんで自分から痛い思いをしなきゃだめなんです!?美味しいものを食べたいのに!」
痛い思いは極力したくない。食べるものは自分で決めるのに、わざわざそんなものを食べることはしたくない。もちろん少量ならいい味付けになるけど。
「あと生野菜特有の辛味は少しでも無理です。玉ねぎとか大根おろしが本当に……。でも食べるまで分からないじゃないですかあれ。食べる時は毎回ギャンブルやってる気分になるんですよね」
「合法カジノだ」
「良いように言ってるけど僕は楽しんでませんよ!?戦々恐々としながら食べてるんですから!」
「今日のオムライスは生の玉ねぎを入れてみようか」
「絶っっっっっ対、嫌です!」
「とりあえずこれでいいですよね」
「うん。今日は荷物多いから仕方ないけど、今度からはもう少し買い溜めとこうね」
「近々また来ないといけませんね」
今日の分以外にも一週間分の食べ物を買った。月矢さんが執拗にわさびを買おうとしてたから恐ろしかった。何回かごの中を確認したことか。
「他に行きたいとこはある?」
「特に無いですね。今は欲しい本も無いです……し」
「ん……どうしたの?急に立ち止まっちゃって」
目の前には、楽器屋があった。中学時代を思い出した。友人と弾いて「バンドも出来るかも」なんてことを話した日々。学校が違って叶わなかったけれど、今でも変わらず夢見てるらしい。「弾きたい」と、思ってしまった。
「ちょっと……寄ってもいいですか?」
「……もちろん」
手に取ったのは家にあるのと同じ型のギター。持ってみたけれど、使い慣れた自分の物とは似ても似つかない感触だった。
弦を弾いて音を出してみる。ブランクがあったことは確かだけれど、緊張しているのか、躊躇っているのか、思うように音を出すことができない。指が重く、凍ったと錯覚するほどに動かない。
数分しか弾いていないが、既に心が折れそうだ。ここまで上手く弾けないものか、ままならないか、苦しいのか。耐えられない、認めたくない。既に自分には何もなかったのに、これ以上失ったなんて、思いたくない。
「……すみません、時間取らせちゃって。やっぱり時間が空くとダメですね、あはは。そろそろ帰りましょうか、暗くなっちゃいます」
笑った顔も上手に出来ていると思わない。でも、悲観的な顔をするよりはいい。足りない分は声で誤魔化せばいい。それで気を遣われるようなら、もう仕方ないけれど。
「……本当にそう思う?ちょっと上見てみ?」
「はい?」
空は、まだ青い。
「まだまだ、弾いてていいよ。このままじゃスッキリしないでしょ?諦めないで弾いて、聞かせてよ」
「……このまま上達しないかもしれませんよ。そもそも僕は下手くそで、聞いてられないような腕で、このまま弾いてもただの自己満です。……それでも、いいんですか?」
「もちろん」
「……じゃあ、もう少しだけ」
時間はどこまでもらっても足りない。それでも、今ここで取り戻せる分くらいは。ここで思い出せる分は。
手はさっきよりも動く。弾いた曲を必死に思い出す。隣にいた友人は今はいない。ただ一人の自分では充分な演奏はできない。それでも、今聞いてくれている、待ってくれている月矢さんに下手な曲は聞かせられない。聞かせたくない。
なら今は、周りも自分の技術も気にしていられない。自分にできる、最高の演奏を。
「……うん、上手だよ」
「そう……ですかね。そうなってて欲しいなぁ……」
買えるお金なんて無いから次に演奏するのはいつか分からない。それでも、今だけは満たされた気がした。それでいい。それでいいはず。今はこの音を、この感触を、忘れないように。
「付き合わせちゃってすみません。もう空がオレンジ色ですね」
「うん、綺麗だよね。好きなんだよね、いっぱいの色でできた空が。青一色じゃない空が」
「複雑ですよね」
「人間みたい」
「似合わないですよ、それ」
「うるさいなぁ、良いこと言いたくなったの!」
「……今日は本当に、ありがとうございます」
「こちらこそ。これからよろしくね」
「よろしくお願いします」
帰ってきたのは夜七時。お腹が空いてくる頃だった。
「じゃあ今から作るので待っててください」
「私はゴミをまとめておくよ。ここまでやってくれるんだったらさ、私も多少は頑張らないとね」
彼女は腕を捲っていた。いかにも「やる気だけはあります!」って感じ。
「いいんですか?僕の役目ですよ?」
「荷物持ちしてくれたからね。私だって何かしなくちゃ、いい顔して君と話せないからね」
「じゃあ任せます」
やってくれるなら嬉しい。でも心配ではある。集中しなきゃいけないので月矢さんが見れないし声も聞こえにくいけれど、大丈夫だろうか……。
「にゃーーーっ!?」
「あー!崩れたー!」
「ぎゃー!虫ーー!!」
……合掌。
「いただきます」
「いただきますぅ……」
半泣きの状態の月矢さんが向かいに座っている。ギャグ漫画でよく見るどんよりしたオーラが見える気がする。
「大丈夫じゃないですよね」
「一回くらいは『大丈夫?』って聞かない?一発目から『?』マークが付いてないんだけど?」
「だって見なくても分かったから、音で分かりましたから。それに髪がさっきよりボサボサですし」
「大変だったんだよぉ……虫が出るし転ぶし崩れるしファルシのルシがコクーンでパージ」
「なんでFFにシフトしたんですか?」
「フー・ファイターズ?」
「ファイナルファンタジーです」
「最終回発情期?」
「そっちじゃなくてですね」
こんな会話が出来る程度には大丈夫らしいから心配は必要なさそうだ。今もオムライスを頬張っている。顔とオーラはそのままに。とても美味しいものを食べてる顔には見えないが……。
「味付け、大丈夫でしたか?」
「うん、大丈夫だよ。初めて君の料理食べるから不思議な感じだけどね。ちゃんと美味しい」
「なら良かったです。明日からも頑張りますね」
「料理だけじゃなくて掃除もお願いね?」
切実さが声によく表れているのが面白い。本当に大変だったのだろう。でも自分も昨日のような目にあうのは勘弁してほしい。この調子が続くと良いのだけれど……。
「流石にこりました?」
「もう掃除はこりごりだぁ〜!」
「昭和アニメじゃないんですから」
「私の顔の周り黒くなってるでしょ」
「切り抜かれてるアレですね、でもこれ現実なんで」
「背景は綺麗になったリビングでしたっと」
「明日からも《・・・・・》、これだと良いですね」
「分かった、分かったからその顔やめてくれない?その『またこの部屋を散らかしたら分かってるよな?』みたいな顔。笑ってるから余計に怖いんだけど……」
「仏の顔は三度までって言いますけど僕は人間なので」
「即身仏を目指せば……いやいや!冗談!冗談だから!もう仏じゃなくて鬼だから!」
「六文銭を用意してくださいね?」
「死出三途を命じられた!?」
「首を出せい」
「
「快適な空の旅をお楽しみください」
「もう別の意味に聞こえちゃうよ!」
反応がいいし細かいネタも拾ってくれるから会話が楽しくて仕方がない。誰かとここまで和気藹々と話したのはいつぶりだろうか。
自分から話すのを避けてたと言われると何も言い返せないが、自分だって好き好んで一人になりたい人間ではない。誰かといたい、人間強度の弱い人間だ。ここに来てまだ数日だけれど、いかに自分がそうかを思い知らされた。
誰かと居るのが好きな人間、それでも誰かと触れ合おうとしなかったのは何故だったのだろう。罪悪感か、それとも……。
「難しい顔してんねぇ」
「ん?そうでしたか?」
「そうだよ。まだ何か話したりなかった?」
「……これからいくらでも話しますよ。ここで終わらせるには、ちょっと惜しいくらい楽しいから」
驚いたような表情の後、彼女は微笑んだ。暗い夜の空と対象的な、明るく暖かい笑顔。安心したような、嬉しさが高まったような笑顔。不意に心臓の拍動が早くなった。
「ここに来てからで一番の笑顔だったよ」
「え……そうでしたか?」
「うん、本当に。……良かった、ここまで嬉しそうに笑えたんだね」
「自覚はなかったけど……そうだったら嬉しいなぁ」
今でも自分は卑屈なままだ、それは自覚してる。そんな今の自分から変われて、ちゃんと月矢さんが言うように「幸せ」になれたら、どれだけ嬉しいことだろう。
やりたいことも何もない自分が、ここでの生活で何かを手に入れられたら、それはどれだけ素敵なことだろう。
それが見つかってここを離れるとしたら、今の生活は続けられない。ならそれまで、せめて今は、こうしている時間に浸っていよう。心地よさに満ちた、この時間に。
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