ブラックサンタ

「今日は父さん残業だったよね」


「多分そうじゃない?母さんから何も聞いてないけれど」



基本的に定時上がりなんてしない人だし、そもそも居ても邪魔で目障りだから居なくていいけど。



「お兄はまだプレゼント貰ってないけど、何もらうかは決まってるんでしょ?」


「まあ……そうだね。多分いつも通り、夜遅くに枕元に置いていくんじゃない?」


「あの人達、そーゆー所はこだわるからね……。もうサンタが誰だか知ってるのに」


「向こうも知ってるよ。そのうえで世界観を大事にしたいんじゃない?」


「『煙突からくる』とか『ブラックサンタ』を信じてた人なのかな」



『ブラックサンタ』悪い子の枕元に牛や豚の内臓、もしくは木や炭の屑をばらまくサンタ。特に悪い子は袋に詰めて攫ってしまうらしい。基本的にはヨーロッパの風習だけど、日本にも一応浸透しているらしい。



「まあ、お兄には来ないと思うよ、ブラックサンタ」


「なんで?」


「だって、毎日勉強頑張ってるじゃん。私とは比べ物にならないくらい。だから、何を頼んだのかは知らないけど、きっと良いのもらえるよ」


「……そうだと良いね」



なんで他人事みたいに言うのかは、分からなかった。でも、今はそれよりも大事なことがあった。



「お兄」


「どうしたの?」


「メリー・クリスマス!」



今日のために買ったイヤホンを手渡した。



「お兄って今年がプレゼントもらえる最後の年でしょ?だから最後くらいは私も何かあげたいなって思って!」


「え、いいの?これ俺が前に欲しいって言ってたやつじゃん。結構値段したんじゃないの?」


「全然OK。私の学校はバイトOKだから。お兄は違うけど私はこのくらい大丈夫!」



本当は結構頑張ったけれど、そんなこと言ったら素直に受け取ってもらえないし……。



「じゃあ、これはありがたくいただきます、サンタさん」


「よし!これからも良い子でいるように!」



久々にお兄の笑顔を見た気がする。よかった、喜んでもらえて。





今日の夕飯はフライドチキンとピザ。クリスマスの定番メニューだ。



「久しぶりじゃない?ピザ食べるの」


「そりゃあ、誰も誕生日がクリスマスに近くないし」


「お兄は夏で私は春だもんね。そういえば、クリスマスと誕生日が一緒の人ってプレゼントは二個もらうのかな?」


「一個でしょ、だってサンタ=親なわけだし。ご家庭の懐事情だよ」


「お兄ってやっぱりメタいこと言うよね……」



大人の二人は呑みに行っていて、今は家に私とお兄だけ。いつもは彼らもいて話したりは出来ないから、今日は久しぶりに二人でゆっくり話せる夕飯の時間だ。



「何時に帰ってくるって言ってたっけ?」


「確か……十一時くらいだったと思う。やっぱり十二時に部屋に来るのかな」


「プレゼントを置きに?」


「そーそー。俺らが寝た後にさ、来るんじゃない?」



いつもは早く寝てるけれど、今日だけは遅くまで起きていようかな。お兄が何をもらってるのか気になるし。



「あ、そのピザとこれ交換しない?」


「辛いの苦手だもんな」


「別にいいでしょ、はい、どーぞ」


「はいはい……そういえば、鏡は何をもらうの?」


「私はお金。何が欲しいか分かんないから、いざ欲しい物ができた時に買えるようにって」


「成長しちゃったなぁ……」


「本っ当……良くも悪くもね」





あれから、一通り身支度を済ませた。歯磨き、皿洗い、お風呂。傷も痣も無い私の体を見ると、お兄のことを思い出す。もう傷は消えたかな……、もし私が居ない間に、また酷いことをされていたら……、そんなことばかり。


時刻は夜の十二時ジャスト。お兄も私も既に自分の部屋に戻っている。恐らくお兄は寝ている。出かけていた彼らも帰ってきている。きっともうすぐ部屋に入ってくる頃だ。


音をたてて部屋のドアが開いた。起きていることがバレないように、ドアに背を向けて私は寝ている、フリをしている。枕元には置かないで机に置いたらしい。紙が擦れる音がした。


ドアが閉まった後、スマホのライトで部屋を照らした。机には封筒が置かれていて、中には五千円札が入っていた。でも、今はそんなことに興味はない。ドアに耳を近づけると、もうひとつのドアが閉まる音がした。直後に階段の電気が消された音もした。


二階には私とお兄の部屋しかない。つまり、他の誰も二階に来る理由がないということだ。あれほど隠したプレゼントの中身が、今なら調べられる。





私以外が確実に寝るまで待った。時刻は午前一時。部屋の時計の針以外には、物音をたてる物はない。あるとすれば、私の息くらいだ。


私は、ただお兄がもらっている物が知りたいわけではない。何回も私が聞いているのにお兄が絶対は答えない、その理由が中身と関係していると思ったからだ。


人に言えない物をもらっているなら隠す意味はある。でも、そんな物を用意はされないはず。何かサプライズがあるわけでもない。じゃあ、私に知られたくない理由は何?それが知りたかった。


部屋を出ると、明かりは一切なく、スマホのライトを頼りにするしかなかった。



「失礼しま〜す……」



部屋は暗く、お兄は既に寝ていた。寝ていないと困る。寝息が聞こえていた。


枕元には何もなく、机の上にラッピングされた物があった。長方形で厚みがあった。持ってみたが、思ったよりも軽かった。そして、何か箱に入っているわけではない。



「これって……本?」



スマホのライトを当てると、一番上の本の表紙が透けて見えた。



『〇〇大学 文系 2022』



いわゆる『赤本』だった。お兄の志望校の。



「これが……プレゼント?こんなのが?」



ゲーム、漫画、音楽、趣味はいくらでもあるお兄が、こんなの頼むの?いや、頼むはずがない。


本棚を見た。いくつも漫画はあるけれど、一際大きい一番下の段には、カーテンが掛けられていた。恐る恐る中を見た。




そこには、何冊もの赤本があった。それも、ちょうど十七冊・・・。左から右に向かって最新の物になるように並んでいた。だが、そのどれもが使われた形跡がなかった。




「これって……毎年、この本をもらってたってこと?」



訳が分からなかった。到底子供じゃ解けないような問題ばかりなのに?赤ん坊が持っていても意味がないものなのに?


もし、これがお兄が望んでいないプレゼントだとしたら?お兄の意思を無視して選ばれたものだとしたら?


お兄は私が小さい頃から殴られ、蹴られていたらしい。ここまで厳しくされていたのは、必ず合格させるため?昔からこの本しかもらっていないなら、それはその学校を志望校にさせるよう仕向けるため?じゃあなんでお兄は本を使っていないの?


もしかして、お兄はこの学校に行きたくないんじゃ……



「鏡……?」



振り向くと、お兄が起き上がってこちらを見ていた。





「お兄……起きたんだ」


「いや……起きたけど……なんでここにいる?なんでその本を持ってる?」


「…………」



言い訳なんて、思いつかなかった。ただ、聞きたいことだけが山のように浮かんだ。



「ただ、何をもらってるか知りたかったの。お兄は絶対に教えてくれないから」


「……そうか」


「ねえ……もしかしてだけどさ、毎年、この本がプレゼントだったの?小さい頃から?」


「……そうだよ」


「小さい頃から、『この大学にいけ』って言われてた?」


「……そうだよ」


「一回も使ってないよね、この本たち。……もしかしてさ、お兄ってこの学校に行きたくな「そんなことはない!」



急に大きな声を出された。遮るように、私の言葉が聞こえないように。



「いや、俺はこの学校に行かなきゃならない。そうしなきゃいけない。行きたくないなんて思っちゃいない!」


やらなきゃならない・・・・・・・・・っていうのは本当に何かをしたい人が言う言葉じゃないよ!強制されて、初めて出てくる言葉なんだよ!ねえ……本当はこんなものよりも欲しい物、あったんでしょ?したいことが……あったんでしょ?」


「いや違う。何がしたいかなんてない、だからここに行かなきゃならないんだよ。本当に、今の俺に必要なことだから。そうやって思ってたから。だから欲しい物なんて、望んじゃいけない!必要なものを与えられて、何を不満に思わなきゃならない!」


「じゃあ自分の意思でそう思ってるなら、そこに母さんが執拗に関わる必要がないでしょ!?痛い思いをしてまで、嫌な思いをしてまで、そうしたいって思ってたの?今よりもずっと小さい頃から?そんなわけがない!」



私の言っていることは、妄想にすぎない。でも、今はこれしか考えられない。お兄の必死さからも分かる。お兄が本当にしたいことはこれじゃない。行きたいところはここじゃない。


それが何かは、どこかは知らない。でも、少なくとも、したくないことで、行きたくないところなのは確かだった。したいことが分からなくても、したくないことは、はっきり分かるはず。



「お兄は、学歴とか、学校とか、そんなことにこだわる人じゃなかった!好きなことも、好きなものも、どれもあって、どれも諦めないでやっちゃうような、欲張りな人だった!」


「それがあっても、今は気にしてられない!全部捨てて、全部なくして、それでも期待には応えなきゃいけないんだよ!」


「……ほら、やっぱり。自分のやりたいことじゃないんじゃん。『期待に応える』それは『誰かのためにやる』って意味だよ、お兄」


「いや……これは自分のためだって。そうなんだって……そのはずなんだって!今までそうやって、そうやって思ってたから、言ってたから、これが間違いなはずが……!」


「そう思ってたのも、言ってたのも、お兄じゃなくて、あの人でしょ。それは、お兄のためじゃないよ」



どの言葉をとっても、そこには『自分のため』なんて言葉は出てこなかった。お兄のこれは、洗脳だ。言葉は悪いけど、そうとしか言えない。


やりたいことがあってもなくても、結果的には『そうしなくちゃいけない』と思わせて、動かす。これのどこにお兄の意思がある?『決めるのはあくまで自分』なんて思わせていたり?冗談じゃない。



「いいんだよ、お兄。今は休んで。お兄は頑張りすぎたんだよ。お兄が何をしたいかなんて、私は知らないし、もしかしたら無いかもしれない。でも、それでもこれは間違いだよ」


「……」


「きっと『お兄のため』は『あの人のため』なんだよ。ねえ……あんな人のために頑張る必要はないよ。少し、自分のしたいことを、思いっきりしなよ」


「間違いなはずがない」


「え?」


「今までそうやってきた、そうしてきた。ずっとこれが正しいって思って、頑張ってきた。これが普通だって、そう言われて、思ってきた。その全部が、『間違い』?じゃあ、今までの俺の人生は、大間違いだってことになるな」


「……いや、違う、お兄は悪くないよ!そんなこと言わないでよ!」


「いや、そうだよ。全部正しいと思って、そうするしかないと思ってやってたら、『それは自分のためじゃない』ときた。じゃあ、この人生は誰のもので、俺は誰なんだろうな?自分の信じた普通ですら、それも間違いだって?……そんなワケねぇだろ。ハハッ、ありえねぇありえねぇ」


「分かってるよ、ずっと辛かったって、苦しかったって!お兄だって騙し騙しやってきたんでしょ?本当は、気づいてたんじゃないの?何かがおかしいって、こんなはずじゃないって!」


「もう俺には、これしかねぇんだよ!!」



部屋の空気が震えた。次にお兄が話し始める数秒の間、秒針だけが動き、音を出していた。



「何もできず何もせず、何したいかも分かんねぇ!だからこれしか無いんだよ!これができなきゃ、俺には何も残らねぇんだよ……!それすらも間違いだなんて、じゃあ俺は、何をすればいいんだよ……!そんなはずがない……これが間違いなはずがない!そうじゃないと……何も俺には残らないんだよ……!」



お兄の涙なんて、見たことがなかった。どんなことをされていても、泣いているところは見たことがなかった。



「……ごめん。キツイこと言って」


「もう、部屋に戻って。ちょっと、寝かせてほしい」


「……分かった。おやすみ」





次の日から、お兄とは話さなくなっていった。きっと、お兄にとって、残酷なことを伝えてしまったんだと思う。お兄の存在意義、理由、信じていたもの、常識、その全部を、私は否定してしまった。取り返しなんて、つくはずがない。


きっと、今まで通り、『これが普通』だと思って、お兄は頑張っている。認めたくはないんだと思う。それが間違いだって分かっていても。


私は、お兄と話すのが怖くなった。あと少し触れてしまったら、すぐに壊れてしまいそうなほど、お兄は身も心もぼろぼろだった。




受験が終わってからは、顔も合わさなくなっていた。最後に見たのは二月の末、お兄がゴミを捨てに下りてきたときだった。ゴミ袋には、十八冊の本が入っていた。

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