迷いと決心
「ねえ、どうしたの?」
「ギターは、家にあります。でも、持ってこれません。家に、帰れないから、帰りたくないから……」
「それで、どうしたの?」
「今更、怖くなったんです。僕、何も、何も言わずに出ていって、二日も経ってて、何も連絡しないで…。今頃家族はどうしてるのか、もし探してたらどうするのか、そんなことが頭をよぎって、凄い、怖くなって…!」
体が震える。寒さによるものではなく、自分の中から出てくる恐怖心や焦りによる、背筋が凍るように冷たく感じるような悪寒。二律背反ではある。このままの生活と今までの生活は両立しえない、どちらかを捨てなければどちらも得られない。でも、今更捨てるのを、変化を自分は怖がっている。
「電話とか、したほうがいいんですかね?心配させないためにも、大事にしないためにも……」
「そこまで気にしてるのに……なんで帰らないの?」
「だって、ここに居たいから……。帰りたくないです、でも、心配はかけたくないんです!だから……何か言っておいたほうが良いのかなって……」
「それをして、『帰ってこい』って言われないと思うの?」
「…多分言われます。でも、このまま大事になって月矢さんに迷惑がかかるのも嫌なんです。だから、どうすれば良いのかなって……」
「う〜ん……私のこと心配してくれてるのね?嬉しいけどさぁ……そもそも連絡もなしに飛び出るのが普通なわけで……君がそれで悩むのはわかるけど、どうしようもないって言うか……てか確か、警察って成人済みの人の捜索ってあんまりしないっぽいよ?」
「あ、そうなんですか?」
彼女はスマホの画面を僕に見せた。確かにどのサイトでも強制的な連れ戻しは無いとある。だが、それを抜きにしても、バレたら彼女らが何をしてくるか、想像がつかない。それに、何より、彼女らは僕の失踪を心配するだろう。自分のエゴで彼らに迷惑をかけるのは、申し訳ない。
「一年遅くてよかったよ。今の君だからこうして特に不安もなく君を匿えてる。……でもさ、本当に不安なのは、自分のことじゃなくて、家族を心配させることなんでしょ?」
「あはは……お見通しですね。向こうに否が無いから、僕の失踪はきっと唐突に感じるでしょうから。だから……」
「帰るのは嫌だけど心配させたくない。うん、ワガママだね。悪くないよ」
「贅沢なことを言ってるのは分かってます。でも、僕のために努力してくれた母たちには、無駄な心配をかけたり、労力を使わせたくないんです。それに、帰ったら以前の僕に戻ってしまう気がして……」
「分かってるよ、どっちも本当に君にとって重要なことってことは。大事に思ってくれた人に苦労をさせること、それは辛いよね。でも、『誰かのため』で動いちゃったらダメじゃない?」
「今回ばかりは、自分のためでもあります。『家族を安心させたい』っていうのが、僕の
「……なーんか君に余計なこと言っちゃった気がするなぁ、それ言われちゃったらさぁ、止められないじゃん」
頬を膨らませながら彼女は言った。多分そうやって言うとは思っていた。ここまで僕に寛容なのはありがたいが、このまま甘えてしまいたくなってしまう。せめて真人間ではいたいから自重しよう……大事な時以外は。
「とは言ってもさ、どうやって説明するつもりなの?」
「……適当に嘘をつきます」
「やっぱりそうなるよね。『友達でもない年上の女性にお世話になってます、しかも同居して家事をしながら』なんて、人によっては発狂しかねないよね。怒って逆探知でもされちゃうかな?」
「笑ってますけど、言ってることは相当怖いですよ?」
「私だってそんなこと望んでないよ?だから、今から、嘘を考えよう!」
「そのつもりですけど、そんな堂々と言うもんじゃないですよ?」
「誰しも嘘をつきながら生きるんだよ?下手に誤魔化すほうがカッコ悪いじゃん」
「……月矢さんも嘘をついてるんですか?」
「……さあ、どうだろうね」
……現在時刻午後十時、そろそろ銭湯に行って寝たい所。頭はそこまで回らない。思えば銭湯に行くまでの道には公衆電話があった気がする。
「嘘、僕が考えます」
「え、なんで?」
「ここまで良くしてもらってるのに、これ以上迷惑はかけられません。これは、家族と僕の問題です。とは言え、口論とかはするつもり無いですけど。ただ、嘘でも自分の口で、自分の考えで伝えたほうが良いと思って……」
「あくまで、自分の考えた言葉で話したいってことね?」
「どうせ嘘なら意味は無いかもしれませんが、それでもそうしたいです」
この状況は説明しない。伝えることは、あくまでも嘘。それでも、誰かに頼ってまで我を通すのは、家族との対話すらも助けを借りるのは、あまりにも情けない。不誠実ながらも誠実に生きる、エゴだとしても僕のけじめだ。
「家族との対話でさえ助力が必要なほど、僕は弱くないです」
「勇ましいねぇ、堂々としてる。でも、本当にそれで大丈夫?」
「はい。嘘でも自分の言葉で話したいんです。それに、話してるときは力を借りれないので、それなら最初から一人でやるほうが気が楽です。自己責任でするほうが、誰のせいにもせず、楽な方に逃げたりはしないはずなので」
「自分を追い込みすぎるのも良くないよ」
「逃げすぎるのも良くないです」
「……ごもっとも」
「まあ、ゆっくり湯船につかって考えますよ。きちんと電話したら戻ってきます」
私物の入ったバッグを手にとって玄関へ向かおうとしたが、その直前に月矢さんに手を掴まれた。その顔には、ただの居候を心配するような表情ではなく、家族の帰りを心配する子供のような表情が浮かんでいた。
「本当に、一人で大丈夫?」
「……大丈夫だと思います、直接会うわけじゃないので」
「帰って、来るよね?」
「そんなに心配しないでくださいよ、行けなくなっちゃうじゃないですか。なんなら、何か人質になりそうな物置いておきましょうか?」
「いや、そこまでしなくてもいいけど……。でも、すごく、不安になっちゃってさ。もしも戻ってこなかったらって思うと、どうしてもね……」
彼女は絞り出すようにして、言葉を発した。表情は言葉を発する度に険しくなってゆく。繋いだ手は小刻みに震え、握る力も強くなっていく、『行ってほしくない』と訴えかけるように。『不安』なんて言葉では言い表せないような感情を、彼女はきっと今抱えている。僕は彼女のように悩みを引き出し、解決の糸口を示すことなんてできやしない。
「じゃあ、指切りげんまん、しますか?」
「……え?」
「意味なんてないし、ただの自己満足です。でも僕には、これしか安心させるようなことができないんです。なんで月矢さんが不安に思ってるのか僕には分からないし、多分話してくれませんよね?だから、幼稚だけど、これで信じてくれますか?どうにもこれしか、思いつかなかったんです」
「……絶対だよ。絶対、帰ってきてね?」
「はい、もちろん。だから僕が帰ってくるまでに寝ないでくださいよ?僕、鍵持ってないので」
「うん、ずっと待ってる」
「じゃあ、ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーらはーりせーんぼんのーます、ゆーびきった」
「……気をつけてね」
「……泣かないでくださいよ、行きづらいじゃないですか」
「うるさいなぁ、もう大丈夫!はい、行ってらっしゃい!」
「はい、行ってきます」
背中を押されて出ていった。彼女の頬に流れる涙。その真意は分からないが、知るときは多分、今じゃない。無理に聞くようなことでもないし、それを解決できるような力なんて僕にはない。僕は、彼女のようにできない。だから、僕が先に大丈夫にならなければ。きっと僕が真人間になれたら、少しでも手助けになれるだろうから。彼女が苦しい思いをしないようにできるだろうから。
夜遅い時間のため人は少なく、昼に行った時よりも比較的空いていた。一日に二回来る形になったが、生活リズムが変化するのはどこか気持ちが悪い。戻すためにもゆっくり肩までつかる。
僕の家族は基本的に懐疑的だ。嘘をつくことを嫌い、つかれることを嫌い、許すことを嫌う。どこまでも信用を大切にする。両親に連絡すれば、まず看破されてしまうだろう。まだ妹に連絡して言伝をしてもらったほうが多少信じさせやすい。この方針で行こう。……両親に代わられたらまずい。ここは最悪どちらでも良いだろう。代わられなければ儲けものだ。
次に必要なのは嘘を考えること。どうやら嘘をつくときには一部真実を入れるのが効果的らしい。この場合は何が良いだろうか。……家に泊めてもらったことしか入れ込めそうにない。他は自作しなければならなそうだ。
一緒に居て安全な人間は誰だろうか。しばらく帰らない旨は伝えねばならない。ならきっと滞在先はどこかを聞かれるだろう。一緒に居て不自然ではない人……。教師はあり得ない、地元から遠すぎる。親戚は都内にはいない。恋人はいない。ホームレスを偽装するのは論外だ。……友人はどうだろうか。一人暮らしの友人がいたって不自然ではないだろう。
何より重要なのは理由だ。そこがしっかりしてなければ説得は到底不可能だ。いや、説得は必要ない。彼らが僕を探さない状況さえ作れれば良い。まず探そうとしても見つけられないはずだ。だが、リスクは減らしたい。
あくまで僕は浪人生、勉学に励むべき人種だから観光目的ではいけない。とすると、勉強を教えてもらっている体なら許されるだろうか。志望校に受かった友人に指導してもらっている。これなら否定も非難もし辛いはずだ。
・妹に連絡
・場所は友人宅(都内)
・試験対策、勉強を手伝ってもらっている
・しばらくは泊まり込みで、帰る日は未定
……不安しかないが、これしか思いつかなかった。まさか嘘をついてこなかったことを悔やむ日が来るとは、人生は分からないものだ。あと必要なのは、覚悟だけだ。
銭湯を出てすぐの公園に公衆電話があった。民家はとうに明かりが消えていて、街灯と信号機の光を頼りにして歩いていった。小学生なら泣き出してしまいそうな不気味さがあった。僕でさえ足が竦む。でもこれは、周囲の環境ではなく、家族と話すことに対する恐怖によるものだろう。
怖くないと言ったら嘘になる……そうか、上等だ。これから話すのはその『嘘』だ。
「怖くなんてないさ」
自然と口角は上がっていた。電話番号を入力して、受話器をとり、お金を投入する。
「もしもし、どちら様ですか?」
聞こえてきたのは妹、
「久しぶり。前に話したのは、いつだっけね」
「……お
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます