少し近づいて
「スクールカウンセラーですか…」
「何その反応…なんか微妙じゃない?」
「いや、納得はしたんですよ。実際すごく話しやすかったし、ちゃんと聞いてくれてるなぁって感じはあったので。ただ…」
「ただ?」
「こんな私生活ダメな人が準教師みたいな仕事をしてると思うと、ちょっと信じられなくなって…」
僕の通っていた高校にも時々スクールカウンセラーは来ていたが、せいぜい挨拶しかしないので接点は全くといっていいほどなかった。人柄なんて知る由もない。
「まさか他の教師もこうだったのかなぁ…」
「心外だなぁ。私だって仕事中は大真面目だよ、君が一番わかってるでしょ?」
実際おふざけ無しで彼女は話を聞いてくれた。聞いてくれたが…
「い〜や〜…想像つかないです」
「大抵人には裏表があるんだよ。生真面目な人がロリコンだったり、いっつも気怠げな人が残業ばっかりで超頑張ってたりするの。私もそれと同じだよ?」
「後半はともかく一人目はフィクションですよね?」
「……」
「なんで黙るんです?」
「………」
闇を垣間見た気がする。もう心の底から教師を信じることはできそうにない。
「とにかく、これでシフトは教えたし、大丈夫でしょ?」
「まあ、はい。」
「あ、それと、私の職場高校で給食出ないからさ。今度から作ってよね」
「今まで何を昼に食べてたんです?」
「なーんにも食べてないよ?」
「え」
「冷蔵庫見ればわかるじゃん」
「コンビニは有るじゃないですか」
「高いじゃん」
「それはそうですけど…じゃあスーパーは?」
「出勤時間にゃどこも営業していませんなぁ」
「もしも僕が居なかったら…こんな生活ずっと続けるつもりだったんですか?」
「そりゃ、まあ、うん」
「……ここに来て良かったです」
「急にどしたん」
「生活習慣を改善させます」
「誰の?」
「鏡持ってきましょうか?」
「ああ…はい」
「でも、流石に君に財布を預けたりはしないよ?」
「承知してますけど…まず月矢さんは冷食の相場っていくらか知ってますか?」
まずは自炊による節約について知ってもらわねば。
「ええっと…いつも買ってるチャーハンは大体…五百円いかないくらいかな?それで半分で一食にしてるから、値段はその半分だね」
「じゃあその値段で考えます。一日三食がマストだとすると、一日で千円弱かかりますよね?で、一ヶ月が三十日だとすると、約三万五千円くらいは余裕でかかるんです」
「まあ、それはそうだね」
「で、月矢さんって年収いくらですか?」
「グイグイくるね…ええと、スクールカウンセラーだけなら大体二百万とちょっとだね」
「ですよね、だいたいそのくら……ちょっと待ってください!?」
年収二百万弱!?こんな所に住んでて!?しかも毎日冷食!?晩酌付きで!?
「え…なになに?」
「月矢さんってなんでその年収でこんな良いとこ住んでるんですか?絶対手が届かないですよね?そもそも、『
「え?まあそうだね。あと落ち着いて、近い」
「ああ、すみません」
「うん、確かにやってるよ。そもそも、スクールカウンセラーはもはや趣味でやってるようなものなんだよね」
「趣味?」
「うん……まあそうだね。で、他にお金稼ぐ方法があってだね」
「汚れたお金じゃないですよね?」
「君は私を何だと思ってるのかしら?安心して綺麗なお金だから。出どころもね」
「じゃあ、一体どこから…」
「聞いて驚くなかれ…『
株。買うことによって配当金を受け取ったり、売買によって利益を得られる魔法の仕組み。その反面、一つのミスが借金を生むことになるリスキーな仕組みである。
「で、それで、大成功しちゃったんですか…」
「大成功っていうか、なんていうか…ごめんね、秘密まみれなんだけど、今回もノーコメントでいい?」
「金の事情でノーコメントとか不穏すぎるんですけど!?」
「いやぁ、決して、けっっして犯罪はしてないよ!ただ、もし理由を言っちゃうと、他のこともズルズル言わなきゃいけなくなるからさ。一つ言っちゃうとまた一つ、そうなっちゃうんだ。君には言わせておいて私は言わないなんて、やっぱり嫌だよね?」
「ああ、いやいや!言いたくないならいいんです!」
「そう?じゃあ…甘えちゃおうかな?……いつか、いつかきっと、決心できたら言うよ」
「別に大丈夫ですよ?月矢さんが暗い顔してるとこなんて見たくないですから」
「…そうか……ありがとう。君…実は結構モテた方なんじゃない?」
「いや…そんなにですけど。ところで…話は戻るんですが、いくら稼いでるんです?」
「正確には分からないっていうか、そもそも変動するものだしね。でも、安定してローンは払えてるし、ご飯もお酒も切らさないし、時たま出かけられるし、不自由はないかな」
「Wow…」
「急にネイティブ発音だね」
「メニメニマニマニですね」
「『MONEY』は数えられないから『MANY』は使えないよ?」
「じゃあマチマチマニマニですね」
「株価の変動も日によってマチマチだね」
「冷房効きすぎてませんか?」
「マッチならあるけどいる?」
「ハウマッチ?」
「いくら一パック」
「…………」
ボキャブラリが底をついた。広辞苑でも買っておこうか。結構なお値段するけど。
「ふふん、私の勝ちだね!」
「その語彙力もうちょい何かに活かそうと思わないんですか?」
「盤外戦術は卑怯じゃない!?」
「で、まあそんなわけで、日頃は家に居て、仕事以外の外出は買い出しか旅行くらいかな」
「旅行とか行くんですね、ずっとインドアだと思いました」
「これでもちゃんと旅行とかテーマパークとかは楽しめる人だよ?ただ出かけた次の日の疲労がエグくてねぇ…。それを考えるとちょい億劫になるんだよね」
「ああ、確かに。フェス行った帰りとかなんにも考えたくないですもん」
「フェス?もしかして結構音楽聞いたりする人?」
「イヤホンとプレイヤーはあるけど、聴きますか?」
「…聴かせてくれない?」
「はい、どうぞ」
イヤホンの片耳を彼女に貸して、お気に入りの音楽を聴かせた。まず最初は、電車の中で聴いた歌。快晴をイメージさせるその曲は、気分を高揚させる僕の必須アイテムだ。ギターのサウンド、楽しそうに歌うボーカルの声、ドラムの心地よいリズム。その全てが気分を明るくさせる。今は夜で暗い景色しか見えないが、きっと朝この景色を見ながらこれを聴くのは気持ちがいいだろう。
「結構意外だなぁ」
「何がです?」
「君、結構根暗な人かと思ってたけど、全然そんなこと無いって分かったからさ。これから君がどう変わっていくのか楽しみですなぁ」
「隠してたわけじゃないけど、僕だってこーゆー音楽は元から大好きですよ。まあ、TPOはあると思いますけど」
「私も、どこか出かけるときにこれ聴いたらいいなって思った」
「語彙力どこ行ったんですか?」
「音楽の前に理論なんて些末なことだよ。ただ『好き』って思ったものが好きで、それに使われるのがどんな手法かなんて興味なし!」
「百理あります」
次に聴かせたのはEDM系の歌。さっきとは打って変わって一切ギターなどの音は聞こえないものだ。気分を明るくさせるという点ではさっき聴いたものと同じだが、ベクトルが少し違う。今聴いているのはリズムに身を任せて体が自然に揺れるような、そんな歌だ。
「いいね、重低音がすごい。これは今の時間帯にピッタリなんじゃない?」
「実際、出かけ先が都会で夜景が綺麗なとこなら良く夜に聴いてます」
「ピッタリな選曲だよ。一際高いビルから他の建物とかスクランブル交差点を見下ろすような、そんな景色が思い浮かぶ。全能感っていうの?それに浸ってる感じ!」
「ダークヒーローになった気分って僕は思ってます」
「いいね、これ聴きながら繁華街を歩きたいね」
お次はロック。とは言っても、最初に聴かせたバンドの歌ではなく、別のバンドのものだった。明るくはない、むしろ暗い人間の内面を歌うような歌詞と、それに呼応する美しいピアノの音色、そして重いベースの響き、激情を表すような激しいギター。その全てが調和するような、かっこよさと美しさを兼ね備えた歌だ。
「ほう、急に趣向が変わったね」
「これ、大好きなんです。すっごい辛くて、苦しい時にはひたすらこの人たちの歌を聴いてました。ただ励ますんじゃなくて、そのままでいいって言うような、共感してくれるような優しさがあって、何度もリピートしました」
「いいよね…こーゆー歌。私も、落ち込むときは沈むだけ沈んで、上がるしかない状態にして自然回復を待つって感じの人だからさ。それにはうってつけの良い歌だよ」
「やっぱり、励ましても駄目な人は駄目なんです。自分のことを知らない人が『頑張れ』なんて言うのを嫌う人とか、まず響かない人がいるんです。そんな人のための、どうにもできない弱者のための歌だって思います」
「こんな暗い歌でも、必要とする人はいるんだよね。でも、この歌には、どこか希望も感じられる」
最後に聴かせたのは、心を落ち着かせるようなバラード。ゆったりとしたリズムで、今まで聴いたハイテンポな歌とはまた違った魅力があった。
「いいね、こんな歌も」
「寝る前によく聴いてます。心が落ち着くんですよね」
「子守唄かな?」
「いいんですよ、楽しみ方は人それぞれです」
「それはそうだね」
「ちなみにこの歌、元ネタいるらしいですよ」
「マジ?聴いてたけど結構劇的な話じゃない?」
「なんでも、ボーカルの友達の話だとか」
「『事実は小説よりも奇なり』って本当なんだね……」
「今の僕の状況も、普通じゃあり得ないものじゃないですか?」
「誰かの創作物だったりするのかな、私たち」
「脳に電極刺されて無理やり夢見させられたり、そんな感じかもしれませんね」
「考えても仕方ないね、きっと分からないようになってるんだよ」
「いやはや、お腹いっぱいですよ」
満足してくれたらしい。鬱陶しいと思われてたらどうしようかと思ったが、どうやら杞憂だったらしい。
「どうでしたか?良くなかったですか?」
「うん、どれも好き。特に三番目の歌がいい」
「ですよね!他にも聴きたいのあれば言って下さい!まだあるので!」
自分の好きな人が褒められると嬉しいのは万人共通だろうか。少なくとも僕は同担拒否ではないので自分事のように嬉しい。自分まで認められてるみたいだ。
「うん、じゃあ後でそうさせてもらうよ。そういえば、黒雲くんは音楽やってたりしないの?」
「なんでですか?」
「こんなに音楽好きなら、かじってたりしないかなぁって」
「まあ、ギターだけは弾けます」
「いいね、今度聴かせてよ」
「じゃあギターが家に……あ」
「どうしたの?」
ここで重要なことに、深刻なことに気づく。今の僕は傍から見れば「家出」だ、それは間違いない。そして僕は所有物の多くを家に置いてきてしまっている。携帯電話もそのうちの一つだ。とすると、誰も今の僕とは連絡を取れない状況にある。
この状況で、僕の家族はどうしてるだろうか。
ただ観光に出かけただけの家族が一人、初日を含めると二日間も音信不通である。僕ももちろん、彼らがどうしてるかを知ることはできない。何を思い、何をしてるだろうか。警察への通報が最もまずい。今のこの状況がバレたら、どうなるかは分かったものじゃない。考えただけで冷や汗と動悸が止まらない。
ことの重大さに気づいた。唐突に罪悪感が襲ってくる。気づかなかったのか、知らないふりをしていたのか、そんなことはどうでもいい。一体どうするべきか、どう動くべきか。何をするのが最善だろうか。
僕は一体、どうしたら良い?
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