新しい日常

「…え?今なんて?」


「月矢さんと一緒に「ああ待って待って復唱はいい。………それってつまりさ。私とここで過ごすってこと?」


「はい。でも、贅沢は言いません。近くの公園で野宿でも、ネカフェで泊まりでも良い。とにかく月矢さんと居たい。寄る辺もなくただ放浪するだけなら、せめて何か役に立つことをしたい。掃除でもなんでもします。だから……どんな形であれ、一緒にいてくれませんか?」



言ってしまった。だが、これが本心、嘘偽りない今の気持ち。なんて言われようと、否定されようと構わない。自分のしたいことだ。後ろめたいことではない、やましいことでもない。ただ、自分が生きていく、成長していく過程に彼女が居てほしい。自分が変わるきっかけを作ってくれた人に、自分の成長を見てもらいたい。そして何より、彼女の役に立って、もらったものを返したい。



「…それが、本当に、君の望んだことなんだね?」


「はい」


「……一切後悔はないし、取り消す気もないんだね?」


「はい」


「うん、そっか…。そうかぁ……」



彼女はうつむいて暫く机を見つめていた。長い髪で顔が隠れていたためよく見えなかったが、彼女は確かに笑みを浮かべていた。困ったような、それでいて何かを懐かしみ、嬉しさに浸るような、そんな複雑な笑みを。一瞬涙がこぼれたように見えたが、気の所為だったのだろうか。



「…分かった。ここに居ていいよ」


「え、良いんですか?無理だと思ってたのに…」


「ううん、それで君が幸せなら、私がきみをそうできるなら。それなら私はいくらでも力を貸すよ」


「…どうしてそんなに、手助けしてくれるんですか?月矢さんにとって僕は、見ず知らずのただの人間、ここまでしてくれる理由は無いはずです。なのにどうして…?」


「……う〜ん、ごめんね。今はその話、しないでもらっていいかな?確かに、君が気になるのは分かるよ。でも、困ってる人を助けるのは悪いことじゃないでしょ?私は特に君に変なことをする気がないよ。だからさ、今は黙って、受け入れてくれないかな?」


「…はい」



困ったような笑み。理由は分からないが、その奥に触れてはいけないことがある、踏み込んではいけない領域がある、それだけは理解できた。今は彼女の言葉にただ頷くことしか出来なかった。





「じゃあ僕は、ここで暮らしていいってこと、ですか?」


「うん。家賃も取る気はないよ。でも、君には私のお手伝いさんになってもらおうかな?」


「…お手伝い?」


「だって君が言ったんだよ?『何か役に立ちたい』って。だから、この家に居るなら、ちゃんとその分働いてもらうから。覚悟してよね!」


「…はい!」


「じゃあ、まずは『掃除』から!」


「この部屋をですか?」


「ううん、全部」



その刹那、自分がこの家に来たときのことを思い出した。散乱した缶、服、ゴミ袋。これがこの何部屋もある家に。考えるだけでめまいがする。一体何時間かかることやら。



「顔ひきつってるよ」


「出てました?」


「うん、はっきりと」


「…僕、ポーカー苦手なんですよね」


「ここに来たのが運の尽きって?」


「違う、そうじゃないです」


「ちなみに掃除機しか家ないから」


「はたきとか雑巾は「ここに無いなら無いですね」


「百均行きますか?」


「今から出かけるのはダルいなぁ」


「……とりあえずゴミ袋ください」


「あ、やべ、切らしてた」


「嘘でしょ!?」


「まあ掃除機あるし」


「そんな便利なものじゃないですよ!?」


「四捨五入すればカービィじゃん、いけるいける」


「四捨五入がそこまで便利なら小数点は存在しません!」


「分数で表そうか」


「ああ、抜け道があった!」


「早く手動かさないと日が暮れるよ?」


「ああもう分かりました!とりあえず服からやりましょう!」





「マジで僕だけにやらせるんですね…」


「なんで私もやると思ったの?」



からかうでもなく悪意があるわけでもなく、彼女はただ純粋に疑問に思ってるようだった。首を傾げるその仕草も今の僕には恨めしい。僕の手には大量の月矢さんの服。彼女の手にはスマートフォンとマグカップ。そして机にビスケット。カフェオレとビスケットの甘い匂いが鼻腔をつく。



「働かざる者?」


「丸儲け」


「それでなんで今まで生きてこれたんですか…」


「要領と性格と外見は良いからね、私」


「三種の神器揃ってるじゃないですか…」


「天上天下唯我独尊ってね!」


「福沢諭吉に怒られますよ?」


「『人はみんな公平』みたいに言った人だっけ。大丈夫、死人に口無し。ネクロマン

サーでも居ない限りね」


いい性格・・・・してますね」


「ありがとう!」


「無敵ですか月矢さん?」


「でもさぁ、実際格差はいつまで経っても消えないわけだし、夢見事だよあんなん。

私然り君然り、下には下がいて上には上がいるんだよ。背伸びしてもジャンプしても

到底届かないとこに、何人も恵まれた人はいる。シックス・フィート・アンダーより

も下に、何人もの恵まれない人がいるのさ」


「上には上がって、さっきの言葉はどこ行ったんですか?」


「『唯我独尊』だっけ。君は居眠りしてても高給貰ってる議員さんや、人の金騙し取

ってほくそ笑んでる詐欺師よりも釈迦が幸せだって思う?」


「ノーコメントで。…はい、畳み終わりました」


「えっすご!ずっと話してたのにもう終わったの!?」


「まあ、その間もずっと働いてましたから。僕も要領良い人間なんですよ」


「張り合っちゃってぇ。私だってやる気出せばすぐだし?まぁ君くらい早く出来ます

けど?」


「じゃあ、これお願いします」


「ああこれ?もしかして気にする感じの人?」


「…はい。気にする人です」



僕が指した指の先には、彼女の下着がある。流石にこれを触るのは気が引ける。何なら見るのも避けたいので顔を正反対の向きに逸らしている。



「顔赤いよ?熱でもあるんじゃない?」


「うるさいですね…。大丈夫です、平熱です」


「どれどれ?」


「触らんでください大丈夫ですから!」


「そんなこと言うなってぇ、心配なんだよぉ」


「絶対嘘ですよねそれ!いいから早く畳んでください!」


「あはは、やっぱり君は単純だね!面白いよ!」


「人としてじゃなく玩具としてですよねそれ!」


「バレた?」


「もう、今度からは自分で下着はやってください」


「『今度から』ってことは今回は?」


「やっぱり今回もお願いします!」





「いやぁようやく終わったね!」


「月矢さんは何もしてません」


「お疲れだね、今日は休んで。後の片付けは明日やろうか」


「まだ終わってないですよ」


「何があったっけ?」


「夕飯です。食べてないですよね?」


「もちろん。でもどうせ冷食だし私作るよ」


「健康とか考えないんですか?不健康ですよ」


「そう言ってもなぁ…。自炊めんどいからなぁ」


「だから、僕がやるんじゃないんですか?」


「あ!そうか!お願いできる?」


「はい。じゃあちょっと冷蔵庫覗きますね」


「あー…。あんまり意味ないと思うよ?」


「なんでです…か」



目に写ったのはいくつもの缶。それも、全部酒類。大中小様々なサイズで金銀銅の色とりどりの缶が、所狭しとあった。



「酒をエネルギーに動いてます?」


「そんなロボットじゃないよ?」


「味も全部違うっぽいし、コレクターだったり?」


「ううん。正直酔えればなんでもいいんだよね。ビールだろうがウイスキーだろうが」


「もう消毒液でも買えばいいんじゃないですか?」


「流石に致死量超えるよ?」


「てかこれどうすんですか?なんにも作れませんよ?」


「だから言ったじゃん。『どうせ冷食だ』って」


「だからといって、まさか本当に一切食品無いとは思いませんよ…。」


「だって自炊しないし。あ、だから器具もフライパンと鍋しか無いよ?」


「マジですか!?」


「昔は使ってたけど…駄目になってからは買い替えてないしね」


「これ食費かさんで大変じゃないですか?」


「大丈夫。お金あるし」


「うっわ」


「ドン引きやめて?てか、お金無いと君を泊めようなんて思わないよ」


「生意気言ってすいませんでした」


「よし」



だめだ。ここで暮らす以上、生殺与奪の権は彼女にある。



「そこまであっても、もうちょい有意義に使えるんじゃないですか?お金」


「例えば?」


「掃除用具」


「ぐっ…!言い返せない」


「漫画とかは買ってるんですよね?」


「え、なんで?」


「ちょくちょく漫画のセリフっぽい言い回しとか、なんならセリフそのままに喋って

る時があったので」


「ああ…そーゆーことね。いやぁ買ってはいないよ。知ってるだけ。漫画の話とかを

よく聞くんだ、職業柄ね」


「…職業柄・・・?」


「うん」


「ちなみに…何をしてるか聞いてもいいですか?」


「う〜ん…ご飯作ってくれたら教えてあげる!」


「何がいいですか?」


「チャーハン!」


「了解です」



冷凍庫を開けると今度はいくつもの袋が見えた。チキンライス、ピラフ、焼売、たこ焼き、チャーハン。



「あ、あった。じゃあフライパン使いますね」


「うん」





「手際いいね」



ものの数分で完成させ、食卓に並べた。凍った部分もなく、上々の出来だと思う。まあ冷食だけど。



「人並みですよ。月矢さんが多分下手なんです」



実際僕はちょっと出来るだけだ。母には遠く及ばない。



「実際そうかもね…。時たま焦がしちゃうし」


「冷食って焦げる要素無いですよね?」


「溶けてるか不安でさ。やり過ぎちゃうんだよ」


「今度教えましょうか?」


「ううん、だって黒雲くんが作ってくれるでしょ?」


「…いつまで居るかわかりませんよ?」


「………。悲しいこと、言わないでよ」


「ん?なんて言いました?」


「なんでもなーい」



いつの間にか食べ終わっていた。喋ることに夢中になっていたからだろうか。空の皿をスプーンでつついたときにようやく気がついた。いつもなら、会話もない、物音もしない食事をしていただろう。あの時と今では時の流れが違う気がする。永久に続くと思われた一日が、ここまで短く感じるなんて。楽しい時間は短く感じると言うが、どうやら真理だったらしい。確かに僕は、彼女との会話を心地よさと、楽しさを感じている。



「本当に…」


「ん?」


「本当に、ここにいていいんですか?」


「何回も言わせないでよ。もちろん、いいんだよ」


「…ありがとうございます」


「うん、こちらこそ」


「なんで月矢さんがお礼を?」


「え!?ああ、だってほら!君がいたほうが助かるしさ、家事とか!」


「ああ、なるほど」


「じゃあ、「ごちそうさまでした」」



二人分の食器を持って立ち上がると、十数分前に投げかけた疑問を思い出した。



「あ、そういえば」


「どしたの?」


「聞くの忘れてました」


「何を?」


「月矢さんの職業です」


「ああ、そうか。そうだったね。…知りたい?」


「いや、まあ。シフトだけでもいいです。僕は合鍵ないから出掛けられませんし。そ

の日がいつか知りたいってだけで」


「あ、そっか、無かったね、合鍵。作ろうか?」


「いや、他人に作っちゃ駄目なもの第一位ですよ?大丈夫です」



彼女の考えは分からないが、どこかガードがゆるいというか、人に甘い気がして心配になる。『支える』なんて、大層なことを言える立場じゃないが。



「そう?じゃあおいおい・・・・ね。あ、シフトだったっけ?メモとって」


「はい」


「土日祝は休み。月水金に出勤。勤務時間は八時から五時まで。オーケー?」


「オーケーですけど…無茶苦茶なシフトじゃないですか!?ほんとに仕事なにしてる

んですか?」


「聞きたい?」


「はい」



彼女は深呼吸して僕に言った。




スクールカウンセラー・・・・・・・・・・です!」



どうして彼女に心を開いたのか、話をしたのか。その理由に合点がいった。

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