第13話 クランクアップ

 翌日、クライマックスシーンの撮影が始まった。

 当たりがすっかり暗くなったころには、撮影準備もすっかり整っていた。エキストラの事故対応に当たっていた南プロデューサーと田所社長も、落ち武者軍団を新たに加えての撮影再開を心配して、現場に姿を現していた。

 監督の声がメガフォンから響き、現場に緊張が走る。


「よ~い、スタート」


 カチンコが鳴り、カメラが回り始めた。


 平原の奥から生暖かい風と共に霧が漂ってきた。その動きはまるで霧そのものが邪悪な生き物のようにうねっている。『おー』とスタッフたちが息をのむ。この世のものとは思えない状況に震えだす者さえいた。それもそのはず、これらは落ち武者さまが引き起こす本物の怪異現象なのだから無理もない。しかもこれらはまだ序の口、いよいよ落ち武者さまの登場だ。

 霧の向こうから、音もなく近づく二つの禍々しい赤い光。近づくにつれて人の姿となり、後から後から湧いてくるようにその数を増し、やがてそれらは落ち武者の姿となっていく。矢尽き刀折れ、戦場で打ち取られた武者の亡霊たち。ある者は袈裟懸けに切られ、ある者は無数の矢が突き刺さり、眼孔の奥深く、怨念に燃えた赤い火の玉をぎょろつかせている。そんな無数の落ち武者たちが、甲冑の触れ合う音をあたりに不気味に響かせながら、ゆらりゆらりと歩いてくる。

 スタッフの多くが余りの迫力に度肝を抜かれ声も出せない。恐怖のあまり、その場にへたり込む者もいた。


「カッート」


 監督の太い声が闇夜をつんざき、照明が消えたその瞬間、落ち武者たちは闇夜の中に引き戻るようにして一斉に消えた。


「落ち武者さま、最高で~す。ちょっと休んでてください。次は勇者様御一行のシーンだ、落ち武者さまに負けないようにな。はい、カメラ位置替えて」


 スタッフたちがてきぱきと動き、カメラや照明を手分けして移動させている。一見バラバラなようで無駄な動きをしている者は一人もいない。ただ監督だけがこの状況に興奮しているようだ。

 田所はというと、亡霊軍団の霊気に当てられたのか、気を失う寸前というていで御手洗に支えられている有り様だ。この場で落ち着いていないのは、自分と社長ぐらいではないのか、と御手洗は苦笑した。自分たちがここにいることが場違いな感じさえしていた。

 それにしても、ゾンビから落ち武者への急な変更に見事に対応しているプロ集団のスキルに、またスタッフ・キャストの皆をここまでまとめ上げる監督の力量にも改めて感心していた。


 こうして撮影は順調に進んで行き、ついにバトルシーンを迎えることになった。


「さあ、いよいよバトルシーンの撮影だ。一発撮りだからな、気合入れていけ」


 再び、ひりひりとした緊張が走る。


「よ~い、アクション」


 掛け声とともに再び落ち武者の群れが現れた。百体という規模には見えない。見た目五百体以上いるのではないかと思われた。鎧や骨の打ち合う音と共に落ち武者の軍団が、まるでイナゴの大群のようにぞろぞろと押し寄せてくる。迎え撃つ勇者パーティー。聖剣や神弓などの神具を用いて、落ち武者どもをバッタバッタと倒していく。

 が、しかし多勢に無勢、落ち武者の群れに徐々に押し返される。

 この窮地を救おうと、レミナがパーティーの先頭に出て行き、魔法石を埋め込んだ杖をかざして呪文を唱えた。すると天空から光の矢が降り注ぎ、平原の落ち武者たちを木端微塵に吹っ飛ばして行く。

 あちこちで天空を赤く染めるほどの爆炎が巻き起こる。


 生身のエキストラであれば大変なことになるところだが、何しろ亡霊である、安全面を考慮する必要が全くない。もちろんそれは落ち武者さまも了解済みのこと。それを見越して幾分爆薬の量を増してある。

 スタッフが真顔で心配するほどの凄まじい迫力あるシーンが展開されていった。

 これは映画史に残る大スペクタクルシーンになるぞ、と監督は大興奮している。


 凄まじい爆音が止み、爆煙が流れ去った後にはもはや立っている者はいないように思えた。だがラスボスの異形魔王――生身の役者。――の不敵な笑いが天空から響いてきた。勇者たちが再度身構えた時、レミナが頭を抱えて倒れ込んでしまう。

「はははは~。ようやく仮面の仕掛けが効いてきたようだな。魔力を使えば使うほど暗黒面に落ちるようにしておいたのだ。さあレミナ、我がもとへ来い」

 倒れていたレミナの体が浮き上がり、魔王に近づいていく。

 この動きは、クレーン車からのワイヤーアクションを装っているが、間違いなくレミナ自身で浮かんでいるに違いない。

 浮遊したレミナは無表情のまま勇者一向に振り向き、両手を彼らに向けた。両手の間にオレンジ色の発光球――この光は後から合成のはずなのだが――が現れ、次第に光度を増してゆく。これは魔王のみが使える超爆裂魔法だ。

 レミナは完全に魔王の手に落ちたのか。絶望に打ちひしがれた勇者たちに迫る最後の時。しかし放たれた光弾は遥かかなたの上空に飛んで行き、そこで爆発した。

 レミナの心にはまだ良心が残っていたのだ。善と悪の葛藤に襲われているのか、空中に浮かんだまま頭を押さえ、苦しそうに身もだえするレミナ。

 一度は死を覚悟した勇者たちは、レミナのその姿を見て最後の力を振り絞る。

「レミナ、お前を信じている。俺たちの信じる力を受け取れ」

 レミナに向けて『気』を送る仲間達。仲間たちのかざした手から一条の光がほとばしり――後から合成――レミナに収束して行く。

「おのれ小癪な」

 魔王も負けまいとレミナに向けて稲妻状の光――七色のライトを点滅させて後からの合成を補完する――を放つ。双方の光に包まれて身をよじり凄まじい声で絶叫するレミナ。そしてレミナは眩いばかりの白光に包まれ消失する。

 このシーンは強めた白色ライトをレミナに集中させ、ハレーション効果を起こした上でライトを消す、という手法で消失を表現しているのだが、レミナは本当に消えてしまっていた。

 大丈夫なのかこんなことをして、誰かが不審がりはしないか、と御手洗は気が気ではなかった。


 魔王も拡大した白光に飲み込まれたのか、その姿が見えない。

 跡には、黒焦げになって二つに割れたレミナの仮面が落ちていた。

「ダメだったのか、レミナ……」

 悲しみに打ちひしがれている仲間たちの耳に、レミナの声が届いた。

「お~い、皆。大丈夫~」

 声の方向に視線を移すと、ボロボロになったレミナがよろよろと歩いてくるのが見えた。仮面がとれたその顔は煤だらけであったが、気高く、幾多の困難を乗り越えてきた自信に満ち溢れていた。


「カッート。ブラボー、ブラボー」


 現場に監督の会心の声が響いた。クランクアップだ。あちこちから歓声と拍手が沸き上がり、それはしばらく止むことはなかった。

 やれやれ、ようやく終わった。一気に緊張が解けた田所と御手洗はへなへなとその場にへたり込んだ。良くぞここまでたどり着いたものだ。これまでの苦労を思うと御手洗は涙を抑えることができなかった。隣の社長も顔をくしゃくしゃにして泣いている。

 そこへ興奮しきった監督がやってきた。

「田所社長、璃子さん、ありがとう。あなたたちのおかげで撮り切ったよ、ありがとう」

 監督は田所とちぎれんばかりの握手をし、御手洗には目いっぱいの抱擁をした。

 御手洗は泣きながら、同じように彼の背中に手を回した。そしておめでとうございますと何度も呟いた。

 だが感傷に浸っている時間は無かった。御手洗の耳元でレミナが囁いた。


『ちょっと璃子さん。どさくさに紛れて、何いちゃついてるのよ。まだまだやらなくちゃいけないことがあるでしょう。しっかりしてよね』


 御手洗ははじかれたように監督から離れた。レミナの声は監督には聞こえてなかったようで、監督はキョトンとした顔をしている。

 レミナは、さっきまでは共演者とお互いの労をねぎらっていたはずだが、今は霊となって御手洗の傍にいるようだ。

 レミナには、このあとクランクアップのセレモニーや共演者への挨拶などなど、いろいろやってもらわなければならない、主演女優は忙しいのだ。レミナのマネージャーとしてはまだやることが残っている。とりあえずキャビンに戻り準備だ。

 御手洗は田所を促して、いつまでも興奮冷めやらぬ現場からキャビンに移動した。

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