第7話 カメラテスト

 御手洗さんを連れて撮影所の隅にある建物に向かっていた。そこは、今は使用されていない小さなスタジオだ。そのスタジオでレミナのカメラテストを行う。

 真夏の昼下がり、いくつもの大きなスタジオに挟まれたコンクリートの通路には、陽炎がゆらゆらと立ち上っている。足早に歩く俺の後ろを、御手洗さんが日陰を辿りながらついてくる。


「まだですか」

 もう歩くのはうんざりというていで彼女が言う。

「ほら、あれだ」と俺は前方の木立に半分程隠れた建物を指さした。

「えっ、あれって物置小屋じゃないんですか」

 そう言われても仕方がないほどのみすぼらしい外観だ。この小さな切妻造りの建物は、小さいと言っても一般民家の二階建てくらいの高さがあり、その中に三つのスタジオが学校の教室のような並びに配置されている。廊下側には小さな窓が申し訳程度にあるが他には一切の窓はない。反対側の壁には機材搬入用のスライド式鉄製扉が三枚並んでいる。十年ほど前までは使われていたが、今は御手洗さんの言う通り、廃棄を待つ古い機材や使いまわしの大道具小道具の一時置き場と化している。

「まあそう言うな、人目に付かずレミナのカメラテストをやるにはうってつけの場所だろう」

 それとこの場所は俺にとっての原点なのだ。俺がまだ駆け出しの助監督だったころ、他の同世代の助監督たちとここでたむろしては、将来の夢や映画論を語り合ったり、先輩監督たちの悪口で憂さを晴らしたりしていたのだ。映画撮影の再出発点としてはこのスタジオ以上にふさわしい場所はない。


 建物の入り口に設置されているブレーカーで電源が生きていることを確認してから、御手洗さんをエスコートして第二スタジオに入った。

 窓のないスタジオは真っ暗で何も見えない。外より気温が低いのは助かるが、ほこりとカビの匂いに満ちたどんよりとした空気がしばらく使われていないことを物語っていた。御手洗さんは入ったとたんにハンカチで口を押えている。

 記憶を辿って壁の電源スイッチのパネルを探し当て、全てのスイッチをオンにした。

 高い梁からぶら下がっている照明がめいめい灯っていく。そのいくつかは生きていないようだ。壁に埋め込まれた換気扇が申し訳程度の速度で回り始めた。

 俺は、無造作に置かれている照明、機材や機器類から使えそうなものを確認して回った。

「もう時代遅れのアナログ機器ばかりだが、カメラテストに使う分なら問題ないだろう」

 レミナには連絡取れているんだよなと続けようとしたところで、突然背後に人の気配を感じて、背中にぞくっと悪寒が走る。


『もう、ここに居るわよ。イヒヒヒヒ』


 俺の耳元で誰かが陰湿な声で囁いた。驚いて振り向くとそこにレミナがいた。

「おい、お、脅かすんじゃないよ。俺の心臓を止める気か」

 レミナであるということが分かっていても、湧き上がってくる恐怖心を止めることはできない。

「あはは、驚いてる驚いてるぅ。だって幽霊だもの、驚かせてなんぼよ、なんぼのもんじゃい、よ」

 何だその関西弁は、と悪態をつきたいところを我慢して、額の冷や汗を拭った。

「レミナちゃん、いたずらは止めなさい」

 御手洗さんが一応レミナを諫めてはいるが、笑いを我慢しているのか肩が小刻みに震えている。

 ――まったく女っていうやつは……。


 深呼吸して胸の動悸を治めたところで、レミナのカメラテストを始めた。手持ちデジタルカメラのモニターの中で、いろいろなポーズをとるレミナの映像は、生身の人間のそれとほとんど遜色がない。

「少し肌味に生気が足りないかな」

「当たり前でしょう、幽霊なんだから」

「当たり前じゃない、生身の人間に見えないと怪しまれるだろう。まじめにやれ」

「はぁ~い」とだるそうに答えたレミナだが、その表情にはみるみると生気が差していった。

 ――やれば出来るじゃないか。この写り映えなら問題ないだろう。

「で、日光の下での実体化はどうなんだ」

「それは問題ない、でも日焼けが気になっちゃうわね」

 ――何言ってんだこいつは。

「幽霊が日焼けなんかするのかよ」


『しちゃだめなの、ねえ』


 モニターに、突然ガングロ娘のように真っ黒な顔をしたレミナの顔が大写しになった。視線を上げると、目の前に首だけとなったレミナが浮かんでいた。俺は『ひぃ』と言って腰を抜かした。これには、俺の横で一緒にモニターを覗いていた御手洗さんも、驚いたようで顔面蒼白だ。

「レミナちゃん、いい加減にして。本当に怒るわよ」

 そんな俺たちをよそに、レミナは笑いながら元の姿に戻ると、まじめな顔をして「強い光でも大丈夫なんだけど、ちょっと油断をするとこうなっちゃう」と言った。

 レミナが白色光のライトの前に移動すると、背景が透けて見えるようになり、そしてそのまま消えてしまった。

「なるほど、これは日中の撮影は避けた方がよさそうだな」


『まあ集中していれば大丈夫だけどね』


 姿はないが声は聞こえる。霊がこの世にあれば、姿かたちが見えなくてもコミュニケーションは取れるらしい。

「じゃあ、人との接触を試そう。レミナ、実体化してくれるか。御手洗さん、ちょっとレミナと絡んでくれる。握手でも肩組みでもいいんで」

 御手洗さんは、姿を現したレミナの横へ行くと肩を組んだ。

「体は冷たいです。それと衣装も同じように冷たい。これはちょっと違和感がありますね」

 ――ということは、キャストとの絡みは極力減らさないといけないな。

「レミナ、衣装も一緒に実体化できるのか?」

「ご覧の通り」

 レミナは、その場で次々と衣装を変えていった。

 まるで魔法少女アニメの変身シーンのようで、俺は感嘆の声をあげた。

「すごいな。これで途中に裸っぽいサービスシーンを挟んでもらえたら完璧な……」と口に出したところで、照明の傘が飛んできた。これがポルターガイスト現象か。

「ばぁ~か」とレミナがあっかんべえをし、そしてそのまま宙に浮かび上がると、今度はスタジオ内をふわふわと浮遊して見せた。

 当たり前だがワイヤーアクションとは比べ物にならない浮遊感だ。この浮遊シーンを自由自在に撮ってみたいものだが、大勢のスタッフの前で、ワイヤーアクションなしで撮る訳にもいかない。ちょっと工夫が必要だ。


 こうして俺たちはカメラテストを終えた。

「レミナご苦労さん、今日はこれで終わりだ。ところでこの世にいない時はどこにいるんだ?」

「霧に包まれた場所。この世とあの世の境目? みたいなよくわかんない……、とても寂しいところ」

 レミナにかける言葉がしばらく見つからなかった。

「寂しくなったらいつでも出てこい。ただし脅かすんじゃないぞ」と言うのが精いっぱいだった。

 レミナは少し微笑んで姿を消した。

「レミナちゃんは一人っ子で、もともと寂しがり屋さんだったんです。それがこんなことになって……」と御手洗さんが心配そうにつぶやいた。

 ――いたずら好きもその裏返しということか。


 御手洗さんを車で駅に送った後、俺は再び撮影所に戻り、今日撮ったレミナの映像をチェックした。

 動きや写り映えは問題ない。衣装替えシーンや浮遊シーンは出色の出来で、これを使わない手はないのだが、それは更なる問題を抱えることを意味してる訳で頭が痛い。

 一通りのチェックを終え、おまけに撮った映像をぼんやり眺めていた。これは、撮影所内で俺の前を歩く御手洗さんを撮影したもので、照れつつも振り返って笑顔でポーズを作っている御手洗さんが、案外かわいい。だがよく見ると、なんと彼女の後ろでピースサインをしたレミナが映り込んでいるではないか。撮影時は全く気が付かなかったのだが、こういうこともできるようだ。

 ――心霊映像とかいうやつか。やれやれだぜ、まったく。

 今日のカメラテストの結果を受けて、他のキャストとの絡みシーンを減らすことや、クライマックスシーンを昼から夜に移すなど、台本の変更を始めなければならない。幾つかのシーンは取り直す必要もあるだろう。だが先が見えてきた。何とかなりそうだ。

 俺は早速パソコンを立ち上げ、台本の手直しにとりかかった。

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