第8話 撮り直し Ⅰ
今日は書き換えた台本に基づいて、シーンの一部を撮り直す日だ。
撮り直すのは、暗黒面に落ちたレミナが、敵である魔王側に寝返るシーンだ。ここはクライマックスシーンの一部で、クライマックスの舞台を夜に変えたため、撮り直す必要があった。
夏休み明けのスタッフたちが、既にスタジオで忙しく動き回っている。
俺は彼らにハンディフォンで声を掛けた。
「みんな揃っているな。休んだ分だけきっちり働いてもらうぞ」
イエーイ、と元気な声があちこちから上がった。この現場の熱気がたまらない。
――いい感じだ。
助監督の山田が駆け寄ってきた。
「アクション部の準備OKです。いつでも始められます」
今日のシーンは、空中で浮遊する魔王の
「衣装係からレミナさんがまだ入られていないと連絡があったんですが……」
「御手洗さん、いやマネージャーを見かけたので大丈夫だろう」
俺は適当にごまかした。
レミナの浮遊シーンはもちろんワイヤーを使う。レミナは自力浮遊をやりたがったが、そんなことが許されるはずもない。そのため、衣装の下には、ワイヤーに吊るすための特別なインナーを付けなければならない。だから衣装は実体化させるのではなく、本物でなければだめなのだ。その段取りは、化粧やヘアメイクも含め、御手洗さんと入念に打ち合わせをしているから問題はないと思うが、何しろ今日が幽霊レミナの、いや我々四人にとっての初めての撮影だから気が気ではない。
扉の遮光カーテンを開け、魔法少女の衣装に身を包んだレミナと御手洗さんがスタジオに入ってきた。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
レミナと御手洗さんはあちこちに頭を下げながら、俺のところまできた。
「監督、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるレミナはとても幽霊とは思えない。それに以前はこんなにきちんとした挨拶をする子ではなかったはずだ。俺は何だか少しうれしくなった。
「こちらこそよろしく頼むよ。段取りは頭に入っているな」
「はい、台詞共々バッチリで~す」
両手のピースサインを顔の前でひらひらさせている。これが緊張を隠すための仕草でなければいいのだが。
「ワイヤーアクションはちゃんと身を委ねろよ。体重がかかっていないと係の者が不振に思うからな。自分で飛ぼうなんて思うな、分かってるな」
「分かってますって。それより監督」
「何だ」
「遠慮しないで、ちゃんと撮ってくださいね」
ちゃかしなしでレミナは俺の目を真直ぐに見据えた。彼女は俺がレミナの実体化時間を気にして、納得いかない画でも妥協するのではないかと心配しているのか、それとも自分の主演映画の質を落としたくないと考えているのか。どちらにせよその意気込みは十分に伝わってきた。
「ああ、心配するな、思う存分撮らせてもらう。その代わり何回テイクを出されても泣くなよ」
ふんと顎を出して、レミナは離れていった。その後をついて行く御手洗さんに声を掛けた。
「御手洗さん、よろしく頼む」
御手洗さんはくるりと振り返った。一瞬この前撮った御手洗さんの笑顔が俺の脳裏に浮かんだ。
「どんなことがあってもレミナちゃんを守ります」
堅い決心がその表情にほとばしっていた。
彼女たちばかりを気にかけている訳にはいかない。
撮影現場では撮影班、照明班、音響班や小道具などを扱う美術班に属する大勢のスタッフが動いている。その連中はいわゆる白沢組と呼ばれる気心の知れた者達同士だが、時には怒声も飛び交うほどの真剣勝負をしている。その者達を統べるのが映画監督なのだ。
準備も整い、いよいよ撮影が始まる。魔王役の男優も、完璧な
「申し訳ないね、吉峰さん。もう一度吊るされてね」
少しやせ型だが身長百九十センチの吉峰さんは、戦隊ものの怪人役で一世を風靡した役者さんで、もう普段の佇まいも怪人っぽい人だ。今回の魔王役にはうってつけの配役だと言える。
「監督のお願いなら仕方ありませんね」と笑顔で返してきたが、その笑顔は魔王のそれで、既に百パーセント魔王になり切っている。
この機を逃す手はない。俺はすぐさま撮影に入った。
先ずは高さ一メートルほどの台の上に立った魔王を下から仰ぎ撮る。空中に浮かんだ魔王の画だ。ドラキュラをモチーフにした黒装束と黒マントの魔王が、地上にいるレミナと勇者パーティーを睥睨している。スタッフが下から、ファンでマントをそれらしくなびかせている。
そして魔王の台詞。
「はははは~。ようやく仮面の仕掛けが効いてきたようだな。魔力を使えば使うほど……」
台詞の途中で、「ぎゃー」という声が入った。録音係からもインターカムでチェックが入ってきた。
「カ~ット。誰だ、悲鳴を上げたのは」
スタッフたちがざわざわとあたりを見回している。奥の方からスタッフの声が上がった。
「トラちゃんが倒れてます」
トラちゃんとは衣装係の若い男の子だ。トラちゃんと呼ばれているのは、本名にトラという字が付いている訳でもなく、酒癖が悪い訳でもなく、もちろんタイガースファンだからという訳でもない。トランスジェンダーなのでトラちゃんなのだ。彼(彼女)は女性らしい気遣いと男性らしい逞しさを持ち合わせているから、みんなに好かれ、頼りにされている。
若いと言っても、もう五、六年一緒にやっているから、こんな単純なミスをするわけないんだがなあと、首をひねっていて嫌なことを思い出した。
彼(彼女)は霊感が強いことで有名だったのだ。
――まずいぞ、まずいぞ、これは。
俺は撮影を中断して彼(彼女)の下へと急いだ。
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