第6話 母親 Ⅱ

 南と田所は駅前でタクシーを拾って、レミナの実家へ向かった。三十分ほど走ると閑静な住宅街にある目的地に着いた。

 藤巻家は、さすが名家だけあって、白い土塀に囲まれたかなり大きな屋敷で、土塀越しに邸内の相当の樹齢と思われる樹木が覗いていた。車は土塀の角を曲がり、数寄屋造りの立派な正門前の車寄せに止まった。

 藤巻家には事前に訪問する旨の連絡を入れてある。ただし肩書はレミナが通っていたバレエ教室の関係者ということにしてある。

 インターフォンを押してしばらくすると、事務的な感じの女性の声がした。名前を告げると、正面の門戸の横にある通用門が開いた。その門をくぐると、中年の女性がいて二人を屋敷へと案内した。


 恐ろしく入り口の広い玄関を入ると、和装の一人の上品な女性が二人を迎えた。彼女はレミナの母親、藤巻玲子その人である。レミナの年齢からすると少なくとも四十代半ばと思われるが、とてもそうは見えない若々しさだ。身長は若干レミナより低目で、155㎝くらいだろうか。ロングの黒髪を後ろできれいにまとめ上げている。顔はやはり親子だ、レミナが成長し美しく歳を重ねたらこんな顔になっただろうというほど似ている。

 二人は先ず仏間に行き、レミナの仏前で手を合わせた。仏壇に飾られた遺影には小首を傾げてほほ笑むレミナがいて、彼女が亡くなっている現実を再度突きつけられた思いがした。

 それが終わると二人は離れの応接室に通された。部屋は洋風で、調度品などは派手ではないが、デザインはどれも室内の雰囲気に調和しており、見栄えばかりを狙った映画撮影セットのそれとは比較にならないほど、格式の高さを漂わせていた。

 メイドが、運んできたコーヒーをテーブルの上に置き終わると、夫人はメイドに人払いを命じた。

 そしていきなり本題に切り込んできた。


「本日の来訪のご用件をお聞きしましょうか」

「話が早くて助かります。実は娘さんが主演されていた映画のことでお願いがありまして、お伺いしました」

「相談? 娘は亡くなっておりますから、私どもに相談することなどないと存じますが」

 取り付く島もないという態度だ。

「それがありまして……。映画を完成させることを了承させてほしいのです」

「は? どういうことですの。意味が分かりません」

「撮影は八割がた終わっています。それでその残りを娘さんの代役やCGを駆使しまして完成させたいのです」

 田所がその後を継ぐ。

ゆいさんも映画の完成に向けて本当に頑張っていました。それが完成を待たずにこういう残念なことになって心残りだと思うのです」


 夫人は、しばらく手入れの行き届いた庭を無言で見ていたが、何かを思い返すように静かに語り始めた。

「私は唯の芸能界入りには反対でした。日舞やバレエを習わせていたのも、藤巻家の女性としてふさわしい教養を身に付けさせるためでした。それを姉が本当に余計なことをして……」

 昨日のことのように語る夫人は、よほど娘の芸能界入りのきっかけを作った姉が許せないのであろう。

「姉は、女優になるとか言ってこの家を継ぐ責任を全て私に押しつけて家を出て行ったくせに、恥ずかしげもなく出戻ってきて、それでも飽き足らず、自分の夢を唯に叶えさせようなどと企んで……」

 夫人は恨みがましい視線を田所に向けた。

「ええ、その節は大変ご迷惑をおかけしまして」

 田所がまたまた大粒の汗を額に浮かべている。

「あの時許すんじゃなかったと後悔しています。そうすればこんなことになることもなかったのではないかと……」

 田所が何か言おうとしたのを押さえて、南が言った。

「それは考え過ぎというものです。現に娘さんは大変な努力をして、鏑木レミナとしての立ち位置を芸能界に築かれました。それは分かってらっしゃるとは思いますが、簡単なことではないのですよ。娘さんのことをもっと認めてあげてもいいのではないでしょうか」

 その言葉に答えることなく夫人は南に視線を移した。その表情は悲哀に満ちたものであった。娘を不本意ながら芸能界に送り出した後悔と、娘の頑張りを認めたいという相矛盾する思いがないまぜになっているのに違いない。

「お母様と娘さんは、素顔を公にしたら引退という約束をされていたと聞きます。でしたらこの映画を完成させてその約束を履行させてください。きっとレミナ、いや唯さんもそれを望んでいるはずです」


 夫人は再び庭に視線を移したまま何も言わなかった。

 時間が停止したような静寂の中、空調機のフィンの回る音だけがその存在を示していた。


 突然、その静寂を破る大きな音が部屋に響いた。


 何事かと三人が音のした方に目を向けると、壁に掛かっていたはずの絵画がサイドボードの上に落ちていた。

 夫人がゆっくりと席を立ち、その絵を愛おしそうに手に取った。

「この油絵は唯が中学生の頃描いたものです」

 その絵はこの邸宅の庭に咲く草花を描いたものだった。それは草花の生命感や瑞々しさまで描きとった、とても中学生の描いた絵だとは思えない程の素晴らしさであった。


ゆいが映画の完成を願っているのでしょうか」


 夫人はしみじみそう語ると映画撮影の続行を了承した。ただ、完成後レミナの素顔が明らかになっても、死亡したことを含め娘がレミナであることを一切公表しないこと、また伯母がそのことについて何か言ってきても決して聞き入れないことを念押しされた。


 帰りのタクシーの中、田所がぽつりとつぶやいた。

「さっきのアレは、レミナの仕業ですかね」

「……さあな」

 南は、この映画は何としても完成させてやらなければと心に誓っていた。

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