第17話 ピンチをチャンスに変えろって言うだけはタダ

「い、痛ーいっ! ……もう! こんなところに窪みがあるなんてぇぇぇ!」


 そう吐き捨てながらラウラはむくりと起き上がり、舗装された平坦な道路をげしげし蹴り出した。

 痛いのはラウラ本人だと、これっぽちも気づいていない様子である。

 これにはさすがのカロザも、呆気に取られていた。


 ラウラこの子は本当に、間が良いのだか悪いのだか。

 とりま、カロザの私刑リンチは回避できそうではあるが。


 微妙な空気が流れる中、ラウラはこちらに気づくとタタタと駆けてきて。


「ゴリラァ〜! やっぱり裏口も鍵がかかってたよぉ。誰もいなかったよー! ……あれ? その人は誰?」


 ラウラの視線を追って、吾輩もカロザを見る。

 なんとカロザは俯いて、小刻みに何やらプルプル震えているではないか。


 吾輩は下からそっと、カロザの顔を覗き見た。


「……くく、くぷ、くぷぷぷ、……ご、ゴリラって……キール様がゴリラって……」


 カロザは必死に笑いを堪えていた。

 目の端に涙も浮かべている。


 俯き震えるカロザを見て、ラウラは眉をひそめて不安げな顔になった。


「あ、あのぅ……ウチのゴリラが何かイタズラでもしちゃいましか……?」


 そう言いながら、恐る恐るカロザに近づいていく。

 

 ———この二人を、絶対に出会わせちゃいけない。

 きっと予想だにもしない相乗効果を生み出すだろう。しかも吾輩にとって悪い方向に。

 吾輩の心が警鐘をガンガン鳴らしている。


「い、いやお嬢さん。とても毛並みの良い犬を飼っているんですね」

「え、あ、ありがとうございます! ゴリラは私の友達なんです!」

「ほう、ゴリラという名前なのですね、この犬は。とても素晴らしい名前です。まさにこの犬にぴったりの名前かと」


 そんなたわいもない会話をしながら、二人は微笑み合っていた。


 なんだろうこれ。何この空気。なんで意気投合しちゃってるの?

 ———これ以上は絶対にマズい。

 一刻も早く、この場から立ち去らないと!

 

「……オイィ! ラ」

「———しっ! ゴリラ!」


 いつも鈍臭いラウラが、ここで神がかる。

 素早い動きで吾輩の口をむんずと掴むと、そのまま顔を寄せてきた。


「人前で喋っちゃダメって言ったでしょっ!」


 そう小声で叱りつけられた。

 

 吾輩は、ラウラの肩越しにカロザを見上げると。

 カロザは「あーなるほどね」と言わんばかりに、両手をポンと打ち付けた。

 

 ———カロザアイツに弱味を握られてばかりじゃねえかぁぁあああアアア!


 坂道を転げ落ちるように、事態は悪くなる一方だ。


「ラウラ、早くここから逃げよう!」

「どうしたのゴリラ。そんなに怯えて」


 小声で話す吾輩たちに、怪しい影が覆い被さると。


「ところでお嬢さんたちは、ここで一体何をしていたのですか?」


 頭上から心地よい音声と共に、さも「自分はいい人ですよ」という人懐こい笑みを浮かべたカロザの顔。

 さすが『人間世界への潜入調査』吾輩の嫌がらせで手慣れたカロザである。

 警戒心を解きほぐすには充分すぎる、語り口調と表情である。


「え……と。ザムールって村から来ましたラウラです。ランサ商会のキレーヌさんに会いにきたのんですが、留守のようで、どうしようかと……」


 カロザは「ほう」と一言吐き、一瞬だけ吾輩に向け愉悦の表情を浮かべて見せる。

 そしてすぐに人の良い顔に戻り。


「それはそれは。私はキレーヌ様の執事をしているカロザと申します。あいにくキレーヌ様はただいま外出中でございまして。……まだ宿泊先はお決めになっていないのでしょう? ラウラ様がたはキレーヌ様の大切な賓客でございます。よろしければ、屋敷にお入りください。僭越ながら私が誠心誠意、お世話をさせていただきます」


 カロザは左手を胸に当て、仰々しく頭を下げた。


「え、本当に!? キレーヌさんに会えなかったけど、カロザさんに会えてよかったねゴリラ!」


 ちっとも良くないわ!


「ささ、どうぞ屋敷の中へ。キレーヌ様は明日の夜には帰ってくるとおっしゃっていました。それまでごゆるりとお寛ぎくださいませ」


 ラウラはうきうきと足を弾ませながら。


「宿代も得しちゃったし、明日にはキレーヌさんにも会えるし、私たちツイてるね!」


 呑気にそう、言ってのけた。


 ———どこがツイてるんだ、どこが。

 話がここまで進んでしまっては、犬の身である吾輩にできることなどありはしない。

 

 藁にもすがりたい気持ちとは、まさにこのことだ。

 明日の夜まで生き長らえるならば、こんな姿に変えた女神アバズレにでさえ、吾輩は全力で祈りを捧げるだろう。

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