第8話 商売の基本は接客から

「……え……っと。そのワンちゃんがうるさくてよく聞こえなかったけど、もう一度、そのめいを教えてくれるかしら」

「はい! 『ゲ」

「バウウウウバウッ! バウウウウウッ!(お前はもう喋るな! 頼むから口を開くな!)」


 吾輩の咆哮が、ラウラの声を掻き消した。

 

 このままじゃ埒があかん。……こうなったらやはり、あの手段しかない。

 ———この手だけは、使いたくなかったけどな!


 吾輩は覚悟を決めて仰向けになった。ぷるんと弾力のあるお腹をさらけ出す。

 そしてとどめの甘い声。


「……クゥゥン」

「まあ、可愛いワンちゃん! 私に遊んで欲しいのかしら?」


 中年女性おばさんは目を細くして、吾輩の腹を撫で始めた。

 

(———おい、ババア! もっと優しく撫でやがれ! ゴツい指輪で痛てーんだよ!)


 と、心の中で悪たれついても、ここは我慢しかない。

 ゴリゴリ痛いのを我慢しながら吾輩は、甘えた声で喉を鳴らす。


「この子は柴犬でしょう? この辺では見かけないワンちゃんね」

「……実はその犬、あ、名前はゴリラって言うんですけど」


 中年女性おばさんの顔から一瞬にして、表情が抜け落ちた。

 鳩が豆鉄砲を食らったときの、お手本のような顔である。


 ……まぁ、そうなるよな。犬にゴリラって。気持ちはわかるぞ、オバサン。


 中年女性おばさんの真顔と吾輩のジト目にもお構いなしに、ラウラは話を続け出した。


「一週間前に、隣村へと繋がっている側道で拾った子なんです。すごい傷ついていて、もう助からないかと……でも今は、こんなに元気になったんです。私の一番の……友達なんです」

 

 幽体離脱から魂が戻ったように中年女性おばさんの顔に表情が戻る。


「そうなのね、じゃ、その一番右の銀細工アクセサリーを頂戴な」


 どうやらラウラのふんわかエピソードが、とんでもないネーミングセンスの衝撃を上回ったようだ。


「……え、本当に……。あ、ありがとうございましゅ!」


 一番驚いたのはラウラ本人なのだろう。

 感謝の言葉を豪快に噛んだ。


 ラウラはいそいそと銀細工アクセサリーを布袋に詰めると中年女性おばさんに手渡す。


「ありがとうございました! またのお越しを!」


 代金としてもらった硬貨をぎゅっと胸の前で握りしめ、立ち去る中年女性おばさんの背に向かい、ラウラは深々と頭を下げた。

 

「あ、そうそう」

 

 中年女性おばさんが振り返る。


「装飾品好きの友達が何人かいるから、声をかけておくわね。きっと気にいると思うわ」

「ほ、本当ですか!?」


 中年女性おばさんはにっこり微笑むと、今度こそ本当に立ち去った。


「やったねゴリラ! 早くも一つ売れたよ! それに! あの人が友達にこのお店を紹介してくれるって! もしかしたら……今日全部売れるかもしれない!」


 もちろんそうなってくれないと困るのは吾輩だ。

 何せ吾輩の命がかかっているのだ。

 こんなちんまい子犬の姿で村を放り出されたら、自慢じゃないが三日で死ぬ自信が吾輩にはある。

 おおかた、熊や狼の栄養源になるのがオチだろう。

 運よく肉食獣に遭遇しなくても、餓死という末路が待っている。


 女神レイラの転生魔法は一級品である。

 今日明日で、どうにかできるシロモノでもない。

 ……いや。もしかしたら一生解読ができないかもしれないのだ。

 

 銀細工アクセサリー今日全部売り捌けば、ラウラの叔父とやらも暫くは文句を言ってはこないだろう。

 とにかく今は、時間が欲しい。

 ならば是が非でもラウラの世話になるしか、道はないのだ。


 先程の中年女性おばさんは、この村の顔役なのだろうか。

 同じ年頃の、これまた小金持ち風な中年女性おばさん三人が、こちらに向かって歩いてきた。

 ラウラもそれに気づいたようで。


「……ねえゴリラ。あのオバサマたち、もしかして……」

「バウバウウ(いいか。お前は何も言ってくれるな)」


 そんな吾輩の願いは、当然聞き入れてくれない訳で。


 残り二つの銀細工アクセサリーが売れた代わりに、吾輩のお腹に赤い筋が増え、声が枯れるまで吠え続けたのは、言うまでもない。

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