9◇調査
ラザファムは、このナーエ村の空気をあまり好ましく感じなかった。
それが何故なのか、はっきりと答えることはできない。何かちぐはぐな感じがすると、そんな曖昧なことを思う。
村の中を歩いていると、余所者は目立って仕方がない。
小さな村はどこも同じだ。余所者が珍しい。
ラザファムが誰に声をかけようか相手を物色する前に呼び止められた。
「あっ、あなたは!」
振り向いたが、そこには知らない娘がいただけである。
ラザファムと同世代くらいの、まっすぐな長い髪をした娘だ。その艶やかな栗毛が自慢なのか、サラリと髪を掻き上げながら近づいてくる。服装は簡素なエプロンドレスだ。
ラザファムは彼女を知らないが、彼女はラザファムを知っているらしい。
「あなた、デッセルのお屋敷にいたでしょう? ほら、私も捕まっていたの」
アルスが解放した女中のうちの一人らしい。
あの時、ラザファムは薬を盛られていて、他人の顔を認識するどころではなかった。正常な状態であったとしても覚えなかったかもしれないが。
「ああ、災難だったな」
事実、ひどい災難だった。あのろくでもない親子に命を奪われずに済んで本当に良かった。
「あなたたちが助けてくれたおかげよ。本当にありがとう」
ほんのりと頬を染めて感謝を述べられるが、ラザファムはその感謝を受け取れる立場にはないような気がした。
「いや、僕は何もしていない。むしろ、助けられたのは僕も同じだ」
一番勇敢だったのはアルスだ。そして、彼らが自滅しなければ皆が危なかった。
あれは幸運だったと言うしかない。
そう、ラザファムは無力だった。
もし仮にクラウスがいたならば、きっとアルスを助けて鮮やかに解決することができたのだろう。
苦々しい思いで口にした言葉を、彼女はあまり真剣に受け取っていなかった。
ただラザファムの顔をじっと、うっとりと見つめている。
「そんなことないわ。私、とても感謝しているの。あっ、まだ名乗ってもいなかったわね。私はジルよ」
――自分の顔が女性受けするということに気づいたのはいつだったか。
幼少期はむしろ、頼りないとか可愛すぎるとか、同世代には敬遠されていた。アルスからの扱いはいつでも変わらなかったが。
ラザファムはなるべくさりげなく微笑みを浮かべた。
この顔が有効に使えるならばいいかと今は割りきっている。
「僕はラザファムだ。それはそうと、ジル、少し訊ねたいんだが、村はずれの小屋に住んでいる子供……コルトと言ったかな。彼に親はいないのか? 一人で住むには幼いように思うが」
これを訊ねた時、ジルはほんの少し気まずいような躊躇いを滲ませたが、そこからすぐに立ち直った。
「私はほら、その時、お屋敷勤めをしていたから詳しくはないの。だからこれは全部又聞きになるんだけど」
勿体ぶった口調でラザファムの顔を見上げてくる。
いつもならば仏頂面で立って待つだけだが、今は知りたいことがある以上、愛想を振り撒いておかなくてはならない。
ラザファムは彼女の目を見てさりげなく微笑む。
そうしたら、ジルは気をよくしたのか饒舌に語り始めた。
「コルトのお父さんは、前の村長だったグンターさんって人。奥さんを亡くしてから、それは子煩悩でコルトのことを可愛がっていたわ。村では一番学もあって、穏やかな人柄だったの。でも、ふた月くらい前、なんでも違法な植物を栽培したとかで罰せられて、それで今はノルデンにいるの」
「違法植物……? ノルデン、か」
その地名によって引き起こされる動揺を押し隠し、ラザファムは会話を続ける。
「でも、コルトに罪はないだろう?」
これを言うと、ジルはいかにも心優しい娘といったふうに悲しそうな表情を浮かべた。
「ええ、もちろんよ。でも、コルトが誰も寄せつけようとしなかったの。皆、お父さんを信じてくれなかった、お父さんは無実だって。そう思いたい気持ちはわかるけれど、グンターさんは自白しているの。それでもコルトは諦めていなくって、村人が近づくと暴れるから、仕方なくて……」
「もう絶えてしまっていると思うが、その植物はどんなものだったんだ?」
ノルデンへ送られるとなると、相当に重たい刑罰だ。
麻薬絡みだろうか。それを使用したのか、生成したのか。
そんな事件があったとは知らなかった。
「私もよくわからなくて。でも、その植物が生えていた場所を清めに、セイファート教団の人たちが来たって聞いたわ」
「セイファート教団?」
それを聞き、ラザファムは嫌な予感しかしなかった。
セイファート教は、この
調和を貴ぶアポステル派と、祓魔に特化したゼクテ派だ。
とはいっても、ゼクテ派はレプシウス帝国内だけに小規模で活動しているのみで、大部分がアポステル派だ。
アポステル派は、精霊王の恵みに感謝の祈りを捧げ、冠婚葬祭を取り仕切ったり、薬や技術によって傷ついた人々を治療する。
よって、ここへ来たのもアポステル派の者だろう。
ゼクテ派ならばまだしも、アポステル派は多少の祓魔術は学んでいても結局のところは人の技に過ぎない。精霊の方がずっと魔を退ける力は強いのだ。
それなのに、ラザファムのような精霊術師が精霊を呼んで清めてもらうのではなく、セイファート教団の者が来たという。
ナーエ村の者に知識がなく、どう対処していいのかわからずに教団を頼ったということなら納得できる。
しかし、そうだとしてもこれらのことは女王へ報告されたのだろうか。女王が知っていれば、夫君のベルノルトが知らないとは思えない。
それならば、ここへ来た時に何か言ってもおかしくなさそうだが、その手の話は何もしなかった。
少々の引っかかりを覚えてしまう。
違法植物とはどんな種類のものだったのだろう。可能性として考えられるのは、麻薬というよりは毒薬――それも、魔属性の。
確たる実験結果があるわけではないのだが、魔属性の植物は魔族を引き寄せる
しかし、そんなものが簡単に手に入るものなのか。大体、そんなものを育ててどうするというのか。
妙な話だと、ラザファムが考え込んでしまった間、ジルはラザファムのことを眺めていた。その視線に気づき、我に返る。
「ああ、すまない」
ジルは軽く首を振った。
未だに演技をしているような印象で、この娘がどんな人間かはよくわからなかった。
「デッセルの領主館にも現れたし、あなたたちってもしかして調査官か何かなの?」
「いや、そういうわけじゃない」
「もし本当に隠密の調査官だったら、自分で認めるわけにはいかないわよね」
笑いながらそんなことを言う。調子は軽く、特別深く考えてはいないようだ。
むしろ、調査官の年俸はいくらなのかと、そんなことだけを気にしているように思われた。
「そう、あの銀髪の綺麗な子は一緒じゃないの?」
アルスのことだ。ラザファムは表情を変えないように気をつけた。
「近くにいる」
それを聞くと、ジルのまとっている雰囲気が少し尖った。
「あらそう。恋人じゃないんでしょ?」
恋人でしょう、ではなく、明らかに違うと断定した上で
「そういう関係じゃない」
「うん、恋人には見えなかったわ」
何か勝ち誇ったように言われた。
ジルはアルスの正体には気づかないままらしい。
――恋人には見えない。
当たり前だ。事実違うのだから。
わかっているけれど、なんとなく苛立った自分がいた。
「ありがとう、助かった」
にこりと笑ってそれを言うと、ジルはまだラザファムを引き止めたそうにしていた。
けれど、それに気づかないふりをしてさっさと背を向ける。
もう少し情報を得て、それからアルスのところへ戻ろう。
無性にアルスの顔が見たかった。
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