10◇プライド
コルトの家の風呂が壊れた。
風呂桶は無残に割れたし、窓まで穴が空いている。
最初は嫌がらせかと思ったが、ここまでひどいと人間業でもない気がしたのだ。
「なあ、ナハ。これって自然現象か? 老朽化かな?」
「ろぉきゅぅ? んなワケないでしょうが。きっと誰かのイタズラだよ」
「あ、うん。僕って嫌われてるから」
風呂の戸口で声がして、振り向いたらコルトが立っていた。つい普通に喋ってしまったナハティガルは、両の羽を頬に当て、ひぃぃっと悲鳴を上げた。
「ナハ、コルトはもうお前が守護精霊だって知ってるから喋ってもいいぞ」
「なっ、なななっ! アルスが粗忽だからぁ!」
脳天に羽でチョップされたが、そんなに痛くない。
「違うよ、僕が賢かっただけ」
神妙な顔で言ったので、コルトはどこまでも本気らしい。まあいい。
「こういう嫌がらせはよくあるのか?」
「たまに、かな。いつもはここまでひどくないけど」
「最悪だな」
親がノルデンへ連れていかれてしまっただけでも大変なのに、この幼さで村八分とは。
落ち着いて話して見えるけれど、多分傷ついている。
「ナハ、直してくれ」
アルスがあっさりと言ったら、ナハティガルは憤慨した。
「ボクをなんだと思ってるのさ! 風呂桶直せなんて言われたの初めてだよ!」
それは壊れた風呂桶に直面したのが初めてだからだ。
非常に面倒くさい精霊のプライドが古びた風呂桶を直させないなら、そんなものはさっさと捨ててほしいのだが。
「えっ? これが直せるの? 精霊ってすごいんだね!」
コルトが一見無垢な笑顔を向けてナハティガルを見上げている。
ナハティガルは、うっ、と呻いた。
「できるけどぉ……」
「なら、やれ」
アルスが言うと、ナハティガルは悔し紛れなのかアルスの頭を力強く踏んづけてから割れた風呂桶に飛び乗った。
精霊は、血の通った生物の怪我を治すようなことはできないが、無機物の修復は可能である。
生き物の傷を塞ぐのは、命を燃やすこと。つまり、傷を治すために逆に寿命を縮めてしまうのだとか。
ナハティガルによってキラキラと緑色の光が振り撒かれ、けれども風呂桶は――割れたままだった。
「うん?」
「あっ、あれぇ?」
ナハティガルはショックを受けて風呂桶の縁を気忙しく歩き回っていたが、割れ目は閉じなかった。
「ナハ、お前、もしかして疲れてるんじゃ……」
エンテは休んでいるという。
元気そうに見えて、ナハティガルは疲れているのだろう。
しかし、認めない。
「ち、違うし! 疲れてないし! えぇえっ、なんでぇ?」
コルトのがっかりした視線が居たたまれない。
そこへラザファムが戻ってきた。
「……何を騒いでいるんですか?」
小さな家の狭い風呂だから、三人もいるとせせこましい。
アルスが振り向くと、ラザファムの胸にアルスの髪が当たった。
「悪戯で風呂を壊されたんだ。ナハに直してもらおうとしたんだけど」
「す、すぐ直るよ! ただ、ちょぉっとだけ手間取ってるケド!」
ナハティガルが半泣きになっている。風呂桶ひとつ直せないのがそんなにショックなのか。
ちょっと可哀想になった。
すると、ラザファムは狭い中でアルスとコルトを押しのけて前に出た。そして、風呂桶の割れ目を調べる。その顔つきが妙に険しくなった。
「ナハ、この割れ目は僅かに焦げついている。妙じゃないか?」
「へっ?」
「まるで雷でも落ちたみたいだ。人がしたこととは思えない」
「えぇ?」
「エンテがいたら何か感じたかな?」
アルスがボソリと言うと、それもナハティガルは気に入らなかったらしい。
「なんでエンテなの! ボクも、ちょっと変だなって今思ったトコ!」
「今か」
余計なことを言うなとばかりにプンスカ怒ったナハティガルだったが、ラザファムの発見がよかったらしく風呂桶を修復することができた。
「わあ! すごいや!」
割れ目が塞がった風呂桶にコルトが感動し、感嘆の声を上げる。ナハティガルは得意になって胸を反らしていた。
「えへへん」
「ま、風呂桶ひとつに騒ぎすぎたな」
アルスが冷静に突っ込んだら、ナハティガルに頭を踏まれた。
しかし、せっかく風呂桶が直ったというのに、ラザファムに冷ややかに言われてしまった。
「コルトは僕が介助して入れます。アルス様はその間に宿の風呂を借りてきてください」
「ここで入れば早いのに?」
ボソッと口答えした途端、ラザファムの表情が消えたのでそれ以上は言わなかった。
アルスが一緒だとかえって邪魔だと思っているのだろう。
失礼だと言いたいが、コルトの体をちゃんと洗ってやれるかは、やったことがないので自信はなかった。
「わかったよ。行ってくる」
「簡単に食べられる軽食を買っておきましたから、戻ったら食事にしましょう。では、お気をつけて」
相変わらず段取りがいい。そこは助かるし、感心する。
コルトがアルスに行かないでほしそうにしていたが、仕方がない。
アルスは急いで行って戻ってくることにした。
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