5◇再会
「――アルステーデ」
声が聞こえる。
優しい、けれどどこかに厳しさも残す声。
亡くなった父が夢に出てきたのかと思った。
もっと話をすればよかったな、と今になって思うけれど遅すぎる。あの頃のアルスは今よりも子供だったから。
「アルステーデ、ちゃんと戸締りをしないと駄目だろう?」
えらく現実的な指摘をされた。
ん? と違和感を覚えて目を覚ますと、そこはベッドではなく堅いテーブルの上だった。
昨晩はここに突っ伏して寝たのだ。
「アルス、寝跡ついてるぅ」
ナハティガルが机の上でターンしながら言った。多分ついていると思ったから驚かない。
ただ、アルスの向かいで椅子に座って長い脚を組んでいる人物には驚かされた。
「おはよう、アルステーデ」
「ひっ!」
悲鳴を上げそうになったのは、眼前でニコニコと笑顔を振りまいているのが城にいるはずの義兄だったからだ。少しくらいはお忍びのつもりなのか、珍しい淡い緑色の髪を隠すように白いローブに連なるフードを被っている。
アルスはそのまま固まり、額には冷や汗が浮いた。
こんなに早く捕まってしまうとは。
凍りついているアルスに、義兄ベルノルトは苦笑した。
「驚いたかい? うん、ちょっと本気を出して追いかけてみたんだ。ほら」
ベルノルトのローブの襟から出てきたのは、白くて小さい鼠だった。つぶらな瞳でアルスを見ている。もちろん、ただの鼠ではなくて精霊なのだが、精霊は姿かたちを変えるから、この姿ではすぐにわからなかった。
鼠の方が気を遣ってくれたらしく、笑うように目を細めて言った。
「お久しぶりですね、アルステーデ姫様。お美しくなられて」
その女性のように優しい声で気づく。
「シュヴァーンか!」
これにはまた驚かされた。シュヴァーンは、アルスの父親の守護精霊だった。
父が崩御した後は精霊界に帰ったのだ。そのシュヴァーンが精霊術師であるベルノルトの要請に応え、力を貸しに来た。
「久しいな。……いや、こうしてまた会えて嬉しいが、余計なことをとも言いたくなるぞ。私はまだ城に帰るわけにはいかないんだ」
王の守護精霊であったシュヴァーンだ。ナハティガルでは遊ばれるだけで、とても対抗できない。
今はコンパクトに鼠になっているが、天馬にでもなってベルノルトをこのナーエ村まで運んできたのだろう。
ベルノルトは、穏やかな中にも芯は激しく強い面を持つ。
「トルデリーゼがとても心配している」
ポツリ、と言われた。そのひと言に心が痛まないわけではない。
「もちろん、パウリーゼも、私も」
すぐに言葉が出てこないのは罪悪感だろうか。
悪いとは思っている。勝手なのもわかっている。
「ごめんなさい。でも、まだ帰れない」
「ノルデンに行くまで?」
「そう。クラウスに会わないと」
これだけはベルノルトの目をしっかりと見据えて言った。
ナハティガルはテーブルの上で自分の羽根をじっと見つめている。とても居心地が悪いのだ。
「ノルデンへ送られていくクラウスと君を会わせなかったのは、君が傷つくと皆が考えたからだ。けれど、それが間違いだったのはよくわかった。いつまでも諦めがつかないのは、傷ついてでも膿を出しきれなかったから」
ベルノルトがそれを言うのは、自身もまた癒えない傷口が膿んでいるからだろうか。
彼の過去もまた苦痛の連続だった。
「諦めなんて考えたこともない。クラウスは何も悪くないんだ」
それを誰もわかってくれないから。アルスだけはクラウスの味方でいる。
この時、ふとベルノルトはアルスを連れ戻しに来たのではないのだという気がした。そう願いたいからというだけではなく、連れ戻すつもりならばこんなに悠長に話をしているはずはない。いざとなれば力づくでも連行された。
ベルノルトはテーブルの上で手を組んで軽く首を揺らした。
「どうしてもノルデンに行きたいのなら条件がある」
「えっ?」
「ラザファムを連れていくこと。この条件を呑めないのなら強制送還だ」
「え……えぇと……」
置き去りにして逃げたばかりなので、顔を合わせるのがとても気まずい。
しかし、義兄は優雅に笑っている。
「そこまで連れてきている」
「うわぁ」
ここでナハティガルはテコテコとテーブルの上を歩いてベルノルトに言った。
「ベルノルト様、ボクはラザファムと行きたいです!」
「じゃあ、ナハティガル、外にいるから呼んできておくれ」
「はぁい!」
この裏切り者、と思ったが言えない。
ナハティガルは扉を開けてやらずともスルリと隙間をすり抜けて行ってしまった。
ベルノルトは含みのある笑みを浮かべて、苦い面持ちのアルスに言う。
「大分しょげているから。私の愛弟子をあまり苛めてくれるなよ」
「しょげ?」
思わず変な声を上げてしまったら、ベルノルトに笑われた。
「ラザファムは、自分が不甲斐ないから置いていかれたのだと言っていた」
「い、いや、そういうことではなくて……」
「それは当人に言ってやってくれ。ただし、くれぐれも無茶はしないこと。無事に城に戻ってくること。それだけは絶対だ。いいね?」
「……はい」
ベルノルトを見送ると、ほんの少し寂しいような心細いような気分にもなった。
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