4◇ナーエ村

 幸い、道に迷うこともなく、アルスはナーエ村に辿り着くことができた。

 いかに子供とはいえ、人間を背負って歩くのはなかなかに大変だったが、あと少しで着くと自分に言い聞かせながら歩いていた。子供の体温が高いから、寒さはまるで感じない。むしろ暑いと思った。


 ナハティガルは音を上げないアルスに呆れているようでいて、それでも時々ずり落ちてきた子供をフワッと押し上げるような手助けをこっそりしていた。

 アルスが手伝えと言わないから、表立って手伝うのは嫌なのだろうが、気にならないわけでもないらしい。


 ナーエ村は、村にしては大きい。それというのも農商がたくさんの小作人を抱えて徐々に大きくした村だからだ。


「この子、仕事が嫌で逃げたのかなぁ?」


 ナハティガルが村の入り口でそんなことを言った。


「仕事をするにはまだ小さいんじゃないのか?」

「う~ん、どうだろ?」


 この子供がナーエ村から来たとは限らないのだが、一番近いのはこの村だ。

 秋だから、今に収穫を迎える作物は多い。人手はたくさんいるのだろう。そんな時は子供でも手伝わされるものかもしれない。

 村に巡らされた柵をぐるりと回り、門番に背中の子供を見せる。


「この子が道で倒れていたんだ。この村の子か?」


 すると、袖に泥をつけた中年の男はうなずいた。


「ああ、コルトじゃないか。いつの間に外に出たんだ?」


 やはりこの村の子供だったらしい。アルスはほっとした。


「そうか。急にいなくなって親も心配していただろうな」


 しかし、門番はうなずかなかった。毬栗のような頭をガリガリと掻いている。


「いや、急にいなくなったのはむしろ親の方かも」

「なんだって?」


 立ち止まっていると、子供――コルトを抱える腕が疲れてくる。

 言いにくい事情なのか、待っていても言葉は続かなかった。


「とにかく、この子の家を教えてくれ。連れていくから」

「あ、ああ。こっちだ」


 彼が連れていってくれたのは木造の小さな家だった。エルツェ村のノーラの家も小さいと思ったが、コルトの家はさらに小さい。多分、馬小屋より小さい。

 門番が扉に手をかけたところ、鍵はかかっていなかったようだ。扉が開く。


「ありがとう。とりあえず寝かせるよ」

「ああ。何か食べ物を見繕ってきてやるよ」

「それは助かるな」


 部屋の中は暗い。留守だった家に灯りはなく、カーテンが引かれている。

 門番の男が出ていったので、アルスはナハティガルに向けて言った。


「ナハ、部屋を照らしてくれ」

「ハイヨ~」


 とてもやる気のない返事をしつつ、ナハティガルは飛び上がって光の玉を雨のように振り撒いた。

 それに頼って部屋の中を観察してみるが、あまり家具が多いとは言えなかった。小さな竈と食卓に椅子が二脚、戸棚があるだけ。


「寝室はどこだ? あっちの部屋か」


 奥に扉があったので、それを開いた。そうしたら、その先はすぐに寝室だった。とても手狭な部屋でベッドをひとつ置いただけでもう何も置けない。少し湿気臭いシーツの上にコルトを下ろすと、アルスは靴を脱がせてやった。


「アルスってばぁ、今日はどうすんのさ? ここに泊まるの?」


 ぼやきながらナハティガルはアルスの頭に停まった。


「う~ん、私が宿に行くとこの子のことは誰が看るんだろう?」


 コルトはぐったりとしている。どこが悪いのかはわからないが、長い時間意識がないのは危ないような気がする。

 ナハティガルはコルトの頭にちょこんと乗ってみて、なんとなく首を傾げている。


「まー、死にはしなさそうだけど。アルスが看病したら悪化しちゃうかもだし」

「なんで? 失礼なヤツだな」

「看病って、何するか知ってる?」


 非情に鋭い質問である。

 アルスは戸惑いつつ、それを隠すようにうなずく。


「もちろんだ! 頭を冷やしてやればいいんだろ」

「頭冷やすだけでいいと思ってる?」

「う……っ」


 熱がある時は頭を冷やした。それ以外になんだっただろう。

 わりと健康なアルスは、発熱の際に看病された記憶が遠かった。ナハティガルの目が冷たい。


「ほらぁ。素直に町の人に頼みなよ」


 それくらいできると言いたいが、アルスの意地がコルトの苦痛になってはいけない。ここはしおらしく折れた。


「わかったよ。さっきの人が戻ってきたら頼む」

「うんうん」


 なんて話をしていると足音が聞こえてきた。部屋の光源の説明が面倒なのでナハティガルに消させる。

 門番はランタンと食べ物が入っているらしき籠を下げていた。


「ほら、二人分あるから」

「ありがとう。あのさ、頼んでばかりで悪いんだけど、この子の看病をしてくれそうな人を連れてきてもらえないか?」


 これを言った時、門番の顔が曇った。それはどちらかというと困惑に近かったような。


「この村には治療師がいないのか?」


 病気や怪我を診る治療師の知識と技術はセイファート教団が管理している。各町村に教団から派遣してもらうのだが、交代時期に途切れてしまうこともあるのかもしれない。もしそうなら女王あねに報せなければ。

 短期間といえど、人が住むところに治療師がいないのは大問題だ。

 しかし、そういうことではなかったらしい。


「いや、その、今は村長むらおさのところでお産があって、手が離せないんだ」

「そうなのか。じゃあ、誰か子供の扱いに慣れている女の人とかは?」


 少なくとも、アルスよりはちゃんと看病できる人材を連れてきてほしい。

 それでも、門番はうなずかなかった。


「皆、自分の家で手いっぱいだから……。大丈夫、子供の熱なんて一晩でケロッとするもんだ」

「そんなもんかな?」


 そう言われてみると、呼吸も安定してきているような気がした。

 門番はアルスがまた厄介な願い事をしてこないうちにこの場を去りたかったのかもしれない。


「じゃあ、俺も帰る。あんたも無理しないようにな」


 頼みの綱は他にない。

 ちょっと口を利いただけの相手に多くを望み過ぎただろうか。

 門番はそそくさと去っていった。その間、置物のようにじっとしていたナハティガルはため息をついた。


「ヤレヤレ」

「仕方がない。ナハ、今日はここで寝泊まりするぞ」

「ベッドないよ。ソファーだってないし」

「机に突っ伏して寝る」

「朝の顔が見ものだね」


 ププッと笑われた。姫がそんなことをするものではないとしても、別に寝跡が一生消えないわけでもないし。


「お前がベッドになってくれてもいいんだ」

「ヤだ! そんな何時間も無理だもん!」


 ベッドになるのを想像したのか、ガクガクブルブル震えるナハティガルだったが、それはアルスが重たいと言いたいのか。イラッとしつつ、アルスはベッドの上に置かれたバスケットの蓋を開けた。


 中にはパンと瓶に入った水と、茹でた芋が入っていた。

 代金を支払っていないのだから、これは施されたことになるのだろうか。王妹なのに庶民の食事を奪ってしまった。


「食べられそうか?」


 コルトに声をかけてみたが返事はない。本当に大丈夫だろうか。

 アルスはポケットからレースのハンカチを取り出した。それを適当な大きさに畳むとナハティガルに呼びかける。


「ナハ」

「へいへい」


 雑な返事をされたが、ナハティガルはアルスが何をしてほしいのかをすぐに読み取った。

 ナハティガルが羽を振ると、ハンカチに雪のような白く細かい氷が載った。アルスはそれを包んでコルトの額に置いた。

 それから、アルスはパンと芋とを半分取り、それを持ってコルトのベッドに腰をかける。


「食堂以外の場所で食べるなんてそうそうない機会だな」


 こんな時なのに少し笑ってしまった。

 皮のついた芋にかぶりつくと、これといって味がしなかった。と思ったら、後味が苦い。

 美味しくはないが、毒ではないだろう。味つけされていない芋はこんな味なのかと興味深くはあった。


「アルス、皮は出すんじゃないの?」

「先に言ってくれ」


 もう食べてしまった。その後にパンを食べたら、喉がイガイガした。慌てて水を飲む。

 アルスが知らないだけで、農村での食事というのはこういうものなのだろうか。味気ないと言ったら怒られる。

 少なくとも空腹ではなくなったのでありがたい。


「お城にいたら、もっと美味しいもの食べていられたのにさ」


 なんてことをナハティガルは言うが、アルスはクラウスよりもご馳走を取るつもりはない。

 そして、これを食べられてよかったとも思う。


「民がどういうものを食べているのか、身をもって知ることができた。やっぱり、旅に出てよかったな」

「強がり! お城へ帰れぇ」

「あー、はいはい」


 ナハティガルを適当にあしらうと、アルスは食べ物の入ったバスケットをコルトの枕元に置き、部屋の扉は閉めないままにしておいた。


 食卓の椅子に座り、ひと息つく。

 自分は急いでいるはずだ、と。


 それは間違いない。早くクラウスに会いたい。会って、彼を孤独から引っ張り出さなくてはならないのだ。


 クラウスを想って目を閉じると、この時ふと、コルトがつぶやいたことを思い出した。

 コルトもノルデンの何かを気にしていた。

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