20◇女王の苦悩

 ラザファムがこの調子なので、アルスは出立したはずの宿に戻るしかなかった。


「すまない、連れの具合が悪くなってしまって。部屋を頼む」

「まあ! まだ掃除ができていませんけど、こちらへどうぞ!」


 早朝だったこともあり、先客が抜けた直後の部屋だった。

 アルスは取り合えずベッドにラザファムを下ろそうとしたのだが、ラザファムの足に引っかかって自分の方が先にベッドにつんのめってしまった。


「わっ!」


 ラザファムの下敷きになって、思った以上に硬いし重たかった。細身で中性的とも言える顔立ちをしているが、やはり男だと改めて思う。


「すみません……」


 かすれた声でつぶやき、ラザファムはアルスの顔の横に手を突いて体を浮かせた。

 この時、下から見上げたラザファムの表情が苦しげに見えた。


「つらそうだな」


 思わずつぶやくと、息がかかるほどの距離で言われた。


「あなたのせいですよ」


 それはそうかもしれないけれど、そんなに堂々と言わなくてもいいのに。

 ――いや、言われても仕方がないのかもしれない。


「わかったよ。じゃあ、どうしてほしい? 城に帰れっていうのはナシだけどな」

「……この体勢でよく言いますね」

「うん?」


 ラザファムはアルスを押しのけるようにベッドの端にこてんと寝転んだ。顔を手で覆っている。


「すみません、少し眠ります」

「わかった。ゆっくりしろ」


 アルスはベッドから起き上がり、ラザファムを一人にした。

 もう一部屋取って、アルスも眠ることにした。このままではとても次の地点まで歩けない。


 あくびを噛み殺しながらベッドで横になると、枕元でナハティガルがアルスの頭にもたれかかってきた。


「あーあ、ラザファム可哀想」

「巻き込んだのは悪かったと思ってるよ」

「そぉじゃなくてぇ。ああ、カワイソー」

「しつこいな」


 そんなことを言いながら、気づけばアルスも眠っていた。

 この時、アルスの夢の中にクラウスが出てきた。


 嬉しかったけれど、夢の終わりにクラウスはどこかへ消えてしまって、アルスは泣きながら目覚めたのだった。



     ◆



 レムクール王国王都メルヒオル。

 王城にて――。


 最上階の王の居室に、書き物机に頬杖を突いている女王の姿があった。

 金髪の美しい女王は、心配事を抱えてただ虚空を見つめていた。


「トルデリーゼ、大丈夫かい?」


 優しく声をかけて肩を抱いたのは、彼女の夫であるベルノルトだった。

 褐色の肌に翠玉を紡いだような短髪、筋骨逞しいというわけではないが程よく鍛えられた体をしている。


「ベル……」


 居室にいる時、女王はただの女に戻っていた。

 年若くも毅然とした佇まいを忘れ、ただのトルデリーゼでいることを許される。


「あなたに隠し事はできないわね」

「うん。君は心配事があるとすぐにぼうっとして、頭に何か挿しているからすぐにわかるよ」

「…………」


 結い上げた金髪を撫でてみると、ペンが刺さっていた。インクがついている方を逆さにしていてよかった。

 トルデリーゼはペンをペン立てに戻し、はぁ、とため息をついた。


「まあ、それがなくてもわかるけど。アルステーデのことだろう?」

「そうよ。アルスったら行動力がありすぎるの」

「それだけクラウスのことが好きなんだろう。二人の仲を引き裂きたくはないけれど、どうすればいいのか私にもわからない」

「誰にもわからないわ。でも、あの子がクラウスを慕うのは恋心とは違うのかもしれないし」

「責任を感じている?」

「それもあるけれど、〈好き〉にも色々とあるってことをあの子はあんまりわかっていない気がするの。間違いなくクラウスが一番好きだとしても」


 お転婆で男女の機微に疎い妹だから、異性として彼を好きだという気がしないのだ。

 けれどもし、本当に愛情を持って追いかけているのだとしたら、こんなに切ないことはない。追わせてあげたいけれど、その果てに待つものを思うと恐ろしかった。


「ナハティガルもラザファムも説得できないでしょうね」


 ため息ばかりが零れる。

 政務や世継ぎ、国際問題、トルデリーゼにはただでさえ頭を悩ませなくてはならないことが多くあるというのに。


「どっちも口では色々言うけれど、アルステーデに甘いからね」


 それに関しては苦笑するしかない。


「そうね。特にアルスとナハティガルの結びつきは強いから。ナハティガルはアルスとクラウスが魔族と遭遇してから、一度も精霊界に帰ろうとしないもの。もう二度とアルスのそばを離れるのが嫌なのよ」

「ナハティガルはいい守護精霊だ」


 いつも口喧嘩をしているが、ナハティガルは本当にアルスを大事にしてくれている。そんなナハティガルを選んだアルスの目も確かだったと言えよう。


「ついでにいうと、ナハティガルやラザファムのことを言えないくらい、君も妹に甘い。それから、私も」

「あら、本当ね」


 笑うとほんの少し心が軽くなった。

 トルデリーゼはベルノルトの腰に腕を回して抱きつく。


「アルスもこんな気持ちで誰かを好きになる日が来るのでしょう。姉として、妹が悲しまない結末を望むけれど」


 ベルノルトはトルデリーゼを抱き締め返す。女王の守護精霊のファルケは鷹の姿をして、止まり木の上で寝たふりをしていた。


「君が私を選んでくれた時から、君の誠意を疑ったことはないよ。時には立場よりも心が優先される。そして、その決断が世界エーレを救うかもしれない」


 トルデリーゼが婚約者を決める年頃になった十二歳の時、ベルノルトと出会った。

 ベルノルトは十四歳の――奴隷だった。

 労役は何も科されていなかったが、籠の中の鳥というべき扱いをされて生きていた。


 ベルノルトは、二十年前に滅んだレクラムという国の末裔だった。王族での生き残りは非常に稀少であり、彼を捕らえていたピゼンデル共和国から献上された。


 金色に近い輝く瞳に憎悪を滾らせた少年を見た時、トルデリーゼはその非人道的な扱いに衝撃を受け、涙を流して彼に許しを乞うた。


 ベルノルトは、トルデリーゼのせいではないと答えたが、トルデリーゼは彼を救いたいと願った。

 だからこそ、自分の夫にすると決めたのだ。この誇り高い人を護らなくてはと。


 ベルノルトはトルデリーゼの誠意に応えてくれた。結婚したのは三年前だが、もっと前から心では寄り添っていた。

 レクラムの民は、レムクール王族とはまた違った精霊との繋がりを持っている。


 ――とはいえ、幼い頃に幽閉されたベルノルトには知識がなく、レクラムの祖が持っていた力はほとんど持たない。それでも、精霊との調和率が非常に高く、精霊術師となれば抜群に優秀だった。

 口さがない者もいたけれど、二人は自分たちの選んだことに満足している。


 だからこそ、アルスには強く言えないのかもしれない。

 本当に愛する人の手を取る幸せを知るから――。

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